「若者」の季節が終わり、「中年」の季節が始まる。そしてだんだん慣れていく。
40代前半ぐらいの頃、私は自分が若者から遠ざかり、若者ではない何かに変わっていくことに驚いていた。
変わっていく自分自身が興味深くて、気づきもたくさんあって、だから私は当時の心境を一冊の本にまとめた。
若者でなくなった喪失感がないわけではないけれども、中年は中年で得るものがあり、まんざら悪い境地でもないことが、当時の私にはすごく新鮮に感じられたものだ。
歳を取るというのは決して悪いことばかりではありません。
若さが失われるかわりに、昔はわからなかったことがわかるようになり、知識や経験が蓄積していく側面を伴っています。
中年になればこそ、できること、やりやすくなることもたくさんあります。
「歳を取りたくない」「若者のままでいたい」と考えてしまう人たちが思うほどには、未来は絶望的ではありません。
それから数年が経過して。
私の心境はまただいぶ変わった。
「中年は若者とは違うぞ」「まんざら悪い境地でもないぞ」と、好奇心をもって自己観察していた頃の自分はもういない。
中年の境地を新鮮に感じるセンシティビティを私は失い、そのことに驚いて文章を書きまくっていた頃を少し恥ずかしく、少し眩しく思うようになってしまった。
40歳の頃の私は「中年になったことを新鮮な気持ちで書ける時間は、たぶん短い」と予測していて、「だから今のうちに書いてしまおう」なんて小利口にも思っていたわけだけど、実際、そのとおりになった。
私はもう、自分が中年であることにすっかり慣れてしまった。
「自分」がどんどん薄くなっている感じがする
で、中年であることに慣れてしまったと同時に、私は自分自身の輪郭がだんだん曖昧になり、自分というものが以前に比べて薄くなってきたと感じている。
最近うれしかったことを思い出すと、たとえば子どもが『スプラトゥーン2』で高ランク帯に昇格したこと、親族で慶事があったことなど、身内のことが思い出される。
自分とつながりのある人が発展していくこと・活躍していくことも自分事のように感じられる。
同様に、自分がよく知っている人の不幸や災難が気にかかり、どうにかその人が切り抜けたという報せを耳にして胸をなでおろしたりした。他人事が、自分事のように感じられる。
一方で、自分事が以前ほど自分事として感じられない。
たとえば2020年の6月、私は昔から挑戦してみたかったテーマをようやく本として出版し、あちこちで話題にしていただいた。
ひとつの出版企画として十分に成功したし、私は、いただけるものをいただいたのだと思う。
ところが本が出版されてからこのかた、それらが他人事に思えてしまう。
新聞や雑誌のインタビュー記事にうつる自分も、私が喋ったというより、私を素材に作っていただいたプロダクツにみえる。
自分が書いた本そのものにしてもそうだ。
あれは、編集者の熱意や出版社の企画力によって私という素材が一冊の本になったのではなかったか?
確かに本を執筆したのは私自身で、インタビューに応じたのも私自身ではある。
だけどそれらを自分自身として・アイデンティティの一部として受け取ることが難しくなっている。
強いてアイデンティティの一部とみなすとしても、それらは「私たち」のプロダクツであって、自分だけの独占物じゃない。
本業としての精神医療について言えば、自分という感覚はもっと希薄になる。
現代の精神医療の診断と治療は国際的な診断基準やガイドラインに基づいていて、私自身のアイデアや価値観が入り込む余地は乏しい。
診療面接で用いる言葉のひとつひとつについても、自分の頭で考えたことを自分のまましゃべっていることが若い頃よりずっと少なくなった。
精神医療の現場で好ましい言葉とは、オリジナリティーの高い自分の言葉ではなく、専門家として好ましくTPOも弁えた、職業的な言葉ではないか?
もしそうだとしたら、職業人として突き詰めれば突き詰めるほど、私は、精神科医と名付けられた医療端末になっていく。
医療端末に、自分という意識は必要だろうか?
時々、必要だと感じることはある。
まだ精神科医には、人間であったほうが良い場面があると思う。
でも人間で無くて構わないこと・無いほうがうまくいくことだってあるようにも思う。
若かった頃に比べると、自分という意識をスリープさせたまま職業的ボキャブラリーを順列組合せしていくメソッドに、私は有効性や魅力を感じるようになった。
そういう時の私は自動操縦で喋っているようなもので、私のかわりに職業的ボキャブラリーが喋ってくれる。
そうでなくても、精神医療には「チーム医療」という言葉がよく似合う。
看護師、ソーシャルワーカー、公認心理士、薬剤師、作業療法士、事務職の皆さん、等々があわさってはじめて医療としての機能を果たす。
院外の保健師やグループホームの世話人さん、製薬会社のスタッフさんの役割も小さくない。
そうしたなかで、私が果たしている役割はどこまでも全体の一部でしかない。
自分というものを強く意識した精神医療より、たくさんの人の顔を意識した精神医療のほうが、今の私の職業観にはずっと馴染む。
そうやって、家庭人として・物書きとして・職業人として自分と自意識が薄くなっていくうちに、何か、このまま「私たち」の繋がりのなかに埋没し、そのなかでグルグル回っていればいいんじゃないかと思うことが増えてきた。
もしこの「私たち」という繋がりのなかで生きていけるとしたら、それがお互いのアウトプットや幸福のためになるのなら、別に、自分という輪郭はあってもなくても構わないのではないか。
自分が薄くなってしまった中年は悲しい……のか?
少し前に、誰かがtwitterで「自分が薄くなってしまった中年男性の悲哀」を否定的につぶやいていた。
自分が薄くなってしまい、家庭や勤め先に奉仕するばかりの哀れな中年。
自分という枠組みを大切にしている人が、そういう中年像をネガティブに語るのは理解できることではある。
ところが今の私は、自分が薄くなった境遇を必ずしも否定的に感じることができない。
自分自身についてメタな思考を空回りさせることが少なくなり、他人のために時間を費やすことと自分のために時間を費やすことの境界があいまいになったと思う。
自分という意識が薄くなったぶん、私は私自身であると同時に誰かと共にある私、または、誰かのためにある私でもあるようになってきた。
それを不幸だとは感じない。
くだんのtwitterの人に言わせれば、今の私はまさに「自分が薄くなってしまった中年男性」かもしれないが、体感としては、悲哀の境地から遠い。
自意識がオオカミみたいな遠吠えをしなくなったことまで考慮するなら、むしろ今の境地は幸福ではないか、と思うことさえある。
このまま自分が薄くなり続けて、自分というより「私たち」という意識が強くなっていったら、私は今までどおりに文章を書いたり考えたりできなくなってしまうかもしれない。
実際、ここ数年のうちに、私は強い自意識に支えられた文章を書いたり、力強い自己主張をしたりする文章を書きづらいと感じるようになった。
もし、最近の私が書いた文章で力強い自己主張のようにみえるものがあったら、それは「頑張って書いている」か「盛って書いている」ものだ。
この文章も、どこか盛って書いているかもしれない。
昔は自然にキーボードを叩いていれば良かったものが、今では盛らなければと意識しながらキーボードを叩かなければならなくなっている。
それもひとつの喪失なのかもしれない。けれども今はこれでいいと思う。
幸福や不幸が、もう、自分自身という小さな容器のなかで揺れ動くのでなく、自分たち・私たちというもう少し大きな、自分が希釈された容器のなかでゆったりとした波をかたちづくっているように、今の私は感じる。
こんな心境が存在することを、過去の私は知らなかったし、誰も教えてくれなかった。
自分の無い中年というと不幸に聞こえるかもしれないけれども、実際はそうとも限らないみたいですよ。
私は今、「私たち」の国の住人になっている。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo by Paolo Chiabrando