最近、たて続けに「人間ってすごい」と思う状況があったので、今日は「人間のすごさ」についてまとめてみました。よろしかったら読んでやってください。
1.まず一件めの「人間すごい」について。
先日、コロナ禍以来はじめての観劇に出かけてきました。演技にも主張にも強いインパクトがあって良かったのですが、劇中、「差別をするにしても、ちゃんとわかってから差別をして」といった言葉が出てきました。
確かにそうですよね、たった一つか二つの属性だけで人の良し悪しを決めつけ、それで相手への態度を変えてしまうのは差別と呼ぶにふさわしいでしょう。
ところが現実世界では、相手についてロクにわかってないのにわかったことにして、態度まで決めてしまう、まさに差別が横行しています。
差別までいかなくても、人間はしばしばわかったようなことを口にし、そのわかったようなことが人を傷つけてもいます。
こうした「本当はわかっていないのにわかったことにしてしまう」って、そこらじゅうに転がっていますよね。
たとえば在留外国人や障碍者に対してだけでなく、学歴、性別、職業、世代、宗教、そういった属性ひとつひとつに基づいて「この人はこういう属性を持っているからきっとこういう人間だ」って決めつけてしまう人のなんと多いこと。
SNS上では、そうした決めつけを直接他人にぶつけ、平気な顔をしている人をしばしば見かけます。
現代を生きる私たちは、そうした決めつけを回避し、人と人が少しでもわかりあおうとすることを肯定します。のみならず、相互理解のプロセスをすごいとみなすかもしれません。
すごいとみなす人の気持ちも私にはわかる気がします。なぜなら今の時代、出会いと別れなんて無尽蔵にあるわけですから。
その無尽蔵の出会いと別れのなかでひとりひとりについて予断を持たず、できるだけ分かり合いたいとするスタンスってすごいことでしょう?
昨日まで知らない者同士だった男女や友達同士が、きっかけがあってとはいえ、より決めつけの少ない、より解像度の高い相互理解を探りあっていく。
決して珍しいことではありませんが、すごくて素晴らしいことだと私は思っています。それって、お互いを知り合うのに必要なコミュニケーション上のコストを支払う意志・能力・資源があってはじめて実現するトライアルじゃないですか。また、非常に人間らしいトライアルだとも思います。
さてここで、あえて正反対のことを考えてみましょう。
人と人がお互いを知り合っていくのは確かにすごい。でも逆に、人と人がお互いのことを知り合いもせず、わかったような口をきいてわかったことにしてしまう──ときには差別や偏見を持ったまま平然としていられる──って、それもそれで人間の心理機能ってわけがわからないというか、別の意味ですごいと思いませんか。
私たちは周囲の人間のことをたいして知り合いもしないまま共存共栄し、それで案外平然と暮らしています。
たとえば近所にイスラム教徒らしきご夫婦が引っ越してきた、職場の新人が天皇陛下を人一倍ありがたがっていた、バイト先の後輩が池袋のアニメショップのロゴの入った大きな紙袋を持って出てきた、等々の断片的な情報があるからといって、私たちはたいてい、そのイスラム教徒のご夫婦や権威主義者かもしれない新人やオタクかもしれない後輩のことを詮索しようとはしません。
憶測を巡らせるだけか、偏見丸出しの差別的言動に至ってしまうかは人それぞれでしょうけど、たいていの場合、もっと相手のことをよく知ろうと思う以上に「この人はこういう属性持ちだからたぶんこういう人間だ」って決めてかかってそれ以上考えるのをやめてしまうのではないでしょうか。
「この人はこういう属性持ちだからきっとこういう人間だ」って決めつけには利点もあり、たとえばコミュニケーションに要する認知的負荷や感情的負荷を減らし、時間等のリソースも節約できます。
それはわかるのですが、だからといって、お互いのことを大して知りもしないまま、断片的な情報を勝手に脳内補完して、勝手に思い込みあって、それでわかったような顔をしていられる人間って、それもそれですごいと思うんですよ。あなたたち、よく不安にならないですね、よく平気でいられますね、と。
人間、地球外生物にこういうことをどう説明するつもりなんでしょうか。たとえばSF小説『三体』に出てくる三体人は、人間のこういう「わかりあわずに済ませる性質」が理解不能ではないでしょうか。
2.ふたつめの「人間スゴイ」も、人間のコミュニケーションって案外デタラメだなーと思った出来事です。
私たちのコミュニケーションって、噛み合っているようにもみえて、実際はあまり噛み合っていないことって多くありませんか。
たとえば夫婦で生理の辛さについて会話する時、夫は妻が生理でどれぐらい辛いのか、身体的には知ることができません。
妻の言葉を参照しながら、それか書籍に書かれている知識を参照しながら、「今週は生理かー、じゃあ辛いよね」などと相槌を打ったりする。でも本当は生理について夫が知っていることは知識だけに基づいていて、体験に裏付けられていないんですよね。
そのとき夫婦間でもっともらしい会話が成立しているようにみえても、本当は体験の共通項が欠けているんです。
欠けているのに、会話がキャッチボールとして、それかキャッチボールらしきものとして成立しているわけです。
女性同士の場合だって本当はそうかもしれません。生理のしんどさと症状には個人差があります。身体的なしんどさが先立つ人もいれば精神的なしんどさが先立つ人もいます。子宮内膜症や子宮筋腫の有無によっても症状は異なるでしょう。
女性Aと女性Bが生理のしんどさについて会話している時でさえ、体験の共通項の共通度は100%ではありません。
人間のコミュニケーションって、万事が万事、こうなんですよね。
世の中には結婚したことのない人、ペットを飼ったことのない人、外国に行ったことの無い人、等々がいます。きょうだいのいない人、借金をしたことのない人、不登校になったことのない人もいます。
体験の共通項の有無を確かめて回った時、私たち人間の共通項は私たちが思い込んでいるよりずっと少なく、そういう意味でも私たちは多様な存在です。
そんな多様な人間同士が、なにやら共通認識を持てているような思い込みのなかでナアナアにコミュニケーションできちゃっているわけですよ。これってすごくないですか。
もちろん、そうした多様な人間同士がコミュニケーションしているから、しばしば、コミュニケーションには齟齬や不一致が生じます。まあ当然の帰結でしょう。
にもかかわらず、わかったような顔をしている者同士が実際にはわかっていなかった、あると思っていた体験の共通項が別物だった、そういったことが露呈してしまうとお互い気まずく、関係の修復にはしばしば時間がかかります。
個別の人間同士に関していえば、そうなった時にも関係を修復していける人間こそがすごいと言えます。ですが正反対の事態も、それはそれですごいと思いませんか?──お互いのことをわかりあいもせず、体験の共通項も違っているのに、そのままナアナアに、雰囲気だけでコミュニケーションが流れていくような関係。どうしてこんなことができちゃうんでしょうね人間?
3.なぜ、本当は体験の共通項を持ち合わせていない人間同士が、それでもナアナアにコミュニケーションしていられるのでしょう?
答えかたはさまざまだと思います。私なら、言語学のシニフィアンとシニフィエといった言葉や、進化生物学の自己家畜化といった概念を思い出したりします。他にもさまざまな理由づけは可能でしょう。
いずれにせよ、立ち止まって考えてみると人間とそのコミュニケーションは本当に不思議で、すごくて、いい加減で、わけがわかりません。
人間同士がキチンとわかりあっていくのもすごいし、わかりあわないまま、ナアナアのままコミュニケーションしたつもりになっているあの仕草もそれはそれですごい。
わかりあうことのすごさと同じぐらい、わかりあわないまま済ませることも私はすごいと思います。特に、そうしていても平気でいられる無神経さというか、不安耐性というか、呑気さはいったいなんなのでしょう?
でも、そういう部分のおかげで酒場で見知らぬ人と酒盛りできちゃったりする側面もあるので、それもまた、人間の欠くべからざる一面なのでしょう。
私たちは、わかりあわない者同士でもなぜか群れていられて、コミュニケーションしているという体裁を保てる不思議な生き物です。
その不思議な性質のおかげで、渋谷のスクランブル交差点や池袋駅の構内のような物凄い人混みのなかでも、お互いのことを知り合いもしないまま、パニックになるでもなく、平然とすれ違っていられるわけです。
そして私はガード下の飲み屋で見知らぬおじさんやおばさんと意気投合し、ニコニコしながら酒を飲んでいるんですよ。
つくづくわからない生き物ですね、人間って。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo by Frédéric BISSON