ロシアによるウクライナ侵攻

ロシアによるウクライナ侵攻開始から500日以上が経った。おれは当初、この戦争がこんなにも長期化するとは思わなかった。ただの素人の勘だが。

 

同時に、また素人ながら「21世紀の国家間戦争がこんなにも身も蓋もなく始まってしまうものなのか」と開戦当時に思った。そう思ったことは日記にも書いた。

ロシアが、ウクライナのような国に侵攻する。戦争になる。国家間戦争。そういう時代だったのか。ちょっと信じられないよな、という思いは今もある。

 

しかし、戦争は現実だ。いまさら説明することもないと思うが、ロシアが当初目論んでいたであろう短期決戦にはならず、ウクライナへは西側諸国からの武器供与がつづき、戦争は一年を過ぎ、さらに過ぎた。近頃ではロシアの傭兵組織ワグネルの乱なども起こり、その本当の決着はまだ見えていないようだが、これを受けて戦術レベルでの影響はさしてないようだ。

 

ウクライナは反転攻勢を宣言していたが、その速度は遅い。膠着状態といえるのかどうかわからないが、一気にどちらかが崩れる感じでもない。もちろん、おれが日本のメディアや専門家の言うことを見た上で、そう感じているだけである。

 

「ソ連」とおれ

それにしても、ロシアだ。おれが子供のころは「ソ連」だった。こういう言い方が正確なのかどうかはわからないが、そうだった。

 

一番最初のソ連に関する記憶は、素朴すぎてどうしようもないものだ。

母に「『ソ連』って日本や中国みたいに漢字を使うの?」と訊いたのだ。なにせ、「連」という漢字が国名に入っている。ひらがな、カタカナ、漢字。そんなことを覚えてあまり時間も経っていなかったころだったろう。

 

その後、おれは冷戦下の西側で育った人間らしいイメージをソ連に持つようになる。

いつでも鈍色の空、雪は降りつづき、晴れた日はない。人々は食糧を求めて長い行列に並ぶ。生活に自由はなく、われわれより苦しい生活を送っている……などなど。

 

やがて、ソ連は崩壊した。どのように崩壊に至ったのか。どの時点で崩壊だったのか。

いずれにせよ、崩壊した。それはもう世界にとって大きなインパクトだったに違いない。軍事、外交、文化、そして思想。ただ、おれにはまだわからないことばかりだったし、いまもわかっているとはいえない。

 

ロシア人とおれ、おれとロシア人。まだ、ソ連のころだったか。横浜の産業貿易センターで国際交流マーケットのようなイベントが開かれた。家族で行った。

行ったところで、ソ連のブースがあった。そこでおれの目にとまったのは「ペレストロイカは革命である」という言葉が記された、ゴルバチョフのテレホンカードだった。「これは買わねば」と思い、買った。ついでに、ソ連製の革の財布も買った。もちろん、小学生に手が出るくらいの値段だった。

 

今となっては、果たしてあれを売っていたおっさんがロシア人なのか、財布がソ連製だったのかわからない。わからないが、おれがロシア人と接した記憶はこれしかない。

ちなみに、ウクライナ人留学生と自称する人が職場にマトリョーシカを売りに来たこともある。

 

あの頃のロシア人はどこへ行ったのか

して、おれとロシアというのはあまり縁がない。縁がない人間が、ニュースで流れるプーチンやプリゴジンの顔ばかり見ていると、「ロシア人ってこういう人たちなのか」と思えてくる。

しかし、どうなのか。なんかそんな人ばっかりだったのか。そんなとき、こんな本を見かけた。

米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』、これである。

おれは米原万里さんについてよく知らない。よく知らないが、訃報に接したとき、「ロシア通訳の人かな」くらいの知識はあった。本書の巻末の初出一覧を見てみると、90年代はじめから終わりくらいの話だ。

 

いま、ロシア人のメンタリティの変化とかについての最新の本を読むと、どうしてもプーチンのロシア、あるいは戦争が前提となってしまうであろう。

しかし、この本はそれよりもずっと前の、しかし、ちょっと前の話だ。その当時の話だ。これを読めば、ちょっと前のロシア人像そのものが見えてくるかもしれないと思った。

 

で、第一章のタイトルが「酒を飲むにもほどがある」である。

ロシア人を語る上で、酒は、ウォトカ(本書ではそう表記されている。おれはふだん、すばらしい競走馬の名前からウオッカと書く。どうでもいいか)は、ロシア人を語る上で最初に来る話なのか、というところだ。

 

ところが、読んでみると、ウォトカなんだなあと思わざるをえない。

本書によれば、米原万里さんはソ連での視覚矯正手術ツアーの通訳から、それこそ来日したゴルバチョフやエリツィンの通訳まで務めている人だ。それほどロシアに精通した人が、そう述べるのだから、その通りなのだろう。

大酒飲みの一生。人生の前半は、肝臓を苦しめ、後半は肝臓に苦しめられる。

え、そうなのか。

「父ちゃん、酔っぱらうってどんなことなの?」

「ここにグラスが二つあるだろう。これが四つに見えだしたら、酔っぱらったってことだ。」

「父ちゃん、そこにグラスは一つしかないよ」

正直、おれはそこまで酔っぱらったことがない。かように酔っぱらいを強調するのは、ロシア人自身のアイデンティティであるとも述べられている。

 

なにより強烈なのは、冒頭に記されている、現在ならポリティカルなコレクトネスでアウトなこの発言だろう。

「世の中に醜女(ブス)はいない。ウォトカが足りないだけだ」

ただ、これを「ブサイク男」やなにかに換えてもいいだろう。著者はあるいは、これを良い社会やなにかに置き換えることもできると述べている。

この世の不幸をウォトカが足りないだけと言ってしまえる。すばらしいアルコール依存症。おれのように、自分の現実から目をそらすために酒を飲む人間には身にしみる言葉である。

 

ゴルバチョフとエリツィン

本書が書かれた時期や、著者の実務からして、ゴルバチョフとエリツィンの話も多い。

 

ゴルバチョフと酒。ゴルバチョフはソビエト共産党中央委員会書記長に就任するや節酒令を発布した。

朝から飲んだくれる人民をどうにかするために、ウォトカの販売と飲酒を午後二時以降と定め、大々的な反アルコールキャンペーンが展開された。

 

が、これがどうなったのか。

節酒令を発布したために、かえってウォトカの消費が鰻登りに上がってしまったのである。かつては一瓶ずつ購入していたウォトカを、みな先を争うように一ダース二ダースとまとめ買いするようになった。酒店が開店する午後二時ともなると、どの職場からも大量の従業員が抜け出して、行列に並ぶようになった。

 

酒屋の前の長蛇の列に待ちきれなくなった労働者が、

「こんなことになったのも、ゴルバチョフのせいだ。クレムリンに行ってヤツを殴ってくる」

と息巻いて出かけたが、しばらくすると、戻ってきて、

「向こうの行列の方がはるかに長かったよ」

と言って肩を落とした。

こんな小咄(アネクドート)が生まれるような状況になってしまった。

ゴルバチョフは外国に赴くと饒舌で西側諸国の人々を魅了するのに対して、国内向きにはあまり人気がなかったらしい。

 

一方で、ゴルバチョフの後釜についたエリツィンはどうだったのか。これはもう、本人が大酒飲みのアル中であったようだ。

そんなエピソードはたくさんある。著者はエリツィン来日時の通訳として、こんな話を披瀝する。

「カメラはないだろうね」

と、冗談ぽいフリをしながら結構真剣な目つきで確認するのだ。

全ての予定スケジュールをこなし終えた帰国前日の夜、エリツィン一行と日本側随行者のみのお別れパーティーをしたときだけ、補佐官たちがたしなめるほどウォトカをしこたま飲んだ。

 しゃべり出すと止まらなくなるゴルバチョフに比べると、普段はロシア人にしては(あくまでロシア人にしては、です)寡黙な彼が、飲むほどに饒舌になり、人の話を聞かなくなり、言葉遣いが乱暴になっていく。

「こ、こ、これがなくっちゃ、ルルル人はルルルロシア人じゃない。ゴッルバチョフの野郎そこのところが分かっちゃいねえんだ!」

その後、地元の粗悪なウォトカをパンの耳で浄化して美味しくした話などが続く。

 

核のボタンを左右するアル中。おそろしい話だ。でも、当時のロシア人はどう思っていたのか。

たしかに、数々のエリツィンの酒飲み武勇伝が、エリツィンの人気下落に繋がると言えば、そりゃ一部のアメリカかぶれ、西欧かぶれのインテリの間では大いに顰蹙をかっているものの、庶民の間ではむしろ逆で、「やってくれるぜ、うちの親父は」という風に、より親近感を増すらしい。アメリカ人は、自己コントロールできない人間を軽蔑し、政治家失格と判断するが、ロシア人は、国民の前で警戒を解いて自己をさらけ出し平気でよっぱらえるようなタイプの政治家を好むみたいだ。これは、日本人のメンタリティーにむしろ近い。

そういう感じでエリツィンは人気があったのか。そう言われると、そうだったのかもしれないな、と思える。

そして、著者が指摘する日本の政治家。そういうところもあったかもしれないし、あるかもしれない。

 

令和の現在、そういう政治家というのはいないように見えるものの、昭和のころはそういう政治家の方が、理屈や理論一辺倒の政治家よりも好まれていたような気もする

いや、酒に関わらず、理屈や理論家が本音を語っていないと思うところが今もあるのではないか。どこか、ロシア人と日本人と近いところはあるのだろうか。

 

プーチンのロシア

して、こんなロシアから、いかにしてプーチンのロシアが出てきたのか。

本書にはプーチンのプの字も出てこない。しかし、エリツィンの次にプーチンが出てきたのは確かな話である。

アナトリー・チュバイスの名前は出てくるものの、プーチンの名前は出てこない。それくらいプーチンはダークホースだったのかもしれない。

 

このあたりの事情については、プーチンを主題とした数々の書籍があるだろう。だが、おれはそれらを読んでいないので、プーチンの出現については、現時点でよくわからないままである。

 

ただ、Wikipediaというあてになるかならないかわからない出典をもとに、こんなことを知った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%AB

その後、プーチン政権下でロシア連邦の民生は安定し、ロシア人は自らの人生や国家・社会に対して自信を抱き、健康志向を強めた。ロシア国家統計庁によると、1人当たりウォッカ類消費量(リキュールを含む)は1999年の15.2リットルから2015年には6.6リットルへと減少。一時は58 – 59歳代に落ち込んだロシア国民男性の平均寿命は66.5歳(2016年)へ上昇した。プーチン大統領は酒をほとんど飲まず「酒と煙草は国難」と発言。プーチン政権下の2012 – 2013年には、夜間の酒類販売やウォッカの広告が禁止された。

健康志向に自信を強めたロシア。これがプーチンのロシア。ゴルバチョフの節酒令には反抗していたロシア人がなぜ?

 

これについては、社会主義から資本主義に舵をとったロシアの事情もあるかもしれない。『ロシアは今日も荒れ模様』から。

 市場化、民営化の名のもとに急速かつ強引にすすめられる国富の私物化をめぐる熾烈な分捕り合戦は、それに乗り遅れたり、振り落とされたりした落伍者を大量に生み出した。優しすぎる人、目端が利かない人、人が良すぎる人たちは、さらに生きにくい世の中になったみたいだ。

ソ連崩壊と、一気に訪れた民主化、資本主義化。これについていけない人たちもいた。ついていくために犯罪に手を染めたりする人も増えた。

質問:ソ連共産党が七十年かかってできなかったことを、エリツィンはたった三年でやり遂げた。それはなんだろう?

 

答え:国民に社会主義の良さを分からせた。

プーチンのロシアが社会主義的なのかどうかわからない。エリツィンのオポティニズムを放免したところからその権力は始まる。

 

しかし、エリツィンのもたらした資本主義化の弊害をどうにかしてくれる、「強いロシア」を推進し、体現したのがプーチンなのかと思える。

反動の反動の反動。反動が多すぎるか。でも、なにかの揺り戻しがあってプーチンが出てきた。台頭した。信奉されるようになった。そういう側面はあるように思える。

 

いま、飲んだくれのロシア人はいるのか

そのプーチンを支持する形で、ロシアによるウクライナ侵攻は進行している。

それでも、おれはロシア人のなかに、いまだにウォトカに飲んだくれているやつ、アネクドートを作っているやつ、しょうもないやつがいることを願う。

 

おれは世界人類が連帯するのは、高潔な理想でも、論理的な結論でもなく、人間のしょうもなさだと思っている。

それは信仰に近い。世の中のクズやゴミが、それぞれのしょうもなさでわかり合える。賢いやつや聖人のようなやつのわかり合いには信用がおけない。

 

いま、ロシアにもしょうもないやつがいて、プーチンは気に食わねえとウォトカ飲みながら愚痴って、その帰結として体制がひっくり返ったらいいなとか思っている。夢想にすぎない。

でも、おれはしょうもない、アル中みたいな連中による、救われない人間の連帯を信じたいところがある。

 

健康なのが必ずしもよいことではない。世界中、もっと酔っぱらうべきだ。くだらない殺し合いなんかやめて、酒でも飲もうぜ。

酒がだめでも、人類の愚かさについて共感しようぜ……。正義なんてこの世にないんだ。人を殺していい理屈なんてない。いつか、ロシア人ともパーシャルショットのウォトカを飲み合える日が来ることを望むのだぜ。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

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