かつて欧州を旅していた時の事だ。

 

彼の国では、エレベーター等で顔を合わせたら、知らない人間だろうがまず間違いなく「Good morning!」等の挨拶をされる。

 

最初の頃、僕は「へっ!?何か会話始まるの?」と身構えつつ「ぐっど、もーにん」と返していたのだけど、誰にこう返してもみんなニコッと笑ってそのまま会話が打ち切られた。

会話が始まった事は一度としてなく、次第に僕も「ああこれはこういう文化なのだな」と納得していく事となった。

 

私は敵ではない、という意味での挨拶

陸続きで多様な文化を内包する欧州にとって、異邦人をどう受け入れるかは難しい問題だ。

 

彼らはその緊張感を緩和するためにも、挨拶が通じる相手か否かという最低限の入り口を敷く事を無意識のうちに日常生活に挨拶という形で導入し、

「私は会話が通じる人間ですよ。あなたの敵ではありません」

とのメッセージを日常生活の中に組み入れて居心地のよい空間を形成し、身の回りには敵がいないという感覚を内包させるように社会形成していったのだろうと、そのうち納得するようになった。

 

日本の挨拶は同胞の確認作業

一方で日本の場合、例えばエレベーターで乗り合わせた知らない人から「おはようございます」なんて言われたら、少し身構えてはしまわないだろうか?

人によっては「なんだこいつ。煩わしい」とすら感じるかもしれない。

 

しかし一方で、例えば会社の同僚とエレベーターで乗り合わせた時にガン無視されでもしたら

「えっ!?何、なんか私、やらかしちゃった?」と若干身構えるだろう。

 

欧州では知らない人間だからこそ挨拶が「私はあなたの敵ではない」という意思表示として定型化する一方で、日本では知り合いだからこそ挨拶が「身内か否か」の意思表明として定型化する。

 

同じ挨拶ひとつとっても多様性をバックグラウンドとする国と、同一性がほぼ担保された国での立ち振る舞いはこうも変わる。

なぜこうなるのかというと、究極的には社会がその国にあった「快適さ」を良しとするからだろう。

 

万人が快適になる為の最適解として、欧米では挨拶は「敵ではない」事の意思表明として進化したが、日本では「ムラ社会の一員」である事の確認儀式として挨拶が進化したのである。

同じ挨拶でも、文化背景が異なるとここまで意味合いが多様化するのである。

 

尋常じゃないレベルで感情が湧き立たない国、日本

文化背景の違いは挨拶のような定型文の意味だけではなく、人間の人格形成にすら影響する。

この事を最近、うしろめたさの人類学という本を読んで理解できた。

この本の筆者である松村圭一郎さんは、もともと自分はかなり感情が動かないタイプの人間だと思っていたという。

しかし、そんな彼がエチオピアに行き、現地で生活すると自分でも驚くほどに怒ったり笑ったりと情動的になったのだというのだ。

 

彼が情動的になったのは、端的にいうとエチオピアのシステムが元となっている。

役所の対応はテキトー、バスや電車は時間どおりに来ない。

おまけに、日本のようにお金で何でも解決できる利便性は全く無く完全な縁を基盤とした社会設計であり、人にお願いをして頼み込まないと物事が全く進展しないのだという

 

このような不便や人情に溢れる社会生活を経て、松村さんは大いに苛立ちを覚え情動的になったそうなのだ。

が、それと同時に自分にここまで感情的な一面があった事に衝撃を受けたという。

 

これは松村さんが本来情動的な人間であったというよりも、エチオピアという社会が彼を情動的に”した”のだろう。

逆に言えば、日本社会は松村さんを落ち着いた人間へと形成させていたともいえる。

 

私達のパーソナリティは自分固有のものだと思いがちだが、実は社会設計によりかなりの部分が外的に形成されている。

同じ人間でもエチオピアでは情動的になり、日本にいれば無機質になる。

 

環境で、人はここまで性質が変わるのだ。

あなたが信じている自分というパーソナリティも、実は外部環境により形成されたものなのかもしれない。

 

あなたがおかしいのではなく、社会があなたに合わないだけ

時々、日本社会がどうにもこうにも合わずに海外に飛び出してイキイキとしはじめるタイプの人がいる。

そういう人は日本では”変わり者”として変なやつ扱いされがちだけど、果たしてその”変”の基準がどこから来ているかと言うと、結局のところ社会である。

 

僕も学生時代、帰国子女達の立ち振る舞いがどうにも変わったものに感じてしまっていたのだけど、あれは彼らが”変”なのではなく、私達の社会の中で比較するからこその”異質”なのだ。

ワンピースの中に実写版・蒼井そらが突然現れてキャラクターの1人として活動して、違和感を覚えない人がいない事を考えてもらえば理解しやすいかと思う。

 

つまり、変かどうかを決めるのは社会という”世界観”が決定因子なのである。

現実世界の中にルフィーがその姿形のまま現れて「海賊王に、俺はなる!」とかガチで言い始めたら、どう考えてもヤバイ。

けどワンピースの世界ではそれは極めて”普通”の事だ。

 

つまり”普通”というのは、世界観が生み出した一種のファンタジーであり、絶対的なものではないのである。

この事を理解すると、ちょっとだけ生きるのが楽になる。

 

別の文化コードを転用したら驚くほどに楽に挨拶ができるようになった

実は僕は挨拶を始めとする礼儀作法が大の苦手で、いまでも大部分は全然駄目である。

別に挨拶をしなくても生きてはいけるのだが、やはりしておいた方が物事がうまく運ぶ事が多い。

 

どうにかして日常スキルに落とし込みたいなーと思っていたのだけど、最近自分の中で少なくとも挨拶に関して言えば

「私はあなたの敵ではありません」

という欧州での意味合いを込めての「ぐっど、もーにん」なら、自分にでも驚くほど楽に”挨拶”ができる事に気がついた。

 

考えてみると、欧州での「ぐっど、もーにん」は僕にとってそこまで受け入れがたい文化ではなかった。

なら、それを日本社会で転用すればいいだけの話だったのである。

 

このように、他国の文化を自分の文化に逆輸入することは実は全然可能なのである。

これは自分にとって、かなり衝撃的な気付きであった。

 

郷に入っては形は従うけど、心の中は自由だ

仮にルフィーがこちらの世界に異世界転生したとしよう。

彼がいつまでたっても「海賊王になる!」を連呼してたら周りのみんなは彼をただのアホだと扱うだろうが

「ジョブスみたいになって世界に革命を起こす」と言ったら、たぶんみんな”安心”するのではないだろうか?

 

かつての世界のルフィーとって諦めがたい海賊王という夢だって、ジョブスという私達の文化コードに載せてくれればみんながそれで納得する。

それどころか「ルフィーも、ようやくこの世界に馴染んできたな」とかウエメセで言ってしまう奴すら出てくる始末だろう。

 

「郷に入っては郷に従え」というけれど、実はそれは姿形の話である。

心の中は実は自由だ。

 

お作法を遵守しつつ心の中で別の概念を唱えても、それは世界にとっては極めて”普通”の事になる。

例えばルフィーが”ジョブスみたいな”を海賊王という意味合いで心の中でいくら叫ぼうが、それは彼の自由だ。

 

どんなに合わない世界でも、心まで整形する必要なんてない。

外国語を話すがごとく、別の文化コードを転用して隷属した”ふり”をして乗り切れば、世界はあなたにとても優しくなるのである。

 

多様な文化に学びがある

世界と文化、この2つの構成要素さえ理解できれば、合わない自国であっても、まるで海外で外国語して意思疎通を上手にやるようにうまく立ち回る事だって可能なのである。

 

あなたがおかしいのは、帰国子女が日本で悪目立ちするように、たまたま世界観にマッチしていないからなのかもしれない。

けど、そんなあなたでも立ち振る舞いをチョコっと変えるだけで、周りのみんなはひどく優しくなる。

 

なにも心の中まで変える必要はない。

アメリカに行ったら英語を話すのがマナーみたいなもんで、形が大切なのだ。

心の中の大切な部分まで変える必要なんてない。

中身なんて相手にとっちゃ、どうでもいいのである。

 

そういう事もあって、最近僕は文化圏ごとの日常生活のほんの些細な違いを知るのが物凄く面白くなってきた。

「ぐっど、もーにん」みたいな、自分にとってやりやすいお作法がそこかしこに宝の山のように埋もれている。

 

キメラの如く、様々な多様な文化で自分の生活を武装し「あの人はよくできた人だ」と他人に言わせられるかのように人間道・黒帯を体道するのが最近の目標である。

 

多様な文化はとても面白い。

自分という、大切な心を守るのにこれほど役に立つものもそうそうない。

これらが5年後越しで学べただけでも、若い頃の欧州旅行は安かったなと思う。

 

いやはや、まさしく百聞は一見にしかず、である。

また知らない国に旅に出かけて、新しい学びを自分の中に逆輸入しにでもいきますかね。

 

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高須賀

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(Photo:Tim Parkinson