ネコチャン

おれの好きなネット用語がある。いや、ネット用語とも言えないか。

たまにネットで見かける字面である。それが「ネコチャン」だ。

 

かわいい猫動画などにただ一言「ネコチャン」と書かれていたりすると、「うわー、この人、猫に脳みそやられてんなー」と思う。

「猫ちゃん」でも「ネコちゃん」でもない、「ネコチャン」。なにかもう思考が全部吹っ飛んだ人間が言ってる感じがする。

 

そしておれも猫動画など見ると、頭の中は「ネコチャン」になるのだ。

まるで『チェンソーマン』の「ハロウィン」ではないか。怖ろしい、怖ろしい。

 

猫とおれ、おれと猫

さて、本題に入る前に、そんなおれと猫について明かしておこう。

おれが中学に入ったころだったか、実家の庭に一匹の猫が来るようになった。

 

なんか、夜、窓の向こうからうちの中を覗いていたような気がする。そこでなにか餌でもやったのだろうか。よく覚えていない。

だが、いつしかずいずいと家の中に入ってくるようになった。なにせ鎌倉の田舎のことである。

 

とくに家猫(室内でのみ飼う猫)にしようという気もなく、首輪はつけたものの、外に出たがればドアを開けてやってどこかに行ってしまう。家に入りたければ庭の窓の前でニャアニャア言う。そしたら入れてやる。

半ノラとでもいうのか、『木曜日のフルット』的というか、猫らしい気ままな存在であった。

 

父はその雄のキジトラに「ミー」という名前をつけた。由来はよくわからない。

なかなか精悍な顔をした猫だった。野良暮らしの経験があるからだろうか。

 

が、そのミーが家に戻らないことが多くなった。心配して探したりもしたが、ついに戻らなかった。

まだ老いているような感じもなかったので、新たなる縄張りを求めて旅に出たのだと思う。

 

それからしばらくして、父が会社の人から仔猫を二匹もらってきた。父はもう猫に脳をやられていたからだ。

一匹は先代のミーと同じ雄のキジトラ。名前も「ミー」になった。もう一匹は三毛猫の「ピー」である。ピーの由来はPHSだが、なぜ父がPHSを由来にしたのかはわからない。

今度は去勢手術をはじめきちんと飼うことになり、外には出さない家猫とした。わが家は猫のいる家となった。

 

それから十数年、おれは二匹の猫のいる家で暮らした。

飼い猫というものについては、あるいていどわかっているつもりである。猫のことをわかるだなんて、簡単に言えることでもないが。

 

その後、わけあって一家離散となった。猫は家につくというが、家自体がなくなるのでどうしようもない。

父と母はペット可の物件を探し、そこについていくことになった。おれはひとり暮らしをすることになった。おれと猫との暮らしは終わった。

 

終わってみると、たまに「おれの部屋に入ろうとドアをガリガリやって、ニャアニャア言ってるときは、必ず入れてやればよかったな」とか思うようにもなった。

とはいえ、おれは父と縁を切ってしまったので、もうミーともピーとも会うことはなかった。

 

ミーもピーも長生きした。二匹とも二十年以上生きた。ピーも二十三年くらいまで生きた。

晩年の様子は母から聞いた。ピーがいよいよというときは、とくにたくさん話を聞いた。

なので夢にピーが出てきた。実家の廊下でおれを見上げたあと、振り返って向こうに行ってしまうという、なんでもない夢だった。翌朝、訃報を知った。そういうこともある。

 

その後、ひとり暮らしのおれは猫を飼うことはなかった。安アパートがペット不可なのもあるし、ひとりで猫を飼う余裕がもとよりなかった。

猫一匹の責任は持てないな、というのが正直なところだ。

 

そしておれは、「世界中の猫はおれの猫だ」と思うことにした。

人と歩いていて、おれがあまりにも道端の猫を手懐けるので、あんたは猫使いかと言われたこともある。いや、猫の気を引くにはコツがあるのだよ……。

 

……って、そんなの猫好きあるあるというか、猫好きは猫にも好かれていると思いがちですよね、はい。

 

『猫はこうして地球を征服した』

さて、このような猫に頭をやられた人間が一冊の本を手に取った。『猫はこうして地球を征服した 人の脳からインターネット、生態系まで』である。発売時に話題になったかもしれない。

人間に飼われるようになった動物に対して、私たちは自分が優位に立つことに慣れきっている。従属する動物たちは人間に服従するのも人間の持ち物を運ぶのも当然で、素直に食肉処理場に歩いていくことさえ当たり前なのだと、誰もが思っているのだ。

だが、ネコは新聞をとってこないし、おいしい卵を産まないし、私たちを背中に乗せてくれもしない。それなのに私たちは、いったいなぜこの生きものを身近に置いているのかと困惑することはめったになく、何億もの数になっている事実にももちろん疑問を感じていない。

それに対する明白な答えは、私たちがネコを好きだから、好きどころか愛していると言ってもよいからだ。ではなぜ、私たちはネコを愛しているのだろうか? ネコたちの秘密はどこにあるのだろう?

猫を飼い、猫を愛する著者による本である。

そういう人が、猫の秘密を探る。猫はなぜこれだけ人に愛されるのか、愛させているのか。

一方で、野生生物にとって危険な存在になってしまったのか……。

 

たとえば、おれは猫について知っているようで、知らないこともあった。

1キログラム足らずのさびネコから300キログラム近いアムールトラまで、30以上にのぼるネコ科のすべての種が、「超肉食動物」と呼ばれる種類に属している。肉以外のものはほとんど食べない。

イヌは完全菜食主義でもどうにかやっていけるが、ネコは重要な脂肪酸を体内で合成することができないために、ほかの動物の体から取り入れるしかない。

「猫が魚好きというイメージがあるが、実はそれほどではない」ということは知っていたが、そこまで肉食とは知らなかった。

むしろ、犬のほうが肉食みたいなイメージがあった。犬は菜食でもどうにかやれるのね。猫も猫草食うけどね、目的は栄養ではないか。

 

猫と人類

猫と人類の付き合いは長い。

が、ネコ科の動物と人類の祖先の関係は最初、食うものと食われるものであった。むろん、人間が食われる側である。その上、こんな関係まで示唆されている。

サーベルタイガーの大きい歯は、殺すには最適だが噛むのに向いているとは言えず、骨には肉がたくさん残ったと想像できるからだ。なかには、サーベルタイガーの食べ残しがあまりにも豊富で、初期の人類の食生活に欠かせないものになったために、私たちの祖先はこのネコ科動物のあとを追うかたちでアフリカからヨーロッパへ渡り、それがヒトという種の最初の大移動になったのだと提唱している科学者もいる。

たしかにサーベルタイガーの牙を考えると、獲物の肉を残さず食べることは難しそうだ。

そして、初期の人類は効率の良い栄養源として肉を選んでいた。そういう関係はあってもおかしくはない。

 野生のネコ科動物には、人間が好む狩猟動物、人間が育てている家畜を――そして最大のネコ科種ともなれば――人間そのものを殺そうとする傾向があるために、人間の集落との共存は本質的には難しい。

そして、ネコ科にはこういう特徴があった。

というか最近も、アメリカで散歩中のチワワがピューマに食べられるというニュースがあった。インドやタンザニアではトラやライオンに人が襲われている。大型のネコ科種、こわい。

 

でも、なかには人間に近づいてきたネコ科もいる。そうでなければ、いま我々が「ネコチャン」などと言っていられるものではない。

「ネコチャン」は、ほとんどの場合イエネコである。そのイエネコの起源をDNAとか調べてたどると、リビアヤマネコにたどり着くという。

 

そのような猫の祖先がどうして人と暮らすようになったのか。

それは犬よりもずっと遅い。犬が飼いならされたあと、なぜか人間は猫を受け入れた。

私たちがペットのネコの「人なつこさ」と呼んでいるものの一位は、敵意のなさだ。だが、恐怖心のなさでもあり、もって生まれた大胆さでもある。

人間が集落を作り、定住するようになったとき、その残飯などを狙って、さまざまな動物がそこに近づいてきた。そのなかにヤマネコもいた。

ネコ科の動物は基本的に臆病で隠れるように暮らしている。大型の種も、人間を恐れてもいる。とてもじゃないが飼いならすのに適しているとはいえない。

 

しかし、イエネコの祖先であるリビアヤマネコを調査すると、たまに人間を追いかけ、人間のペットであるイエネコといちゃつくやつがいるらしい。そういう傾向を持ったものがイエネコになっていった。

キツネやアナグマが人間の集落の境界でとどまったのに対し、勇気のある猫は、大胆にも人間の暮らしの中に侵入してきたのだ。「イエネコは自ら進んで飼いならされたのだ」。

最も人を怖がらないように見えるキツネどうしを交配していくと、それまで一度も飼いならされたことがなく、人間を見れば唸りを上げていたギンギツネが、わずか数世代でイヌのように科学者の手を舐めるようになったのだ。今ではギンギツネはペットとして売られている。

一方で、ロシアの科学者たちによる実験が有名だが、キツネも数世代の人為的な交配により、人間になつくようにできる。家畜化である。

 

家畜化された動物にはいくつか共通する外見的な特徴がでてくる。「家畜化症候群」と呼ばれるらしい。

その原因はわかっていない。猫はどうか? イエネコにはそれがあまり見られないという。

 

家畜化された動物は脳が小さくなる(野生に必要な領域が不必要になるため)し、猫もそうなのだが、ほかの家畜に比べればまだまだだという。え、ネコチャンを家畜だなんて言うな? ごもっとも。

 

猫は役に立ったのか?

結局のところ、ネコが社会のどんな役に立っているのかを示すのは難しい。ネコは即席爆発装置を見つけることも、溺れかかった人を助けることも、目の見えない人を導くこともない。それならなぜ、この地球上にイヌより多くのネコが歩きまわることになっているのだろう。なぜ、アメリカの家庭で飼われているネコはイヌより約1200万匹も多いのだろう。

犬は役に立つ。いや、ペットや家族としての犬はべつかもしれないが、実際にいろいろな場面で役に立つからこそ、移住を続ける人類の祖先は犬を飼いならした。だが、猫は?

 

一つに、「猫はネズミを狩るから」と言われる。しかし、実際に都会の野良猫を追跡調査した研究者によると、猫はほとんどネズミを狩らないとわかった。

そして、過去の調査でも、うまい具合に猫が人間の望むようにネズミを狩ってくれないという結果が出ている。

 

さらに歴史を遡れば、ペストの時代というのがある。ネズミが媒介者として害をなしたが、猫がそれを防ぐのに役立ったという。

あるいは、キリスト教が黒猫を悪魔としたために猫が狩られ、その結果ネズミが増えて大規模な災厄になったとも。

 

しかし、実際はそうでもなかったらしい。

イエネコ自身がペスト菌の重大な宿主となる可能性がある。ネコが実際に病気にかかったクマネズミをいくらでも食べられたのなら、自分もペストに感染し、人間の村や家庭に持ち込んだのではないか。米国疾病予防管理センターのペスト専門家、ケニス・ゲイジによれば、この考えは現在では驚くほど一般的なシナリオになっているそうだ。

なんとまあ。というわけで、大航海時代の船乗りたちが好んで猫を船にのせたとか、そんなのも猫が好きだから、という理由にすぎないといってよい。むしろ、実用的でないところで人を魅了するのが猫なのだ。

 

脅威としての猫

オーストラリアの科学者たちは最近、大規模な「オーストラリアの哺乳動物のための行動計画」報告書を発表し、オーストラリアの絶滅種、絶滅危惧種、近危急種(準絶滅危惧種)に該当する138の哺乳動物のうち、89種の運命にイエネコが関与していると指摘した。

 報告書の著者は、「もしオーストラリアにおける生物多様性の維持を推進するために、ひとつだけ願いを選ばなければならないとするならば、ネコを効果的に駆除すること、実際には根絶することだ」と書いている。オーストラリアの環境大臣は即座に、世界中で人気を博しているペットに対して宣戦布告し、ネコは「暴力と死の津波」であると説明した。

して、ネコは人間の心を支配している一方で、他の動物の脅威にもなっている。

もともとの生態系にいなかったところに、人間が猫を持ち込み、その頂点に立ってしまうからだ。

イエネコは、野生に放たれれば、野生のなかで生きることもできる。そして、超肉食のハンターになる。

 

では、どうして、猫は人間によって世界に広まったのだろう。

サモアの人々には「ネコへの愛情が芽生えた」と、アメリカ人の探検家ティティアン・ピールは書いた。「そして島を訪れる捕鯨船から、あらゆる手段を使ってネコを手に入れた」。ハアパイ島では、先住民がクック船長のネコを二匹盗んだ。エロマンガ島では、先住民は香りのよいポリネシアの白檀の木材と探検家のネコを交換した。

と、まあ、猫を見たことがなかった人々も、すぐに猫に魅了された。実用性はない。

しかし、そうなのであった。先に書いたように、船乗りは好んで猫を船にのせた。そういうこともある(猫はあまり水を必要とせず、ビタミンCがなくても生きていける)。

ともかく、かわいいから世界に進出した。そしてその繁殖力は強い。ちょっとすごい。

 

操られている人類

ひょっとして、人類は猫に操られているのではないか? そんな疑問も湧いてくるが、ひょっとしたらそうなのかも? と思わせるのがネコ科の動物を有性生殖の場とするトキソプラズマという寄生生物だ。

 

これに、人類の1/3くらいが感染しているという。猫から直接でなくとも、食肉を通じて感染したりする。肉を食わなくても、土を経由して野菜を食ってかかることもあるという。

感染したからといってほとんどの場合無症状だが、妊婦に感染すると胎児に影響があったり、エイズ患者などは死に至る場合もある。

 

そのトキソプラズマが人間の脳を操っているとしたら? たとえば、こんな実験。

ネコはネズミ捕りの腕前を見れば概して二流であるとは言え、害獣駆除に関して役に立つものをひとつもっている。尿だ。ネコの尿のにおいは、ネズミにとって世界で最も恐ろしいにおいなのだ。祖先が数十世代にもわたって檻のなかで繁殖し、イエネコの爪から遠く離れて過ごしてきた実験用のラットでさえ、ネコの尿に気づくと逃げ出す。

ネコの糞を介して広がる寄生生物から見ると、ネコの尿に対するこの生来の恐怖は「感染に対する大きな障害」になると、オックスフォードの研究を率いたジョアン・ウェブスターは言う。「私たちはトキソプラズマがこの影響を弱めるかどうかを調べたいと考えた」
観察の結果は、影響を弱める以上のものだった。

この寄生生物はラットの恐怖の本能を完全に消し去っているように見え、感染したラットはネコの尿を避けなくなっていた。「実際には引きつけていた」と、ウェブスターは言っている。ネコの尿にすり寄るラットは、社会的行動を変化させたようにも、以前からラットを威嚇するそのほかのもへの恐怖心を失っているようにも見えなかった。研究者たちはこの様子をネコとの「危険な情事」と名づけて、新聞を喜ばせた。

この実験は他の研究室でも再現されたという。寄生生物が宿主を操る。そういう話はある。

トキソプラズマもそうなのか? そうだとしたら、人間の脳に影響はないのか?

トキソプラズマ症にかかっている人では自殺のリスクが上昇し、感染率の高い国では自殺率や他殺率が高まる傾向がある。同じ上昇が自動車事故の統計でも見られ、トキソプラズマ症にかかっている人が自動車事故に巻き込まれる確率はそうでない人の二倍以上だ。

ほかにも、アルツハイマー病、パーキンソン病、うつ病、双極性障害……って、おれ、双極性障害なんだけれど。まあ、そういう病気と相関関係があるんじゃないかとか言われているらしい。

とくに統合失調症とは強い関係があるんじゃないかという研究者もいて、「ペットとして飼われているネコの増加と精神病の増加とは、ほぼ平行して進んでいる」とまで言う研究者がいる。

 

そこまでいかなくとも、人間にトキソプラズマ症を引き起こすくらい影響のある寄生生物が、人の脳に影響しないとは言い切れないところがある。

猫に脳がやられるとか書いていたが、それが事実である可能性もないではない。ラットのように、操られて、「ネコチャン」の支配を受けようとしているのではないか。

 

そして、現代ではインターネットをも支配している。

インターネットの父と呼ばれることの多いサー・ティム・バーナーズ=リーは、最近、現代のウェブ利用のどんな点に最も驚かされているかと尋ねられ、「ネコ」と答えていた。

 

猫の魅力とは結局なんなのか?

というわけで、ネットをさまよっていて猫画像、猫動画を見ない日はない。

ポータルニュースサイトやソーシャルブックマークサービスなどは、「政治と経済」、「芸能」とかいう項目と並べて「猫」の項目を作っても、その材料に困ることはないと思う。

 

著者は、ネットとの相性のよさをこのように語る。

……ネコの表情は乏しい。たいていは無表情で、孤独なハンターとしての暮らしのなかで豊かなコミュニケーション能力を必要としてこなかった……ところがオンラインでは、ネコの不可解さが大きな利点になる。ネコの顔が無表情だからこそ、超社交的な人間は、そこに何かをつけ加えたい気持ちにかられる。ネコは事実上、説明文を求めている。

猫の顔は人間に近いところもある。そういうところで人に愛される要素もある。

また、わざわざ屋外に赴かずとも、リビングルームで撮影できるというところもネットと親和性が高い。

そして、このような無表情もあっているという。

 

無表情な、猫?

 この風変わりなネコカルトは、日本の絹商品を販売する団体に起源をもつ企業が、ネコの顔をデザインしたキャラクターを生み出した約40年前にはじまった。そのネコは企業支配の国境を越えたトーテムとなり、今では世界中のマーケティング幹部者の憧れの的になっている。

「ネコカルト」とはなにか。ハロー・キティだ。なんとでもコラボしてしまうキティ先生である。

キティ先生は公式サイトでこのように説明されているらしい。

「キティに口がないのは、見ている人の気持ちをよりよく反映できるように」

人の気持を、反映する……。

 

さて、いきなり「戦後思想界の巨人」、吉本隆明の話をする。

死後に刊行された、最晩年の聞き取り本である『フランシス子へ』という本がある。

「フランシス子」は吉本隆明が飼っていた猫の名前である。吉本は何匹もの猫と暮らしていたが、とくに特別な猫だった。

 

して、吉本は猫についてこう語る。

 猫っていうのは本当に不思議なもんです。
猫にしかない、独特の魅力があるんですね。
それは何かっていったら、自分が猫に近づいて飼っていると、猫も自分の「うつし」を返すようになってくる。

あの合わせ鏡のような同体感をいったいどう言ったらいいんでしょう。

自分の「うつし」がそこにいるっていうあの感じというのは、ちょっとほかの動物ではたとえようがない気がします。

僕は「言葉」というものを考え尽くそうとしてきたけれど、猫っていうのは、こっちがまだ「言葉」にしていない感情まで正確に推察して、そっくりこのまま返してくる。

どうしてこんなことができるんだろう。
これはちょっとたまらんなあって。

おれはここまでの「感じ」を意識したことはないけれど、そういうところもあるのだろうか、などと思ってしまう。

人の気持を反映する、のか。そういうところもあるのか。あったのか。

気の合う猫もいれば、そうでもない猫もいるというが、そういう境地までいけば幸せなことだろう。

 

むろん、単にトキソプラズマに操られているという可能性もある。そして、ついにはこんなことまで言い出す。

 僕が思うに、猫さんと仲良しになるのにいちばんいい方法っていうのは自分も猫になればいいんです。「猫を飼っている」という感じじゃなくて、自分も猫さんとおんなじになっちゃえばいい。
そうしたら自分のやることは、みんな、猫さんに通じますよ。

僕は子どものころからずっとそうしてきました。

ひょっとしたら猫さんのほうでは「コイツ、バカなことしてんなあ」と思ったかもしれないけれど、もし相性のいい猫と出会うことができて、自分が猫になったかまいかたができるくらい親しくなると、これほどすばらしい友人はいないっていう状態になります。

うーん、ネコチャン。おれもネコチャン、あなたもネコチャン。

みんな猫になればハッピーで埋め尽くされる。悪くない。寄生生物に支配されているとしても、それは幸せではないのか。

 

あなたはどう思う。猫は好きか? 愛しているか? なに? 猫好きの人間はちょっと常軌を逸している? それはそうかもしれない。

しかし、こっちに来たらハッピーかもしれない。それでも犬の方がいいというかもしれない。好きにすればいい。だが、少なくともおれは、犬ではなく猫の方の人間だ。それだけである。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Chris Smith