TVアニメ「平家物語」公式サイト

2022年の1月から3月にかけて、フジテレビ系列やアマゾンプライムなどでアニメ『平家物語』がオンエアーされていた。

監督が『映画 聲の形』や『リズと青い鳥』などを手掛けた山田尚子だからか、アニメ通の人は放送前からマークしている様子だった。

 

私は違った理由でこれをマークしていた。

なにしろ、『平家物語』なのである。冒頭の“祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり”がとりわけ有名だが、その点に限らず、『平家物語』には平安仏教……というより末法思想が花開いて鎌倉仏教に突入していく仏教の美意識がふんだんに宿っている。

そうした日本の大乗仏教っぽい美意識が、散りゆく桜を愛でる日本人の美意識と繋がっているさまを示す作品のひとつが『平家物語』だと私は勝手に思っているし、本来、日本人に対する強い訴求力を秘めた作品だとも思っている。

 

 

軍記物語に染み入る諸行無常

『平家物語』は、『太平記』などと並ぶ軍記物語というジャンルの作品で、平清盛や平知盛、木曾義仲や源義経といったたくさんの英傑が登場する。

武士ではないが、後白河上皇も当代きっての英傑といえるだろう。それ以外にも無数の武士たちが登場し、活躍する。

 与一、目を塞いで、「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくはあの扇の真中射させて給ばせ給へ。これを射損ずるものならば、弓切り折り、自害して、人に再び面を向かふべからず。今一度、本国へ向かへんと思し召さば、この矢外させ給ふな」と、心の内に祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。

(『平家物語』巻11、那須与一より)

たとえば有名な那須与一のシーンにおいて、彼は遠すぎる扇を射るためにこのように祈りを捧げ、その後、鏑矢で扇を射ってみせる。

 

しかし那須与一は平家物語のなかでは登場回数の少ない、いわば脇役武士だ。

けれども平家物語の楽しさの一部は、こういう脇役武士が源氏側にも平家側にもたびたび登場し、印象的なエピソードを残している点にもある。

 

そうしたわけで、『平家物語』には男の子が胸を弾ませるようなシーンも多く、特に中盤以降は激戦の連続だ。

もし、激戦の描写だけ切り取って読むなら、『平家物語』が悲しい物語とはそれほど想像できないだろう。

 

けれども全編通しで見るなら、やはり『平家物語』は悲劇的だ。

そもそも冒頭の「祇園精舎の鐘の声~」という例のフレーズじたい、仏教の精髄ともいうべき諸行無常のならいを突き付けているのだから。

 

なかでも平家の栄華と没落は圧倒的で、「平家にあらずんば人にあらず」と言っていたはずの平家が大敗を繰り返し、あちこちから見放され、壇之浦の藻屑と消えていくさまは忘れがたい。

その極めつけは、なんといっても壇ノ浦の戦い、そして安徳天皇の入水だろう。

 幼き帝、山鳩色の御衣に角髪結はせ給ひて御涙におぼれ、小さく美しき御手を合わせ、まづ東を伏し拝み、その後、西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがて抱き奉り、

「浪の下にも都の候ふぞ」
と慰め奉つる。
悲しき哉、無情の春の風、忽ちに花の御姿を散らし、情けなきかな分段の荒き浪、玉体を沈め奉る。

アニメ版では、琵琶法師・兼・視聴者視点でもある主人公のびわが、このように入水の状況を謳い語る。

引き続いて、帝の母である徳子の入水、平家一門の入水が描かれ、ついに平家は滅亡する。

 

このシーンを含めて、アニメ版『平家物語』は原作の大乗仏教らしさをほとんど回避していない。というより積極的に描いているようにさえ見える。

仏御前の出家シーンでは娑婆の栄華を夢のまた夢と言い、びわの母親との再会シーンでは鐘の音を打ち鳴らし、大原・寂光院での後白河法皇と徳子の再会シーンでは誰もが手を合わせ、六万体地蔵菩薩が登場する。

その地蔵菩薩と徳子を繋いでいた五本の糸も、見れば仏教を象徴する五色旗をなしていた。

 

原作の『平家物語』のうちに何をみて、そこから何を描くのかの取捨選択は作り手に委ねられているのだけど、今回のアニメ制作陣は、大乗仏教の世界観や精神性を割と重視している(そして表現の触媒としてあてにもしている)よう見受けられた。

 

私は大乗仏教の世界観や精神性に親しみをおぼえる者だから、こうした表現のひとつひとつに感動し、世の無常に思いを馳せ、手を合わせたい気持ちになった。

私がそう感じるのは、私が大乗仏教スキーな人間だからかもしれない。それを別としても、大乗仏教的表現をとおして平家物語の良さが伝わりやすくなり、日本人視聴者の世界観や精神性に響きやすくなるという計算や期待が制作陣サイドにあってもおかしくはない、と思った。

 

仏教は仏教でも大乗仏教、その「祈り」

さきほどから私は、仏教、ではなく大乗仏教とわざわざ断っている。

それは、仏教にも色々あるなかで、原作およびアニメ版『平家物語』からは、なかでも大乗仏教らしさが強く感じられるからだ。

 

では、大乗仏教らしさとはいったい何だろう?

 

およそ仏教と呼ばれる宗教には、どの宗派にも原則として共通する要素がある。

なかでも諸行無常が有名だが、この諸行無常に加え、諸法無我、涅槃寂静を加えた三つの教えを特に三法印と呼ぶ。

 

そうでなく、とりわけ大乗仏教に共通しているのは、私が見聞きした限り

「誰もが輪廻を解脱できるわけじゃないし、誰もが悟りを開けるわけじゃない。そうやって自分も他人も苦しんでいるなかで救いをどうするのか」

という問題意識だ。

 

如是我聞、大乗仏教には、人はそんなに簡単に解脱したり悟りをひらいたりできないよ、娑婆は苦しいけどみんな一生懸命に生きているよ、という含みがあると思う。

もちろん悟りの境地や解脱の境地に至れば、輪廻転生の苦しみから逃れられるだろう。

けれども大乗仏教には、その解脱がまさに難しいこと、結局娑婆でのたうつように生きていかなければならない人が大多数であることを前提として、世界をどう見るか、自分はどうするか、他者に対して何ができるのか、思案するきらいがある。

 

たとえば大乗仏教には菩薩道という思想と実践があるが、これなども、自分自身の悟りに向かって頑張るというより、悟りになかなか至れないなかでも現世で少しでも善いことをしていこう、多少なりともリードしている人がいたら周りのもっと苦しんでいる人にも救いを少しでも分け合っていこうよといった含みがある。

観音菩薩や地蔵菩薩も、基本的にはこうした菩薩道を行く者だ。それだけじゃない。お坊さんだって、ここでいう菩薩道をやっていくために頑張っている。在家の信徒だってそうかもしれない。

 

まあ観音菩薩や地蔵菩薩になんてなれるものじゃない。でも、できる時に、できる範囲の菩薩道をやっていきましょうよって雰囲気は、私が見聞したどこの説法にも通底していた。

その菩薩道を行くための道筋はもちろんいろいろあり、宗派ならば浄土系・禅宗系・密教系など、経文なら法華・般若・阿弥陀など、さまざまだが、とにかく、自分一人が悟りにまっしぐらではない含みが大乗仏教には確実にある。

 

そうした目線で『平家物語』、とりわけアニメ版を見ると、そこにある仏教描写はまさに大乗のソレであると思わずにいられない。

悟りもなく、救いもなく、あらゆるものが移ろい、ままならない世界。

そのなかで、それでも私たちに出来ることは何か? そう問わずにいられない時、登場人物たちは皆もろともに手を合わせ、仏に祈りを届ける。徳子の場合、そこに加えて「赦す」が加わるのだけれど。

 

祈る、とは儚いことかもしれない。

けれども実際問題、世の中の動乱の渦中において、人ひとりができることなんてたかが知れているし、出家したからといって、人の世の苦しみから完全に逃れられるわけでもない。

そうしたなかで、自分のために・他人のために手を合わせて祈ること。

 

そこに私は、大乗仏教が継承してきた理念と実践を見ずにいられない。

たとえ自分自身が悟りに至れず、たとえ衆生を救えるわけではないとしても、仏御前や徳子や後白河法皇は手を合わせる。

ほとんど自然に、手を合わせる。それらは、日本文化圏で育まれ、長らく継承されてきた(うすらぼんやりとしたものではあっても)宗教観の一部であり、また、日本人の美意識とも結合した所作ではなかっただろうか。

 

いちばん新しく楽しみやすい平家物語。おすすめ

こうした大乗仏教らしい世界観や精神性に、移りゆく季節の描写や美しい花々の描写をミックスさせた結果、アニメ版『平家物語』は、たいへん美しい悲劇の物語としてできあがっている。

アニメで悲劇をやったらどうなるのかと思いきや、なるほど、これは立派な悲劇だった。

それも、出来の良いアニメだからこそ描ける悲劇だ。

 

今、一番新しい『平家物語』にして一番わかりやすい『平家物語』はこのアニメ版だと思うので、平家物語を通しで見てみたい人には満を持してオススメしたい。

映像・音響・演出といった面でも秀逸だし、11話構成と尺が短いのもありがたい。

 

作中、主人公であるびわは「語り継ぐことが平家のためにできること」と言い、琵琶法師となって平家物語を語り継ぐことになった。

それで言えば、2022年を生きる私たちに出来ることは『平家物語』を楽しみ、その世界観や美意識を継承し、忘れないことにあると思う。

そうしたわけで、私はbooks&appsをお読みになっている人にもこの『平家物語』を推したくなったので、このような文章を書いた。

 

 

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(2022/11/25更新)

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo by Derek Lee