馴染みのお寿司屋さんで一人、寿司をつまんでいた時のことだ。
ふと“異様な雰囲気”を感じる、横のオッチャンが目に入ることがあった。みたところ、60代前半から半ばくらいだろう。
オッチャンも一人で寿司をつまみ、大将と仲良さそうに話している。
店内には大将とオッチャンと私の3人。
大将との会話以外に聞こえるのは、小さな音で流れている阪神-巨人戦のテレビの音くらいである。
創業から半世紀になる寿司屋は相当に年季が入っており、余りの“昭和感”に新規客が来ることはそう多くない。
「あのー、すみません…」
オッチャンのことが気になり過ぎて、ついに意を決して話しかける。
「はい、なんでしょう?」
「失礼ですが、なぜそんなにカッコいいのでしょう。服のセンスも素敵ですし、何よりも髪型が決まり過ぎていて、さっきから気になっているんです」
男性はどうしても、50代や60代になると身だしなみに無頓着になる人が多い。
ギラギラした会社経営者などであれば逆に、年齢不相応の華美なブランド物で飾り立て過ぎて、浮いていることも少なくないものだ。
しかしそのダンディなオッチャンは、年齢や体格にちょうどフィットするような、最高の清潔感を身にまとっていた。
「美容院帰りですか?」「美容院帰りなのに、独り飲みってどういうことですか?」
ついそんなことを聞きたくなるほどに、髪型もキレイに決まっていた。
そんな60代のおっちゃんを見かけることなど滅多にないので、異様さを感じたということだ。
「桃野さんその人、散髪屋の大将ですねん。他に美容院とかフェイスサロンとかも経営してはるんですわ。ワシの散髪も、リョウゾウさんに任せてるんです」
オッチャンに代わり、大将が紹介の合いの手を入れる。
なんと!それなら清潔感も身だしなみも、納得である。
「すごいです、私もリョウゾウさんのお店に行きます!渡辺謙っぽくすることできますか?」
「そうですね…。今は丸刈りに近い短髪にしてはりますけど、ちょっともったいないですよ。いくらでも渡辺謙に近づけることできますんに」
「マジですか、ぜひお名刺ください!」
もう長いこと散髪をお願いしているリョウゾウさんとの出会いは、そんな感じだった。
それからはされるがままで、少し心もとなくなった髪の毛を何も言わずにお任せしている。
それから何年か経った、ある冬のことだっただろうか。ふと気がついたことがある。
インフルエンザが猛威を振るっている時も、寒暖差がシャレにならない時も、リョウゾウさんはいつも咳一つせずに、ハサミを握っている。
そういえばクリニックのお医者さんもそうだが、なぜこの人たちは風邪もひかず、インフルにもならずに、いつも店を開けられるのだろう。
「リョウゾウさん。なんで散髪屋さんのオッチャンって、風邪ひかないんですか?」
おもしろそうに笑うリョウゾウさん。おそらく多くの人から、同じような質問をされているのだろう。
「桃野さん、仰っていることはわかりますが、それ因果関係を間違えているんですよ」
「それは違う!」
話は変わるが、第二次世界大戦中にアメリカ軍で交わされた議論についてだ。
人命を何よりも重視する陸海軍では、どうすればパイロットの生還率を上げられるか、統計学的に検討することになる。
特に爆撃機はどうしても動きが鈍く、敵戦闘機の攻撃の的になりやすかったので、この問題は深刻だった。
その際に用いた手法はシンプルで、実際に戦闘に参加した爆撃機がどこに被弾したのかを調べつくすことから始める。
結果、翼と胴体部分に特に、弾痕が集中していることが確認された。
「なるほど、翼と胴体が特に、狙われやすいんだな」
そう解釈し、被弾の多い箇所の補強を計画する技術者たち。行きついた結論に、全く違和感などない。
しかしその時、数学者であるエイブラハム・ウォルドだけが、全く逆の提言をする。
「それは違う。補強すべきは弾痕が無い、エンジンと操縦席である」
そんな解釈があるだろうか。
実際に戦闘に出て帰還した爆撃機の多くが、翼と胴体を狙われていたのである。
それは実際のデータからも明らかな、揺るがない事実だ。そしてエンジンと操縦席に弾痕のある機体など、ほとんどないのである。
有名な話なのでご存じの方も多いと思うが、これは「生存者バイアス」と呼ばれる現象の、典型的な例だ。
そう、翼と胴体は確かに弾痕が多いかもしれないが、その爆撃機は無事に帰還できているのである。
その一方で、操縦席とエンジンに被弾した爆撃機は、その一発がただちに致命傷になり、帰還できなかったということだ。
戦場に出て戦った爆撃機のうち、被弾した個所を調べることができるのは帰還できた機体だけなのだから、当然だろう。
米軍は最終的に、エイブラハム・ウォルドの提言を受け入れ、エンジンと操縦席の補強を決める。
結果、爆撃機の帰還率が劇的に上がったとされる、先の大戦中に得られた知見の一つである。
データは嘘をつかないが…
話は散髪屋のオッチャン、リョウゾウさんについてだ。
「なんで散髪屋さんのオッチャンって、風邪ひかないんですか?」
「桃野さん、それ因果関係を間違えているんですよ」
いったい私が、何を間違えているというのか。
「修行を終えて独立し店を持つ理髪師は毎年、とても多いんです。しかし一人親方だと当然のこと、自己管理は自分でしなければなりません」
「それはそうでしょうね」
「まずこの段階で、脱落する人が一定数います」
そして要旨、自堕落になり店を維持できなくなる、“そもそも経営者に向いていない”人たちの存在を語る。
「そこを乗り越えても、やはり健康面で休みがちになる人っているんです。そうなると、営業日なのに開いていないということで、お客さんが離れてしまい経営が成り立ちません」
「それはそうですね…」
「長年、店を維持して商売を大きくできるのは、やはり体の強い人なんですよ。私自身、いつ風邪をひいたのか余り記憶にないほどです」
…余りにも当たり前の説明に、赤面する思いだった。
まさに“因果が逆”である。
散髪屋のオッチャンが風邪をひかないのではなく、風邪をひかない散髪屋のオッチャンが生き残っているだけのことだ。
まさに、「生存者バイアス」である。
そういえばリョウゾウさんは、最初に出会ったお寿司屋さんでもかなりの武勇伝を持っている人だ。
真冬の雪が降る日、21時ごろに泥酔して店を出ると、そのまま店の前を通る主要道路で寝込んでいたことがあるという。
0時ごろに大将が店を閉めるときに気がついたというが、いろいろな意味でよく死ななかったものだ。
しかもその翌朝、しっかりと店を開けていたという。
「散髪屋さんって、なんで酒に強いんですか?」
いわばそんな質問をしたようなものだろう。
因果が逆というよりも、データを正しく理解できていないということである。
「生存者バイアス」の話など、手垢がつくくらいに聞きなれている話だった。
にもかかわらず、事程左様に「知っていること」と「理解していること」は違うのである。
データは嘘をつかないが、得られたデータが全体から正しくサンプルを抽出したものであるかどうかは、分らないことが多い。
にもかかわらず、データを見て分析すれば何かを分かった気になる危険な罠を再認識した、とても印象深い出来事になった。
「いくらでも、渡辺謙に近づけることできますよ」
余談だが、そんな誘い文句に魅力を感じ通い始めたリョウゾウさんの店である。
もう何年になるかよくわからないが、私はなぜか、まだ渡辺謙になれない。
むしろ年々、ブラマヨの小杉竜一に近づいている気がする。
詐欺である。
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(2026/9/16更新)
【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
髪の毛が足りない…。
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