少し前、Books&Appsを運営されている安達さん(@Books_Apps)とお話している時に、ふとこんな質問をされたことがある。

 

「桃野さんは、なぜ会社が常に成長し続ける必要があるか、考えたことがありますか?」

話の流れはない。

本当に唐突な質問だったので、特に飾ることもなく思ったとおりに以下のようなことを答えた。

 

「そもそも論として無理に成長する必要はないんじゃないでしょうか。成長は結果であって、無理をして作りに行くものじゃないと考えています。」

 

「なるほど、ではその考えをどうやって、株主やステークホルダーに理解して貰いましょう。」

「株主もステークホルダーも理想は会社の応援団なので、経営トップの強い信念を示して、有言実行で行動するしかないのではないでしょうか。」

 

「なるほど」

「ただし、こちらもそもそも論ですが、会社は成長を求めなければ必ず潰れます。どれだけ上手く行っている事業でも、常に新しい付加価値を生み出さなければ組織も人も維持できません。競合は必ず、既存のマーケットに、新しい付加価値を次々に生み出し続けます。」

 

「ところで安達さんはどう考えて……」

そう言いかけたところで、一緒に乗っていた車が目的地についたので、この会話はそこで途切れてしまい、結局安達さんの考えは聞けずじまいだった。

 

ただ、それ以来、この「なぜ会社は、常に成長し続ける必要があるのか」という問いを、自問自答し続けるのがマイブームになっている。

 

成功から学ぶのではなく、失敗から学ぶことのほうが遥かに有用

話は変わるが、世の中の胡散臭いセミナーのたぐいは「こうすれば成功する」というものが多い。

 

経営者を対象にした勉強会でも、その多くはなんらかの成功を遂げた経営者の成功体験ばかりで、成功者の成功体験から学ぼうという企画がとても目立つ。

金融機関や商工会議所などから届く案内も、「あの~社長による講演」という触れ込みばかりで、集客を狙っているものばかりだ。

 

しかしこれは、本当に正しい勉強なのだろうか。

著名な社長が登壇する勉強会というイベントは確かに魅力を感じないわけではないが、それでも未だに、「とても勉強になった」と思ったことがほとんどない。

 

それよりもむしろ、時代の寵児とも騒がれるほどに成功を収めた経営者が、その後大失敗をして凋落した体験談のほうが100倍興味がある。

成功は常に、特定の環境下で針の穴を通すような決断と行動の結果であるのに対して、失敗には必ず、失敗に至った間違いのない理由があるからだ。

 

だからこそ、成功を収めた上で失敗した人からこそ、学ぶべきことはとても多い。

にも関わらず、そのようなセミナーや勉強会というものは余り多くない。

 

失敗からの学習力が明暗を分ける

実際に、先の大戦で圧倒的な強さを世界に示した米軍には、日本とは全く違う組織運営のセオリーがあった。

その最たるものは、失敗した者から学ぶ姿勢が顕著であったことだ。

 

日本軍は、戦闘に敗れた指揮官クラスは問答無用で殉職を求められる組織文化があった。

それに対して米軍は、なぜ敗れたのかを分析し、その当事者である責任者に対して戦闘の時系列と、その瞬間瞬間における意思決定のプロセスを拠出することを求めた。

もちろんそこには、失敗=死を求める文化はない。

むしろ、失敗体験を組織に還元することで、失敗の責任を減免する文化すらあった。

 

この2つの組織を比べた時に、どちらがより精強になるだろうか。

失敗を全く教訓にできない組織と、同じ失敗は二度としない強い決意で現実に立ち向かう2つの組織があれば、その結果は明らかだ。

絶対に成功する原理原則など永遠に確立することなどできないが、こうすれば必ず失敗するという理屈はとても把握しやすい。

 

だからこそ、目に見える地雷を踏みに行く必要ないという意味で、失敗した人の経験談はとても役に立つ。

これこそが、本来シェアするべき価値ある知見のはずだ。

 

「学歴主義」もかつては夢のある、素晴らしい制度だった

ところで、「学歴主義」という価値観を聞いてどんな印象を持つだろうか。

 

18歳の頃の瞬間学力で、人生の50%程度は決まってしまうという制度と言い換えても良いかも知れない。

残りの50%は就職活動でどこを選ぶかであり、なおかつその就職先でどれだけ頑張るか、といったところだ。

しかも就職活動の選択肢は、18歳の頃の瞬間学力、すなわち入学する大学や卒業する高校でほぼ決定づけられている。

 

さすがに近年では、一般企業を中心に学歴偏重の風潮はかなり薄れてきているが、それでも新卒の採用ではまだまだ、出身大学や高校が判断基準になる世の中だ。

中央省庁ではまだまだ、この原則が強固に守られている。

誰が考えても、この制度にはそれほど合理性があるとは思えない。

 

ではなぜこんな穴だらけの制度が、日本には根付いているのだろうか。

それは、学歴主義という考え方が導入された明治時代には、それが極めて素晴らしい、夢の制度だったからだ。

 

考えても見て欲しいのだが、それまで出身や家柄、親の職業などで人生の選択肢が制限されていた時代に、突如として「学問を修めれば、誰でも大臣や大将になれる」と言われれば庶民はどう思うだろう。

狂喜し必死になって勉強をして、這い上がろうとするのではないだろうか。

旧い身分制度で下層にあった者ほど、きっとものすごいハングリー精神で上を目指したはずだ。

 

実際に明治維新以降、日清戦争や日露戦争で世界を驚かせた奇跡の勝利を積み重ねた日本には、農家や下級武士出身の高級幹部が多くの戦果を上げている。

日本海海戦でロシアのバルティック艦隊を全滅させ、連合艦隊司令長官の東郷平八郎をして「智謀湧くが如し」と讃えられた秋山真之参謀は、幼少の頃に口減らしで親に捨てられかけた経歴を持つ。

いわば「学歴主義」は、今風に言えば実力主義の走りだったと言ってもよいだろう。

 

そしてこの社会制度で大成功を収めた日本は、この成功体験を「過剰学習」し、以降“学歴主義”と“過去の成功体験”は絶対のものになっていく。

その過程では、過去の成功体験をマニュアル化し社会は急速な近代化に成功することになるが、成功体験から脱却できなかった日本はやがて価値観が固定化し社会が硬直化することになった。

 

そしてそのタイミングで、米軍という学習能力が異常に高い組織と戦うことになり、敗れ去ることになった。

 

会社は成長し続ける必要があるのか

本題に戻って、会社や組織は成長し続ける必要があるのか、という命題についてだ。

マイブームの中でやはりどれだけ考えても、会社は組織としても個人としても、成長を無理強いする仕組みは間違っているという考えは変わらない。

 

しかしながら、常に価値観を捨て続ける必要は、間違いなくある。

過去の成功体験は、その時の環境と組織力、マーケットの価値観の中から必死に手繰り寄せた可能性の芸術に過ぎない。

 

ラーメン店でも、味もサービスも全く変わらなければ飽きられて、1年経てば繁盛店でも必ず閑古鳥が鳴く。

同様に、同じ場所で同じ価値観で留まる限り組織は必ず衰退し、フォロワーに駆逐されることになる。

 

これは個人でも同じことだ。

私たちは必ずしも、人生の中ですべての瞬間で成長をし続ける必要はない。

そんな吐き気がするような人生を送りたいとは、誰も思わない。

そんなことをすれば、どれだけ強いマインドの持ち主でもやがて限界を超えて心が壊れる。

 

しかし、自分に求められている役割や期待を理解し、学習し、変わり続けることは必須だ。

「会社や組織は成長し続ける必要があるのか」の答えは未だに出ていないが、少なくともなにか新しいことを始めることができたか。

 

組織も個人も1年前の自分と比べ、なにかに一つでも新しいことにチャレンジすることができたか。

そんな価値観は必要なのではないか。

 

今度あったら、安達さんにはそんなことを話してみようと思う。

 

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(2024/3/26更新)

 

 

【著者プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

ミリオタ系のブログを運営し、月間90万PV持ってます。

夏にはいつも、自衛隊仕様の迷彩服Tシャツで過ごしています。

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(Photo:Dennis van Zuijlekom