本当の豊かさって何だろう?
夏の終わりには、ふとそんな疑問が頭をよぎる。毎年8月下旬になると、日本テレビのチャリティー番組、24時間テレビ「愛は地球を救う」の宣伝が目に入るせいかもしれない。
子供の頃の私は、夏休みの終わりに24時間テレビを見るのを楽しみにしていた。
当時は、アフリカやアジアの貧困国からロケをして、海外のドキュメンタリー番組や豪華俳優陣による特別企画ドラマが放送され、始めから終わりまで見応えがあった。中でも一番楽しみだったのは、2日目の朝10時から放送されるスペシャルアニメだ。
手塚治虫が原作のオリジナル長編アニメが、劇場版に引けを取らないクオリティで24時間テレビ用に毎年制作されていたのである。
かつて潤沢にあった番組の制作予算がいつから乏しくなったのかは知らないが、私が24時間テレビを見なくなったのは、タレントがマラソンを走り始めた頃からだ。
昭和の時代から見続けていただけに、番組が次第に安っぽくなり、内容も内向きに小さくまとまっていく様子を見るのは忍びなかった。
それはそのまま、日本の経済力と日本人のメンタリティーの変遷と重なって見えたから。
「はぁ、お金がないって嫌だな」
と思ってしまう。貧乏臭くて。
けれど、バブルだった頃の日本では、逆に日本社会の驕り高ぶった金満ぶりについていけず、違和感を覚える人たちも多かったのだ。ゆえに、
「私たちは経済的な繁栄と引き換えに、大切なものを見失ってしまったのではないか」
「私たちは発展の道を歩みながら、いったい何を置き去りにしてしまったのだろう」
「本当の豊かさとは何か?」
などの問いかけが、様々なメディアを通じて聞こえていた。
あの頃の日本では、自分たちがやがて貧しさに逆戻りするなんて、誰も予想していなかったのだ。
だからそんな呑気なことを言って、昔を懐かしがっていたのだろう。
「繁栄にブレーキがかかっても、取り戻したがっていた『大切なもの』や『置き去りにしたもの』、『本当の豊かさ』とやらは、ちっとも戻って来ないみたいですよ!」なんて、当時の大人たちに皮肉を言ってみたくなる。
近頃は毎日のように円安が進み、物価も上がっていくので、物を捨てるのも買うのも躊躇を感じるようになった。
今必要がないからと安易に捨ててしまうと、後で必要になった時には高価になっているかもしれず、生きていくために最低限必要な経費が値上がりしていく中では、「暮らしに彩りを添えてくれるけれど、必要ではないもの」にまでお金を回す余裕がない。先が見えない状況で無駄なことはできないのだ。
「あぁ、余裕がないって嫌だな」
と思ってしまう。殺伐として。
けれど、「あれがナイ、これができナイ」と、「ナイ」ことにばかり気持ちが引っ張られそうになる時、私は高知の山間部でご馳走になった塩おむすびと、エイコさんの話を思い出すことにしている。
エイコさんは、高知県仁淀川町(旧池川町)でこんにゃく作りをしていた女性だ。
私がお会いした時、70歳はとうに過ぎていらしたけど、とても若々しくて、背筋の伸びた素敵な人だった。
エイコさんだけではない。あの11年前の夏の日、私たちをもてなしてくれた70代から80代の元気な女性たちは、みな逞しく、それでいて柔らかく温かで、「お婆さん」とは呼び難い。「お母さん」と言った方がしっくり馴染む。
そんな仁淀川町のお母さんたちは、山の中の清流のほとりで、ほとんど自給自足のような暮らしをしながら、協力しあってこんにゃく工場を切り盛りしていた。
仁淀川へ行ったのは、その日が初めてだった。「仁淀ブルー」と呼ばれるほど、その水が澄んで美しいことも初めて知った。
基本的にアウトドアが苦手な私は、それまでキャンプなどしたこともなければ興味もなかったのだが、その年の夏は娘が通う幼稚園のママ友に誘われ、娘のために自然体験合宿ツアーに参加してみることにしたのだ。
2泊3日の合宿の2日目に、仁淀川での川遊びとバーベキュー、そしてキャンプが予定されていた。
川遊びは3時間ほどの予定だったけれど、盛夏でも山間を流れる川の水は凍えるほど冷たくて、1時間と遊んでいられなかった。大人も子供も震えながらキャンプ場へ戻ると、そこにお母さんたちが山ほどのご馳走を並べ、もてなしの支度をしてくれていたのだ。
それはツアーの予定にはないことだったけれど、溢れんばかりに並んだ心づくしの料理は、お母さんたちが私たちのために1日かけて準備をしてくれたものだ。
そこで主催者は急遽バーベキューを取りやめ、私たちはありがたくもてなしを受けることになった。
塩焼きの鮎は川の恵み。きんぴらのイタドリは山の恵み。味噌田楽の豆腐やこんにゃくはお母さんたちの手作りで、じゃがいもと煮浸しのナスはお母さんたちの畑から収穫されたばかり。
どの食べ物からも力強い命の味がして、お母さんたちの真心が胃袋を通して体の隅々にまで染み入ってくるようだったけれど、私が最も美味しさに感動したのは白米の塩おむすびだ。
それまでの人生で口にしたどんな食べ物よりも美味しかった。きっとこの土地を流れる清水で炊くから、米の味が違うのだろう。
具が入っていないおむすびも、山のイタドリも手作りこんにゃくも、それまではどちらかと言えば苦手な部類の食べ物だったので、美味しいと思ったのは初めてだ。
心温まるもてなしの後、「今夜はエイコさんからお話を聞かせてもらいましょう」とツアーの主催者に促され、私たちはこんにゃく工場の代表であるエイコさんを囲み、里山での暮らしや仕事、そして環境への取り組みについてお話を聞かせてもらうことになった。
エイコさんたちが暮らしているのは、いわゆる限界集落だ。
もはや住んでいる人が殆どおらず、お母さんたちも一人暮らしの方が多い。すでに伴侶は他界しており、息子や娘は生活に便利な都市部へ出ていってしまっている。
しかし、それを寂しいとは思わず気楽と捉え、みな生き生きと暮らしていた。
残された女同士で肩を寄せ合い、畑で野菜を栽培し、工場でこんにゃくを作り、車を運転して自分たちで高知市内のスーパーに卸す。そうやって生活の糧を得て、自立した生活を送っていた。
「今ではもう住人が少なくなってしまって、今日みたいに子供たちの声が響くことも無くなったけど、昔はここにも学校があったんですよ。
私たちが子供の頃には、クッキーみたいなお菓子がおやつに出てくることはなくってね。甘いおやつといえば、庭になる柿の実だけ。だから、毎年秋が来るのがとっても楽しみでした。
それと、山菜のイタドリもおやつでした。学校帰りに、道端に生えているイタドリを折って、それを生でシャクシャク齧りながら帰るの。イタドリをたくさん採って家に帰ると、親からお小遣いがもらえたわ。そしてお金が貯まったら、隣町の手芸屋まで布を買いに行くんです。
お店までは崖沿いの細い道を歩いて、1時間以上もかかりました。今考えると危ないんだけど、その崖の細道を兄弟たちと手を繋いで歩いていく道中はウキウキして、お店に着いたら、どの布地を買おうか悩むのがまた楽しかった。
お街と違って山の上だったから、お店は1軒しかないの。置いてある品物も少なくて、あれこれ選べるわけじゃないんだけど、それでも買い物はワクワクしました。そして布を買って帰ったら、母が新しい洋服を仕立ててくれるんです。仕上がるのが楽しみでねぇ。
ちょっとした買い物をするのも大変でしたけど、おしゃれをする楽しみと、1枚の服を手に入れる喜びは、何でも安く簡単に買えてしまう今の時代よりも、ずっと大きかったように思います。
ものは無いけれど、日々の暮らしの中には喜びがありました」
エイコさんの話は清々しくて、心洗われる気持ちになった。
18歳で高知を出てから36歳で戻ってくるまで、都会の暮らしにどっぷり浸かっていた私は、すっかり視野の狭いマテリアルガールになっていたと思い知らされた。
刺激と物が溢れた都会で贅沢を覚え、傲慢になり、着飾って出かける場所もない田舎暮らしを嫌っていたのだ。
家庭の事情でやむを得ず地元に帰ってきたものの、目に映る景色には不満しかなく、いつか都会に戻りたいとばかり考えていた。
しかし、自分でも驚いたことに、たった1回の里山での食事が、そうした鬱屈を綺麗に洗い流してしまった。
一食何万円もする都会の高級レストランや料亭での食事よりも、仁淀川町のお母さんたちが作ってくれた塩おむすびの方が、ずっと美味しくて心が震えたのだ。
まるで「千と千尋の神隠し」で、ハクからおむすびをもらった千尋みたいに、生き返った気持ちがした。
命の味がするご飯。それはどんなにお金を払っても、都会では食べることのできない贅沢な食事だ。
大袈裟ではなく、お母さんたちからおもてなしを受ける前と後では、見える景色がまるで違う。冷たく透き通った仁淀川の豊かな水の流れの中に、都会への未練は消えていった。
「本当の豊かさ」に定義はない。それは人によるだろう。
ただ、私にとっての「本当の豊かさ」とは、澄んだ水と人の温もりが染みたおむすびが食べられることと、そのありがたさが分かることだ。
世の中が今後どう変化していくのか分からないが、あの時のおむすびの味わいとエイコさんの言葉を忘れずに居れば、何があってもきっと乗り越えていける気がする。
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【著者プロフィール】
マダムユキ
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
Twitter:@CrimsonSepia
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