「弱いロボット」を知っていますか?
「弱いロボット」というものを知っているだろうか。わりと知られているかもしれない。おれも、うっすらと知っていた。よくは知らなかった。
おれが「弱いロボット」に興味を持ったのは、『THE BIG ISSUE』という雑誌で特集されていたからだ。『THE BIG ISSUE』を知っているだろうか。ホームレスが路上で販売している雑誌だ。おれはこの雑誌を買った週は競馬に勝つという、神さまは見ている理論を信奉している。
この号の特集で、「弱いロボット」の第一人者というか、その概念を作ったであろう岡田美智男先生の研究室の様子、弱いロボットたちの紹介、そしてインタビューを読んだ。たいへんおもしろかった。
人にすり寄ってゴミを拾ってもらう「ゴミ箱ロボット」。子どもたちに昔話を語って聞かせる途中で大切な言葉を忘れてしまう「トーキング・ボーンズ」。人と手をつないでヨタヨタと歩く「マコのて」……。
ほとんどの人は、ロボットは人に代わって人の仕事をしてくれる存在だと考え、姿かたちも「鉄腕アトム」「ドラえもん」などの人間や生物に近いロボットをイメージする。
しかし、岡田美智男さん(豊橋技術科学大学教授)が学生のみなさんとつくってきたロボットたちは、それらとまったく違っている。むしろ、何の役に立つのか? 不完全で「弱いロボット」なのだ。でも、なんだか放っておけない「弱さ」で周りを見方にしてしまう。
『THE BIG ISSUE』VOL.464
具体的には動画を見たほうが早いかもしれない。
さて、なんだかこれらの「弱いロボット」は、たんにかわいいだけのおもちゃなのだろうか。どうも違うようだ。
とりあえず、次の二冊の本を読んだ。
「J・J・ギブソンってだれ?」というところで、そちらの本の方は難しいのかと思ったら、だいたい内容は同じようなものだった。ちょっとだけ、後者のほうが生態心理学とか身体論について述べられている。いずれにせよ具体的なエピソードが多く、たいへんわかりやすかった。
愛されるルンバ
今現在、われわれの社会に溶け込んでいる、一種の「弱いロボット」があるという。お掃除ロボット「ルンバ」だ。あるいは、ルンバのようなお掃除ロボットたち。これらのロボットは先進の技術が使われているのではあるだろうが、実際なところ不完全な存在だ。壁にぶつかって方向を変えるのは、実環境のすべてを認識するという不可能に近い機能を捨てて、あえて自らの制御を手放していることだという。壁や障害物という環境に試行錯誤する。
このときロボットが<物理的な身体>を備えていることの意味は大きい。ある場所を占め、その動きには向きがある。「部屋の壁にぶつかると、それ以上、進めない。仕方なく、その向きを変える」のは当たり前なことだけれど、それだけで親近感を覚えてしまう。モノにぶつかって弾かれる動きとも、プログラムのようなもので作り込まれた動きとも違う。行き当たりばったりにもかかわらず、なにか探しものをしているように映る、「どこに向かおうとしているの?」と、その動きを思わず追いかけてしまうのである。
普段、わたしたちは「よもや機械に心が宿ることはあるまい」と考えている。それでも、目の前のロボットのふるまいの意味を解釈し、その動きの先を予測するとき、そこに物理的な法則やプログラムの存在を仮定するだけでなく、「その背後になんらかの意図があり、それに沿って合目的的にふるまっているのではないか」と捉える方がしっくりくることがある。これはダニエル・デネットの指摘した「志向的な構え(intentional stance)」と呼ばれるものだろう。
お掃除ロボットはときに「甲斐甲斐しく働いている」ように見え、わざと足で動きを邪魔してみると「邪魔しないでよ」と迷惑そうな仕草をするように感じる。
そのような動きは生き物のようであり、人とロボットとの間に「ソーシャルなかかわりのようなもの」を感じるようになる。そしてついには、ロボットを応援し、助けるようになる。部屋のレイアウトを変え、片付けをしてしまう。そして、一種のよろこびすら感じる。
ホコリを丹念に吸い集めることはできないけれど、ロボットに先んじて進行を妨げるモノを取り除くような予測能力には優れている。部屋のなかのレイアウトをデザインし、たやすく変えることもできる。こうして相手の<拙さ>を補おうとするなかで、自分の役割や立ち位置を見つけることができるのはうれしいものだ。
不完全なふるまいが、まわりの手助けや<強み>を引き出す。まわりを味方にして「一つのシステムをつくる」。自分でゴミを拾うことすらできない「ゴミ箱ロボット」はさらに不完全だ。しかし、ゴミを拾ってあげる方が一方的に能動的になるのでもなく、受動的になっているのでもない。「中動態」や「ナッジ」にも関わる話ともいう。
……って、このお掃除ロボットの話にはそうとう大きい話が含まれている。というか、「ゴミ箱ロボット」、あるいは「弱いロボット」のほとんどのことが入っているんじゃないかとすら思える。
対話コミュニケーションのなかの弱さ
ゴミ箱ロボットのつぎは、途中で昔話を忘れてしまうロボットの方の話をしよう。著者が先に取り組んでいたのはコンピュータの音声認識、機械との対話だ。
たとえば、自動販売機に「アリガトウゴザイマス!」と言われたところ、べつにそこに生きた意味を感じない。いくら流暢で人間に似た声でもそうだろう。なぜなのか。
実際の人間の発話はこんな感じだという。
でー、そうねー。そこのお店のー、内装とかデザインとか素敵でー、あの、いま、最近、六本木とかー、銀座とかー、よくお店でてるんですけど、えーなんか、壁は白いしっくいでー、でー、柱、黒い、黒い柱が、おっきい黒い柱が、ぬっと出ている、なんていうかなぁフランスの田舎風っていう感じのー、んー、そんな感じのレストランなんですね。
「<弱いロボット>の思想」
実際、人間の会話なんてこんなものだろう。いかに無駄な発音や、意味の行ったり来たりが入っているか、会議や対談などの書き起こしをやったことがある人ならわかるだろう。さらにくだけた場では、このくらいがリアルに違いない。
「あのね、えーとね、あのー」などのこういった表現は、「フィラー」やターン開始要素」というらしい。
人間の対話にはフィラーやターン開始要素が多く含まれる。人間の「オープンな発話生成系」は伝達的な意図を持ちながらも、不完全な部分を周囲に委ねながら、コミュニケーションを成立させていく。弱みを相手に見せること、委ねることで一つのシステムになる。これも、「お掃除ロボット」と似ているところがある。
(一方で、このあいだ動画編集ソフトに人間のフィラーを自動的に削除する機能がついたとかいう話題を見かけたが、まあ対話ではない、一方的な動画には不要ということだろう。)
対話といえば、生成AIとの対話も最近は当たり前だ。おれも人間よりたくさん対話しているかもしれない。あいつらは基本的にフィラーなんて入れてこないよな。
おれ
『フィラーやターン開始要素をふんだんに盛り込んだ例文を書いて下さい。テーマは「コミュニケーション」です。』
ChatGPTさん
『あの、えーと、コミュニケーションってね、わかるような、まあ、わからないこともあるんだけど、さて、そのコミュニケーションって、お互いに話し合って、あるいは、ちょっと待って、相手の言っていることを理解しようとする、その一瞬一瞬、ターンを取り合うプロセスじゃないかな。だから、えーっと、コミュニケーションは、まあ、言葉だけじゃなくて、ボディランゲージや表情なんかも、大事なんだよね。それが、あの、相手との信頼や、共感を築くための、えーと、重要な要素なんだって思うんだけど。』
悪くない。
おれ
『その調子で答えて下さい。ミハイル・バフチンは「不完結な言葉は、内的説得力を持つ」と言いましたが、どういう意味なのかな?』
ChatGPTさん
『あの、ミハイル・バフチンの言葉、そのね、不完結な言葉が内的説得力を持つっていうのは、なかなか深いことを言ってるんだと思うんです。つまり、えーと、言葉やコミュニケーションが完璧である必要はなくて、ある程度の不完全さや曖昧さが、人々を引き付けたり、考えさせたりする要因なんです。不完結な言葉やアイデアは、相手に考える余地を残し、対話や対話者自身の内的プロセスを刺激することができるんですね。その結果、コミュニケーションがより深い意味を持つことがあるし、人々の関心を引きつけることができるんです。だから、不完結な言葉には、内的説得力があると言えるんじゃないかと思います。』
まあ、ちょっとこの本の内容について対話した上でのことだ。著者はこう述べている。
先に、「私たちの発話はいい直すことを前提に繰り出されているのではないか」と述べた。私たちの発話における「いい直し」や「いい淀み」というのは、そうした知覚的、探索的な側面も含んでいる。それと聞き手とのあいだで一緒に意味を生み出していくような、生成的なものでもあるのだ。
一方で聞き手はどうだろうか。その発話の意味や価値を周囲に探ろうとする話し手の賢明な振る舞いに、自分を思わず重ねてしまう。その振る舞いを一緒になぞりながら、その発話の意味づけに参加しようとする。わたしたちの思考の産物としてとらえてきた発話は、ここでようやく、社会的な環境である<他者>と出会うのである。
『<弱いロボット>の思考』
なるほど。ミハイル・バフチンの「不完結な言葉」と「権威的な言葉」については、AIにでも聞いてくれ。
しかしなんだ、この頃はもう小説以外の読書は、AIにいろいろ聞きながら読むようになってるな、おれ。検索では効率が悪いし、おもしろくない。ただ、こいつらは「強いロボット」志向が強いのか、わからんことや知らんことについても堂々と嘘をつくことがあるからな。もっと「弱さ」を取り入れてもいいんじゃないのか。
「弱いロボット」のほうは、こういう対話の思想を取り入れて、非流暢に語るようになった。なかには昔話の内容を忘れてしまうロボットもいる。もちろん、それに対して老若男女、なんか協力したくなってしまう。全員が全員じゃないだろうが。役立つロボット、という視点からは、幼児の遊び相手や、認知症の老人の対話相手にもなるだろう。
強いロボットと弱いロボットのハイローミックス
とまあ、周囲との関係性と引き算の発想で作り出されてきた「弱いロボット」について書いてきたが、もちろん「強いロボット」もあるに違いない。たとえば、自分そっくりのアンドロイドを作ってしまった石黒浩という有名な研究者がいる。
ロボットのデザインには二つのアプローチがある。岡田さんがATR(引用者注:国際電気通信基礎技術研究所)に在籍していた当時、隣の研究室にはロボット工学者の石黒浩さんがいたという。
「彼は人間そっくりのアンドロイドやジェミノイドをつくることで人間らしさとは何かを追求する<足し算としてのデザイン>をしてきました。反対に僕らは、実体としての意味や機能をそぎ落としていくことで、周囲との関係から人間らしさをえぐり出す<引き算としてのデザイン>をしてきました」
『THE BIG ISSUE』VOL.464
なんとまあ。ということで、ちょっと石黒先生の本も読んでみた。
すると、どうだろうか。なにかこう、やっぱりロボットにアプローチしているというところで、岡田先生の述べていることとの共通点も多いのでは、と思うんだよな。
たとえば言語について。
言葉が先にある。話をするから意識が生まれる。必ずしも、意識があるから話をするわけではない。だから、最初は意味を伴わなくてもいいんです。
言語というのは三人以上いないと意味がないものです。一対一だと互いに適応してしまうので、ろくな言語は生まれないけれども、三人目がいると自分たちの考えを共有しなくてはいけなくなる。だから言語とはすごく社会性を伴ったものです。
『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』
これはまあ、意識はどこから発生するのか、みたいな文脈だけれど。けど、たとえば「弱いロボット」は三体のクリーチャで多人数会話するものが開発されている。「弱いロボット」がそれのみで意識の発生や生成を目的としているのではないとしても、なんとなくおもしろい。この二人の対談など読んでみたい。
しかしまあ、「強いロボット」の完成はまだ先のことだろうし、きりのない取り組みかもしれない。無論、その進歩は大切なことだ。一方で、その完成、あるいは完成したとしても多大なるコストがかかってはたいへんだ。人類みんなが恩恵を受けることができないかもしれない。
その点、「弱いロボット」はローコストだ。できないことは多い。あえてできなくしている。人間が手伝わなきゃいけない。それでも、ある目的が達成できる、役に立つならいいだろう。さらに、人の「自らの力が十分に生かされ、生き生きとした幸せな状態」である「ウェル・ビーイング」のためにもなる。
「強いロボット」と「弱いロボット」の(発想の)ハイローミックス、いましばらくは、これでいくのが悪くないように思える。というか、それがいい。いずれ、シンギュラリティとやらが起きたあとも、人間の「ウェル・ビーイング」のためには「弱いロボット」の発想が必要かもしれない。
関係が先立つということ
で、岡田先生が本でたくさん語られている環境生態学的な話や身体性の話は「本読んでね」ということにして、いきなり仏教っぽい話をする。仏教の考え方では「関係は存在に先立つ」というような考え方がある。先に関係があって、はじめて私やあなたになる。たぶん。あ、おれの仏教理解はたいへんにあやしいので、まあそういう考え方もあったような気がする、という程度でお願いします。
でもって、たぶんそれは人間と人間だけの間におこる話でもないだろう。「ミリンダ王の問い」ではないが、「車」とて関係性のなかで初めて生まれる呼称にすぎない。
人間とものとの関係も同じだろう。人間とロボットも、相互の関係があってはじめて成り立つ。その関係というものを大きく意識させるのが「弱いロボット」だろう。「弱いロボット」の発想の背景には、古くからの「人間とは何か」という問いに食いついている思想があるように思える。
それを体験できるというのも悪くない。それに、SF的な人間とロボットとの共生。あるいは、ウェル・ビーイングを感じたいだけの人生。独身男には関係が足りないというのもある。
こうなると、おれも一つくらい「弱いロボット」を持ってみたいと思うところだ。高い買い物になるが、お掃除ロボットでも買ってみようか。
……と、思ったら、おれの部屋には掃除のじゃまになるものがあるどころか、掃除する床が見えない。今のおれに必要なのはまずお掃除ロボットのためにこっちが100%の片付けをすることらしい。冗談じゃない。やっぱり早く、すげえ「強いロボット」ができて、いらないものも全部判断して捨ててくれたり、四次元のポケットに放り込んでくれたりしたほうがいい。以上。
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著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
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