今回は京都で300年以上続くお香を扱う香老舗 松栄堂が展開する、香りから広がる世界観を提供し、多くの人を魅了するブランド「リスン」を取り上げます。

 

※本稿は、グロービス経営大学院教員の沼野利和の指導のもと、4人の社会人大学院生(山根紀子、梁瀬晋也、末森玲子、庄司拓哉)が調査・研究を行った結果に基づいています。

「ぷるぷる」を香りで表現するブランド、リスンとは

皆さんは、「ぷるぷる」「かさかさ」「もこもこ」といった言葉からどんな香りをイメージしますか?

 

松栄堂が展開しているブランド「リスン」には、そんなネーミングの香りがあります。 リスンファンのひとりは、「名前やコンセプトからどんな香りか知りたくなり、実際に嗅ぐとその触感や音、物語の風景が記憶から蘇る」と言います。

「京都に行ったら必ず寄るお店」「行く度に新しい香りとの出逢いがあってワクワクする」「お店にいるだけで幸せで穏やかな気持ちになれる」と老若男女、多くのファンを虜にしています。

 

蓄積した技術と固定概念の打破で「お香」から「インセンス」へ

リスンは、香老舗である松栄堂が香り文化の新たな捉え方を提案したブランドです。リスンというブランド名は、日本で古くから香りを嗅ぐことを「聞く」ということから、英語の「Listen」に由来しています。

同社が長年積み上げてきた調香技能と「香りへの感度」「香りの表現力」の高さを活かし、「お香」の固定観念に捉われない展開を企図して誕生しました。

 

「香りのある暮らし」をコンセプトにしたリスンは、「お香」をあえて「インセンス(Incense:英語のお香の意)」とし、斜めに立てるスタイルやカラフルな色のバリエーションにより宗教的なイメージなどに捉われることなく、感性に訴える新感覚の製品を提供しています。

150種類を超える香りと色をもつインセンスは、一本一本にユニークなネーミングとイメージストーリーが込められています。

先にあげた「もこもこ」「かさかさ」では手触り感を香りで表現し、「ド」「ファ」は音階を、「ALICE」とネーミングされたインセンスは『ふしぎの国のアリス』のワンシーンを香りで表現しています。

 

リスンの生み出す香りは、触感や音、物語の世界観、さらには記憶までを呼び起こします。

インセンスにはそれぞれストーリーがあり、そこから連想できる香り作りを行っています。

パッケージを開いた瞬間から、火をつけた時、そして残り香に至るまでが一連のストーリーのように感じられるため、すっと香りが溶け込んでいくのです。

 

創業時からのリスンファンは「リスンの香りは他で売っているものとは違い、ふわっと香りに包まれ、すっと部屋の中に溶け込む感じがある。それはリスンのインセンスでしか感じられない。」と語っています。

 

「丁寧な一本売り」というリスンの顧客体験

リスン京都
リスンは、製品のユニークさだけではなく、店舗の魅力でも多くの人を惹きつけています。

 

(京都の)店舗はモノトーンの色調で統一されたラグジュアリーモダンな空間です。

美しく、波打つようにディスプレイされた色とりどりのインセンスは、一本からでも購入できます。店内には静かなBGMが流れる中、顧客は自分で香りを自由に選ぶこともできれば、カウンターでスタッフと対話しながら試香して選ぶこともできます。

リスンではインセンスを、一本一本丁寧に販売することにこだわっているのです。

 

「目的はコミュニケーションです。バーカウンターで飲みながら香りを愉しんでもらうようなイメージ」(畑元章専務)

 

「語り続けないと理解されない商品。(中略)置いておいて勝手に動く(売れる)商品じゃない。1本売りにこだわっている」(畑正高社長)と語っています。

 

リスンの「丁寧な一本売り」は、茶席や香席の大事な場で使われる特別なお香を届けてきた松栄堂だからこそのこだわりといえるでしょう。

そこには、一本一本に込められた香りのストーリーや作り手の想い、リスンを知って好きになってほしいという想いがあります。

 

イノベーションのきっかけは、異文化との出会い

なぜ、老舗松栄堂はこのようなイノベーションを起こすことができたのでしょうか。

 

松栄堂の売上のほとんどは仏事に関わるものでしたが、生活様式の変化とともにお線香の需要は減少傾向にありました。

畑正高社長は、先祖から受け継いだ伝統や技術を守り続けるためには、変わらなければと危機感を持ち模索していました。

 

そんな中、アメリカのスーパーで、乾燥させたヒジキやワカメがスーパーフードとして売れ筋商品となっているのを目にし、その日本とは明らかに違う食べ方に衝撃を受けます。

同じモノでも文化が異なれば目的が変わる。そんな気づきから、お線香が日本文化の中でどのような存在なのかを考え、お線香の価値を再設計していきました。

 

そして「お線香は仏事に使うもの」「お線香は落ち着いた色」「お線香は伝統的な香り(お線香特有の香り)」といった固定観念に捉われない、新しい可能性として「リスン」を生み出したのです。

 

畑正高社長は、「ひじきだからお出汁で炊いて欲しいと思い込んでいるのは自分たちの価値観だけであって、アメリカ人にそれを押し付けても意味がない。

松栄堂の商品だからってこうやって使って欲しいっていう生活文化を(アメリカに)持って行っても意味がない。

それよりも、私たちが作っているものを『え、こんなもんあるの?僕らにはない。』『こうやって使っていい?』『こうだったら使えるのに。』と、異文化の人たちが見つけてくださることにすごく可能性がある」と語っています。

 

長寿企業がイノベーションを起こしたいと思っても、自社が文化の担い手として長年の伝統や歴史の中にどっぷりと浸っていると、固定観念が邪魔をして殻を内から破ることができないものです。

しかし「異文化」という外部からの刺激により、自分たちが考えもしない新しい価値に気づき、殻を破ることができるのです。

 

先祖からの預かりものである松栄堂

松栄堂は300年という長い歴史の中で、様々な苦境を乗り越えてきました。古くは、京都のほとんどが焼失した天明の大火、原材料を輸入していた長崎貿易に関わる船の沈没による取引停止、幕末を迎えて再び火事による焼失など、苦境の時代が100年ほどあったといいます。

 

しかし、松栄堂はこれらを乗り越えながら、自社の売上拡大だけを考えるのではなく、社会との関わりを考慮しながら企業活動を行ってきました。

 

畑正高社長は「松栄堂というブランドは私が作ったものではなく、先代から引き継いだもので、先代から預かっているものだ。そして多くの顧客に育ててもらったから今がある」と語っています。

これらの想いが通奏低音のようにながれ、先祖への誇りと継承者としての責任が苦境を乗り越え、変革を起こす糧になっていたのでしょう。

 

その結果、本家の松栄堂ブランドでは、伝統的な手法や天然素材にこだわったものづくりをし、リスンブランドでは、時代に合わせ革新を行う、まさにタイムレスなブランディングを行なっているのです。

 

薫習館と松栄堂の想い

株式会社松栄堂 代表取締役社長 畑正高氏 薫習館に
伝統的な香り文化を守りつつ、現代の生活文化に寄り添ったリスンを生み出した松栄堂は、2018年、日本の香り文化の小さな博物館「薫習館」を設立しました。
ここではお香の製造工程が学べたり、様々な仕掛けにより香りを体験することができたりと、「香りと出会う場」として京都の新しい観光スポットになっています。

 

香りは、ふとした瞬間に、大切な記憶や思い出を呼び覚ましてくれます。薫習館での体験を京都旅行の思い出として香りと共に記憶に残してほしいという想いが込められています。

 

また、この薫習館の前には長いベンチが設置してあります。ここには前のバス停でバスを待つ間や、薫習館に立ち寄った後、これからの予定を立てる際にそっと腰を下ろして使ってほしいというおもてなしの精神、また地域の憩いの場として使ってほしいという、地域との関わりを大事にした松栄堂の想いが込められています。

 

「細く 長く 曲がることなく いつも くすくす くすぶって あまねく 広く世の中へ」これは、お線香の煙が燻る様子になぞらえた先祖代々からの思想を表した松栄堂の口伝です。これからも伝統文化の担い手として、「変わらないために変わり続ける」ために相伝されていくでしょう。

 

松栄堂を文化資本がブランド価値を生み出し、ブランドが文化価値を向上するというメカニズム「リンゴの木モデル」で表してみます。

 

香老舗としての「仏教文化」をもとに、「調香技能」による香りへの感度の高さ、豊かな香りの表現力といった「クラフトマンシップ」「クリエイティビティ」という文化がある土壌に、新しく「リスン」の木を植えました。松栄堂の培った文化の土壌から生まれたリスンは、時代にマッチした新たな香りの文化を生み出し、その土壌をさらに豊かにしています。

そうすることで、「松栄堂」と「リスン」は共存共栄しています。

 

<リスンのリンゴの木モデル イメージ図>

(執筆:山根 紀子・末森 玲子・梁瀬 晋也 ・庄司 拓哉、監修 沼野 利和)

 

 

 

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Photo by:Daria Rom