日本全国の医薬品の供給不足が指摘されるようになったのはいつ頃ぐらいからだったろうか。

 

インターネット上のアーカイブを確かめると、NHKが首都圏ナビで特集記事を報じたのは2022年12月だった。そこに記されている表によれば、ジェネリック医薬品の41%が出荷停止・出荷調整の状態にあったという。

こうした問題は、診療活動をやっている医師ならまず間違いなく直面しているだろうし、日常的に処方薬を内服している患者さんも気にしてらっしゃるだろう。たとえばつい先日報じられたホクナリンテープの出荷調整なども、少なくない人が心配しているに違いない。

 

私の観測範囲では、2022年の段階では精神科領域はそこまで深刻ではなかった。

「これってどうなっちゃうんだろう?」と本格的に心配するようになり、かなりの数の患者さんの処方に影響するようになったのは2023年に入ってからだ。

今回は、精神科領域で起こっている処方薬の供給不足についての経験談と、それを踏まえたお話を書いてみたい。

 

ある日、「影の実力者」が調剤薬局から消えた

処方薬の不足については、新型コロナウイルス感染症に関連した不足がしばしば語られていたが、精神科の薬物療法領域についてはそこまで深刻でもなかった。私が意識しはじめたのは、アモキサン(アモキサピン)という抗うつ薬の処方停止だった。

 

このアモキサンという抗うつ薬は、「三環系抗うつ薬」というカテゴリーに分類される、比較的古いタイプの抗うつ薬だ。

意欲を取り戻す作用の強さには定評があり、新世代の抗うつ薬にもひけをとらないとみられている。

また、作用機序の関係で幻覚や妄想に対してもいくらか効果があるとか、うつ病のなかでも統合失調症っぽさの混じっている病態に良さそうとか、ユニークな特徴を持つともされていた。

 

これが2022年、発がん性物質が見つかったという理由で出荷停止になってしまった。見つかった発がん性物質は、この薬を最大用量で70年間飲み続けていた場合に五万人に一人ががんを発症するぐらいのリスクに相当するという。

 

私はたまたまアモキサンをあまり処方しない精神科医だったので、薬剤の切り替えを必要とした患者さんは一人だけで、その切り替えもスムーズに運んだ。

しかしアモキサンは精神科医の間で評判の良い薬だったから今でも結構処方されていて、切り替えがスムーズにいかず、患者さんの具合が悪くなってしまったという話も耳にした。私はあまり苦労しなかったものだから、「面倒なことになりましたね」と相槌を打ちながらも、事態をどこかで楽観視していた。

 

ところがその後、精神科領域の処方薬の出荷停止・出荷調整が相次ぐようになる。

統合失調症の領域では、副作用を軽減させるためのアキネトン(ビペリデン)という薬やアーテン(トリヘキシフェニジル)という薬が枯渇しはじめた。

 

統合失調症の薬は程度の差こそあれ、パーキンソン病によく似た副作用が出現するリスクを抱えていて、これらの薬はその副作用を止めてくれるので長年重宝されてきた。

新しめの統合失調症治療薬では、こうした副作用を止める薬は少なくて済むようになっている……のだが、それでも需要はある程度残っている。病状の安定した状態が長く続いていた患者さんの一部が、これらの薬の減薬・中止によって不安定な状態になったりした。

 

そして最近困ったのは、さきほど挙げたアモキサンと同じカテゴリーである、三環系抗うつ薬の出荷停止・出荷調整だ。巻き込まれた抗うつ薬を幾つか紹介しよう。

 

ノリトレン:意欲の回復に定評があり、三環系抗うつ薬のなかでは副作用も少ない。

トリプタノール:三環系抗うつ薬最強の一角を占める。痛みの軽減にも効果を発揮。

トフラニール:世界最初の抗うつ薬にして、いまだ最強の一角。

テトラミド:睡眠補助や他の抗うつ薬のブースト効果にも役立つ、四環系抗うつ薬。

 

これらが市場に出回らなくなった背景は、アモキサン同様に発がん性物質が見つかったものもあれば、他の三環系抗うつ薬が出回らなくなったために急激に需要が高まり、供給不能になってしまったものもある。これらの抗うつ薬の特徴をざっくりまとめると、

 

とにかく強い:新世代の抗うつ薬と比較しても抗うつ効果そのものは同等以上とみなされることが多い。

副作用が多い:そのかわり副作用が出現しやすく、安全性もやや劣る。慎重投与おすすめ。

安い:薬価が低いので製薬会社が生産ラインをどうこうするインセンティブが乏しい。

 

となるだろうか。

 

今回市場から消えた抗うつ薬は、経験を積んだ精神科医が専ら処方するものであって、ホームドクターが処方するものではない。抗うつ薬市場のメインストリームを担うものでもないだろう。

 

これらの抗うつ薬は、副作用の出現しにくい新世代の抗うつ薬で済ませられる患者さんには処方されず、それらでは歯が立たない患者さん、重症度が高かったり難治性の気配のある患者さんに選択されがちなものだ。

大量に市場に供給される必要はないが、これらの薬でなければ治しきれない患者さん、取り扱いきれない患者さんが必ず存在している薬でもある。

 

考えてみると、これらの薬は市場原理にはそぐわない。新薬なら、特許の関係で軒並み高価で、そのような薬が業界のメインストリームを担うようになれば製薬会社は莫大な収入を得られる。

しかし三環系抗うつ薬をはじめ、世の中には正反対の薬も多い。とっくの昔に特許が切れ、安価で、たくさん作ってももうけにはならない薬。そのうえ少数の患者さんや病態にだけ使用され、少数だけが市場に供給され続けるよう期待される薬。そんな薬の製造過程に発がん性物質が見つかろうものなら、製薬会社としては、わざわざ製造過程をつくりなおそうとするより発売停止にしてしまうだろう。

 

そうして抗うつ薬の領域では、それほど選択されないけれども選択される時には代わりのききにくい薬たちが、ゴッソリと姿を消した。

もちろん、こうした三環系抗うつ薬たちを新世代の抗うつ薬によって代替しようとはしているが、今、これらの薬が処方されるような患者さんとは、新世代の抗うつ薬が無効だったからこそ処方されているわけで、代替ではうまくいかないケースが続発している。

 

それまで寛解していた抑うつが悪化したり、身体疼痛が再燃したりする患者さんへの対応に追われたりするのは、精神科医としては忙しくなることだし、患者さんにおいては生活の質が低下し、苦しみが蘇ってしまうことでもある。

 

医薬品はどこまで市場原理に委ねて構わないのか

こうした供給不足について、厚労省はなんと言っているのだろう。

 

2023年3月に行われた厚労省による第六回安定確保会議では、後発医薬品も含め、不採算品目は増加をし続けていて、安定供給のための設備や人材への投資が困難になっていること、直近の原材料価格や円安が製造コストに大きな影響を与えていること、等々が意見として挙げられたという。

 

また、このような事態が起こった背景のひとつとして、ジェネリック医薬品の製造に中小の後発メーカーが参入した少量多品種の製造、特許切れ直後の品目に偏った収益構造といったビジネスモデルや産業構造に由来する問題や、そもそも薬価の取り決め方に関する問題がある、とも記されている。

 

どれも頷ける話だが、すぐさま解決する問題とは思えないし、解決した時、三環系抗うつ薬などの「少数必要で強力だけど、採算性が高いとは言えない薬」たちがどれだけ戻ってくるのかは不明だ。

特に発がん性物質が取り沙汰された抗うつ薬を、リスクのないかたちにリメイクし、わざわざ生産ラインを作り直すインセンティブは製薬会社側にあるだろうか? 結果、永遠に失われる薬もあるかもしれない。

 

じゃあこれは、仕方のないことだろうか。

 

資本主義におんぶにだっこで生活する一個人としては、仕方ないわー、と思う部分もある。

製薬会社もお金に基づいて動いているのだから、利潤にならない薬を売らなくなるのは仕方がない。

製薬会社は、儲かる薬を儲かる期間だけ市場に流通させる。それで納得してください。市場原理最優先なら、それもひとつの考え方ではある。

 

しかし日本の医療制度に馴染んだ者としては、なかなか割り切れるものではない。よく、難病などの治療で、日本にはない薬、日本にはない治療法が海外で受けられる、だから日本にも早く導入してくださいと運動をしたり、なんならお金を集めて海外まで治療を受けに行ったりする人がいる。

そうやって日本には無い最新かつ高価な治療が期待され、新規導入に製薬会社も研究者も患者さんも力を合わせる一方、古いけれども必ず必要な人のいる安価な薬が消えていくのは、納得のいかないことではある。

 

古い薬は確かに儲からない。研究者の業績にもならない。だから必要な患者さんが存在するとわかっていても、古い薬を市場に残そうとするインセンティブは働きにくい。

三環系抗うつ薬という、うつ病の治療のなかで目立たないけれども難治性の人々のかなりの部分を助けていた薬たちは、そうしたなかで危機に直面している。

 

できることなら、こうした市場原理の「神の見えざる手」からこぼれ落ちてしまう必要な薬を、厚労省主導で作ってくれたらいいなと思う。

あるいは古くても実力ある薬についてはその実力にふさわしい薬価を設定しなおし、いくらかでも製薬会社にインセンティブが働くように計らってほしいとも思う。が、これは一介の医師の感想でしかなく、高所大所から事態を主導する人々の胸のうちはわからない。

 

古くて実力ある薬のない状況下で診療活動を続けろというなら、私たちは続けるしかない。

ただ、それで失われるものが間違いなくあること、それで治療や寛解が難しくなる患者さんが存在することは、あるていど周知されて欲しいと思う。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo by UnsplashChristine Sandu