個人的に、ずーっと納得いかないことがある。
それは、「電子決済できない日本は遅れている」という主張だ。
わたしはほとんどスマホを使わないし、電子決済といっても、電車に乗るときにパスモを使うくらいなもの。
もっぱら現金&デビットカードだ。電子決済ってそんなに偉いの?
たしかに電子決済は便利だろうし、もう少し普及したほうがいいのかもしれない。
でも、「電子決済できないことが悪」という出発点から「日本って本当に遅れてるよね〜」なんて言葉を聞くと、「電子決済がそんなに偉いんですか?」と言いたくなる。
一概に「いい」「悪い」を判断できないことなのに、電子決済ができないとなぜか勝手に「ダメ」だと判断される。
世の中には、こういうことが本当に多い。
チュニジアに建てかけの家が並んでいる理由
「ビル・ゲイツが大絶賛」「100万部超の大ベストセラー」という触れ込みで、どこの書店でも見かける『FACT FULNESS(ファクトフルネス)』という本。
久しぶりに実家に帰ったところ、父親がもっていたので拝借して読んでみた。
同書では、チュニジアにある建てかけ家を写真で紹介している。
壁からは柱らしきものが飛び出し、まだ屋根も乗っかっていない家。チュニジアではこういうことも珍しくないらしい。
……なんて聞くと、「発展途上国だと建築事情がよくないんだな」「まともに家を建てられないのかな」なんてことが頭をよぎる。
少なくとも、いい印象は抱かないだろう。
でも、現実はちがう。
・チュニジアには銀行口座を開けず、ローンを借りられない人が多い
・でも現金でお金もっていると、盗まれたりインフレで価値が下がったりする
・だから価値が減らないレンガを買っておく
・家にレンガを置くのは無理だし、外に出しておくと盗まれるかもしれない
・買ったレンガで家を建てれば盗まれないし、インフレも関係ない
・10年以上かけて、レンガを買うたびに家を建てていけば、ゆっくりといい家を建てられる
という、現地の事情を踏まえたうえでの知恵だったのだ。
これについて著者は、
わたしたちは、サルヒさんたちが怠け者だとか計画性がないとか、はなから決めつけず、相手が賢いという前提に立って、こう問うてみるべきなのだ。
なぜこのやり方が理にかなっているのか、と。
出典:『FACTFULNESS』
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉 周作,関 美和
- 日経BP
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と綴っている。
一見おかしい、不合理のように思えることにも、合理的な理由があるのかもしれない。その可能性をちょっとは考えてみよう。
なるほど、そのとおりだ。
リモートワークができない企業は「時代遅れのブラック」なのか
一概に、「いい」「悪い」の判断ができないことは、この世にたくさんある。
いや、むしろそういうもののほうが多い。電子決済の是非もそうだ。
たとえばリモートワーク。日本ではまだ普及しているとは言いづらく、「遅れている」と言う人も少なくない。
しかし、実際にリモートワークを導入したが結果的に撤回・廃止した企業もある。
リモートワークができない=遅れているブラック企業とは言い切れない。
ほかにも、労働問題が山積みの日本においてメンバーシップ型の働き方が諸悪の根源かのように言われることもある。
でも、そのおかげでなんのスキルももっていない大学生が大手企業から内定をもらえ、企業内でスキルを身に着けることができ、勤続年数に応じてある程度給料アップが見込めるという現実もある。
完璧な仕組みなわけではないけど、それなりに「理がある」からこの仕組みになったのだ。
逆に、「理がない」と判断されれば、リモートワークのように撤回される。
そういう意味で、「自分の価値観だけで判断せず、なぜそうなっているのかを考えよう」という『FUCTFULNESS』の主張は、とてもまっとうだ。
「死刑制度が減ったから世界は良くなっている」という主張の是非
でも同書のなかで、ちょっと気になったところがある。
それは、「世界はどんどん悪くなっていると思われているけど実はよくなっている」ことを、データで示している箇所だ。
「増え続けている16の良いこと」に、自然保護や女性参政権、識字率、安全な飲料水、予防接種、電気の利用などが含まれているのは納得できる。
注目したいのは、「減り続けている16の悪いこと」だ。
HIV感染、児童労働、核兵器、飢餓、戦争や紛争の犠牲者が減っているのは、たしかに「良いこと」だろう。
でもそこに、「死刑」という項目がある。
死刑制度がある国の数が減っているというデータを示し、それを論拠のひとつとして「世界は良くなっている」といっているのだ。
さて、死刑制度を「悪いこと」と断じていいのだろうか?
合法的殺人は認められるのか、冤罪の場合どうするのか……。そういった議論があることはもちろん知っている。
でも死刑制度は現状、「理にかなっている」と認められているから存在しているのだ(わたし自身が賛成・反対かは別の話)。
それなのに、死刑を当然のように「悪いこと」にカテゴライズし、それが減ったことを「信頼できる客観的データによる論証」として使い、「ほら世界はよくなっているでしょ」と主張する。
それは、「電子決済が絶対善」という結論が出ていないのに、「電子決済できない日本は遅れている」と断じるのと変わらない。
これこそ、著者自身が語っている「なぜそのやり方が理にかなっているか問うてみるべき」案件じゃないだろうか?
自分の価値観で、事実を「良い」「悪い」に分けてしまう
著者は「最後にひとこと」でこう書いている。
わたしは知識不足と闘い、事実に基づく世界の見方を広げることに人生を捧げてきた。〔……〕事実に基づいて世界を見ると、心が穏やかになる。
ドラマチックに世界を見るよりも、ストレスが少ないし、気分も少しは軽くなる。ドラマチックな見方はあまりにも後ろ向きで心が冷えてしまう。
事実に基づいて世界を見れば、世の中もそれほど悪くないと思えてくる。これからも世界を良くし続けるためにわたしたちに何ができるかも、そこから見えてくるはずだ。
たしかに、死刑制度がある国は減っているから、「事実に基づく世界」ではある。
でも、じゃあ現実はどうだろう? 死刑制度が減って、世界はどこがどう良くなったんだろう?
児童労働が減ったことは喜ばしいけど、児童労働が禁止されたことで働き手がおらず、困窮する農家があったらどうだろう?
それでも「児童労働が減って世界が良くなった」と言っていいんだろうか? その環境にはその環境の「理」があるかもしれないのに?
それならまず、「児童労働は悪」という「理」を示すべきじゃないのか?
そもそも、「良い世界」ってなんだ? 平和で、環境破壊がなくて、みんなが豊かで仲良くすること?
では戦争によって科学が発展し、環境を破壊したことでたくさんの恩恵を受けた現実からは目をそらすのか?
それなら、科学の発展が滞り環境保全のために不便な暮らしをすることになっても、戦争せず環境を守ったほうがいいという「理」が必要じゃないか?
事実は大事だ。でも、事実を見たからって現実を理解できるとはかぎらない。
自分の価値観や、主に欧米が構築したグローバルスタンダート的な考えで「この事実は良いこと」「これは悪いこと」と断じてしまうのは、ファクトフルネスという考えに反するんじゃないだろうか。
「事実」をきっかけに、「理解」をめざしたい
わたしはなにも、『FACT FULNESS』という本を批判したいわけじゃない。
戦争の犠牲者が減ったことは「良いこと」だと思うし、予防接種を受ける人が増えたのも「良いこと」だ。
でも、事実だけがあってもしょうがない。
ウソをつうじて世界をみるのは論外だけど、事実をとおして世界を見たからって、実像に近づけるとはかぎらない。
現実的にそのデータがどういう意味をもつかを考えなきゃ、世界の良し悪しなんて語れない。
自分なりに「事実」と向き合って、それが「いい」か「悪い」かを考える。
その判断は、自分の価値観だけに依存するのではなく、その場における「理」もできるだけ考慮する。
なぜ死刑制度が必要なのか。その国の司法制度と文化背景は。他の国はなぜ廃止したのか。ではどうすればより良い世界になるのか。
そうやって、「事実」をきっかけに、「理解」をめざしたい。
事実を現実に即したかたちでより正しく解釈し、実像をつかむ。これが、わたしなりの「正しい世界の見方」だ。
この本は、多くの人が手に取ったことだろう。
それぞれが思う「正しい世界の見方」に対する意見も、ぜひ聞いてみたいものだ。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち (新潮新書)
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ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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