『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』(ジェームズ・ブラッドワース著・濱野大道訳/光文社)という本を読みました。
この本、イギリスのジャーナリストが、アマゾンの倉庫でのピックアップ作業、訪問介護、コールセンター、ウーバーのタクシー運転手という、「最底辺の労働」に自ら従事し、そこで得られる収入で生活した記録なのです。
著者は自身には「逃げ場」があり
「本物の貧困や底辺労働に陥っている人たちと同じではない」
と断りを入れていますが、これらの仕事の現場を知ると
「いまの我々が『便利』だとか『新しい時代の仕事』だと思い込んでいるものは、本当に人間を幸せにしているのだろうか」
と考え込まずにはいられなくなるのです。
世界金融危機のあと、自営業者が100万人以上も増えた。その多くが、インターネットなどを通じて単発の仕事を請け負う”ギグ・エコノミー”という働き方を選んだが、彼らに労働者の基本的な権利はほとんど与えられていない。
週5時間働けば、(イギリス)政府が定義する「失業者」には含まれなくなる。
しかし、そのような仕事で家賃を払うのは至難の業だ。たとえフルタイムの仕事に就いていたとしても、バラ色の未来が保証されているわけではない。
近年のイギリスで続く所得の減少は、ここ150年でもっとも長期にわたるものだ。
インターネットを利用して、自分が空いている時間に、好きなように稼ぐ……と言われると、なんだかとても自由で新しい働き方のような気がするのですが、著者の体験談を読んでいると、これは
「コンピューターがつくった『もっとも効率が良いスケジュール』に合わせて、安く買いたたかれた労働者が酷使されるシステム」
ではないのか、と考えずにはいられなくなるのです。
Amazonの商品が安いのは、その工場で働いている労働者の賃金が抑えられ、「何もしていない時間」が生じないように厳格に(あるいは、非人間的なまでに)スケジュール管理されている」からだし、介護の世界でも、「とにかくノルマをこなす」ために、きめ細やかな対象者とのふれあいは軽視されています。
現在の世界では「もっとも効率的かつ安価に仕事をこなすには、テクノロジーを利用するだけではなく、最低限の賃金で働いてくれる底辺労働者が必要不可欠」なのです。
そういう意味では、きついサービス業の人手不足が深刻な日本というのは「人間らしくない働き方を拒否している人が(現時点では)多い国」だとも言えるのでしょう。
いまのイギリスでは、これらの労働には、移民が従事していることが多く、著者は何度も「なぜイギリス人がこの仕事を?」と問われています。
中流階級の人々を驚かせるのは、悲惨で哀れな仕事そのものではなく、そのような仕事に就く者たちが示す態度のほうだ(そういった態度を引き起こす原因がしばしば陰鬱な仕事そのものにあるという事実はとりあえず置いておこう)。
ロンドンのオフィスという繭のなかで専門的な仕事をする中産階級の人々は、当然のようにこう考える。
労働者がジャンクフードと油と砂糖をたらふく食べるのは、彼らが怠惰で優柔不断だからにちがいない、と。
結局のところ、中流階級の人間が同じようなことをするのは、心が弱ったときか、あるいはカロリー計算をきっちりしたときだけだ。
つまり、彼らは自分が食べるに値すると感じたとき、チョコレートバーやケーキで自らにご褒美を与える。
それは人生の上に置かれたサクランボであり、砂糖による激励を意味する合理的な決断だ。
一方、労働者階級の人々は、現実からの感情的な逃げ道として脂っこいポテトチップスを買う。
ある午後にニルマールが私に言ったように、「この仕事をしていると無性に酒が飲みたくなる」のだ。
まったくそのとおりだった。
アマゾンの倉庫での仕事は、肉体的にきついだけでなく、精神的にもうんざりするものだった。
1日の終わり、赤く腫れて熱を帯びた足に絆創膏が必要なのと同じように、この仕事には感情のための緩和剤が必要だった。
専門的な仕事にはたいていなんらかの楽しい側面があるものだが、アマゾンの倉庫のような社会の底辺で働くのはまったく楽しいものではなかった。
ランチには30分の時間が割り当てられていたものの、事実上、ゆっくりできるのはその半分の時間だけだった。
食堂にたどり着き、飢えた労働者たちの群衆を押し分けて進み、食事を手にするまでにすでに15分経過。
残りの15分で食事を胃に流し込み、遠く離れた倉庫まで歩いて戻らなくてはいけない。
自分の持ち場に戻ると、決まって2、3人のイギリス人マネージャーが待ち構え、腕時計を指差すような仕草をして立っていた。
30秒でも遅れたスタッフがいると、彼らは居丈高に喚き散らした。
「あれれれ、今日のランチ休憩は延長ですか?」
「こっちは、きみたちが無駄話をするために金を払っているわけじゃないんだぞ」
これが、世界最大の小売業者であるアマゾンでの日々だった。
スタッフォードシャーのルージリーという小さな町に建つ巨大な配送センターのなかで、私は「オーダー・ピッカー」として働いた。
倉庫では総勢1200人ほどが働いていた。同僚たちの大半は東欧から来た人々で、そのほとんどがルーマニア人だった。
向上心がない、自己管理ができない人間だから、こんな仕事にしか就けないんだ、と「自己責任」という言葉に加担したくなるのだけれど、著者の体験談を読んでいると、単調で過酷な労働というのは、人間から判断力とか将来を見据えた計画性を奪っていくということがよくわかります。
そういえば、人気漫画『カイジ』で借金のカタに働かされていた人たちも、まさにこんな感じで、せっかく稼いだなけなしの給料を、ビールやつまみなどの「一時の快楽」のために使っていたのだよなあ。
(出典:賭博破戒録カイジ 1巻)
彼らは、思慮が足りないからああいう行動をとるのではなく、ああせずにはいられない精神状態になっている、ということなのか……
底辺労働者たちは、栄養のバランスがとれた食生活をする気力もなくなり、身体をこわしてリタイアしていきます。
そして、報われないのは、金銭面だけではないのです。
著者が「ウーバー」の運転手として働いていたときの話です。
ウーバーによる管理は、乗客とドライバーの評価システムを通してさらに徹底されていた。
すべての旅程の終わりに、ドライバーと乗客は1~5つ星で互いを評価することができる。
ウーバーは、各ドライバーに与えられた星の平均値を注意深くモニターした。
すべてのドライバーにはまず、自動的に5つ星の評価が与えられる。
適切に行動するかぎり、その評価を短期的に保つのはそれほどむずかしいことではなかった。
星による評価システムに加え、移動を終えた乗客の評価にもとづいてバカげた”eバッジ”がドライバーに与えられることもあった。
たとえば、「良い車」「車内の設備がいい」などという評価だ。
しかし、長く働けば働くほど……とくに稼ぎのいい深夜や早朝に働くほど――、低い評価を受けやすくなった。
ときに、渋滞のせいで迎えの時間に遅れると、客が怒り出すこともあった。
あるいは、乗客が誤った居場所をアプリに入力し、迎えにいったときにその場にいないことがあったが、それもドライバーのせいにされた。
さらには、侮辱的な態度を取る乗客もいた。そのような乗客は決まって、経済階層のより下にいる人々を侮辱することに大きな楽しみを見いだす人種だった。
女王が依然として王位に君臨し、ロンドン証券取引所が毎朝取引を行っているように、変わらずタクシー・ドライバーを罵る人々がいた。
ときには、車のドアを開けたとたんに怒鳴って命令してくる客もいた。
彼らはドライバーと一緒に会話を楽しむのではなく、一方的に話すのを望んでおり、相手が必要最小限の役割を担うことを求めていた。
彼らの声量は車内で数デシベル上がるが、ドライバーの声量はもう少し下げるべきだという無言の圧が伝わってきた。
ウーバーのドライバーとして働くときの問題は、自分が対等な立場として扱われないことだけではなかった。
それはこの種の仕事ではよくあることだった。
驚くべきは、人々がドライバーに完全なる服従を求めてくることだった。
これまで経験してきた仕事のなかでも、これほどの威圧感を覚えたことはなかった。
「乗客はあなた方ドライバーの顧客です」とウーバーは言うことを好んだが、「ウーバーの顧客」と表現したほうが正しいように感じられた。
僕はタクシーに乗るのが苦手で、その理由としては、たまに、あまりにも自己主張が強くて話好きな運転手さんにあたってしまうから、なんですよ。
怒鳴り散らしたり自分のミスをドライバーのせいにしたりする客というのは最悪だけれど、タクシードライバーの側にも、こんなにストレスがかかっているのか……と驚きました。
ウーバーのドライバーに関しては、お客を自分で選べないというのも含めて、かなりつらそうではありますが、うまくやれば「それなりに稼げる」ような感じで、向いている人には、悪くない仕事ではないか、とも感じたのです。
多くの人が、インターネットのおかげで、効率的に時間を使えるようになったし、いろんなサービスを安く受けられるようになりました。
しかしながら、その現場で働く人間にとっては「もっとも効率的に、安上がりになるように、歯車として組み合わされて単調な仕事をさせられている」のです。
これから、知的労働がどんどんAI(人工知能)のものになっていけば、働き方の格差はどんどん広がっていくことになりますし、一部の超エリートを除けば、ここに書かれているような仕事しかなくなってしまうかもしれません。
そうなると、計画性や人生設計も失われて、どんどん人間は「退化」していくのではなかろうか……
興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで
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