昔、芸能界で働いていた知人の杉山氏(匿名)から、いきなり無理難題を吹っかけられたことがある。

「200万を1000万にしてくれないか!」

 

大手の某芸能事務所でチーフマネジャーだった杉山氏は、当時の人気アイドルや音楽ユニットなどを手掛ける腕利きだった。

いわゆる「仕事のできるマネジャー」として、事務所サイドやアーティストから絶大な信頼を得ていた。

 

そんな杉山氏のトレードマークと言えば、手提げ式の黒いワニ革のセカンドバッグ。

杉山氏は、そのセカンドバッグの中に、いつも複数の帯封(100万円の束)を入れ、持ち歩いていた。

 

昭和から平成の前半くらいまで、芸能界は出演料やギャラ、バイト代などをその場で手渡す「取っ払い」が、当たり前のように行われていた。

某芸能事務所の社長に可愛がられ、厚い信任を得ていた杉山氏は、多額の運営資金を持ち歩き、自由に動かせる立場にあった。

 

仕事上の会食、接待なら何の問題もないのだが、次第にプライベートでも”公金”に手をつけるように。

これは杉山氏に限ったことではなく、何かと「どんぶり勘定」だった当時の芸能界では、同じ深みにはまる芸能関係者も少なくなかった。

 

個人的な飲食から小博打の種銭(軍資金)、カードの支払い、家賃、交際相手との小旅行、買い物……。

杉山氏は見境なく、事務所の運営資金に手を付けるようになった。

 

また、芸能界の知人から借金を頼まれると、杉山氏は二つ返事で了承。手持ちの運営資金を知人への貸し出しにも回していた。

 

経済的な互助組織の頼母子講(たのもしこう)ではないが、当時の芸能界はマネジャークラスが多額の現金を持ち歩くのが日常の世界。

困った時はお互い様、ということで、事務所の運営資金を個人的な貸し借りに流用する関係者も少なからずいたという。

そんな時代背景もあったのだろう。

 

杉山氏は月末に帳尻を合わせては運営資金を精算し、また新たに翌月の運営資金を「仮払い」の形で捻出していった。

そうこうするうちに、自転車操業に陥り、実質的な負債額も増大の一途に。

そんな悪循環を経て、杉山氏が抱える負債は1000万円近くまで膨らんでいた。

 

そんな切迫した状況の中、杉山氏は私にSOSの連絡を入れてきた。

待ち合わせの喫茶店で、落ち着かない様子でタバコを吸っていた彼の目は泳いでいた。

 

「月末までに1000万を作って会社に入れないと(精算しないと)と、ヤバいことになる。俺を助けてくれないか!」

むろん、私にそんな大金がないことは杉山氏も承知している。

 

彼の願いは、当時競艇記者をしていた私に舟券勝負を”全権委任”し、一か八か、一発逆転を狙うこと。

要は、プロの予想、舟券勝負に託し、200万円を1000万円に、という無理難題だった。

 

「そんな切羽詰まった状況で勝てるほど、ギャンブルは甘くないですから。その200万だけでも事務所に入れて、誠実に対処した方がいいですよ」

私は杉山氏にそう訴えたが、彼は聞く耳を持たなかった。

 

「とにかく月末までに1000万を入れなくちゃ駄目なんだ! もし使い込みがバレたら、芸能界にいられなくなるだけじゃなく、刑事事件にもなって、家族に迷惑がかかる。だから、この200万じゃ、どうしようもないんだよ!」

悲壮感が漂う表情で何度も懇願され、どうにも断り切れず、渋々ながら舟券の”代打ち”をする羽目になった。

 

仮に杉山氏の虎の子の200万円を溶かしても、私が責任を負うことはない。

とはいえ、罪悪感はきっと残る。どうにも乗り気にはなれなかった。

 

舟券に限らず、馬券、車券も含め、負ける可能性の方が圧倒的に高いのが公営ギャンブル。

ある統計では、控除率(主催者側の運営経費)が約25%の公営ギャンブルで勝つ確率は11人中、わずかに1人だとか。

11人中1人がチャラ(±ゼロ)、残る9人が負けてしまうのが公営ギャンブルの実態だ。

 

そんな過酷な公営ギャンブルで、200万円を1000万円に増やすことが、どれほど困難で、成功率が極めて低いのは、容易に理解できるだろう。

何より、2万円を10万円にするのと、200万円を1000万円にするのとでは、精神的な重圧に天と地ほどの差がある。

 

私はそれまで、馬券で240万円、競艇で80万円、オートレースで60万円ほどの払い戻しを手にしたこともあったが、負けた額はその比ではない。

まして、200万円もの大金を手に博打を打ったことはないし、1000万円なんていう高額の払い戻しを拝んだこともない。

 

いかに追い込まれているとはいえ、杉山氏の「帯封5倍増計画」はあまりにも無謀だったし、それを安易に受けた私自身も無謀というか、無責任極まりなかった。

 

不本意ながら、杉山氏の懇願を受け入れ、数日後、一か八かの勝負に出向いたのは、都内の某競艇場だった。

私の舟券勝負の定位置である、特別観覧席(有料席)の1マーク付近に陣取り、無謀、無責任な勝負が始まった。

杉山氏はワニ革のセカンドバッグから帯封を一つ取り出し、すがるような目で私の手にギュッと握らせた。

 

まず、最初の勝負は、展示の気配が良かった選手の頭(1着固定)で、各10万円ずつ、2連単の3点勝負(当時はまだ3連単がない時代だった)。

レースは、その選手のカドまくりが鮮やかに決まり、2着に何が来ても200~300万円になる好配当だったが、痛恨のヒモ(2着)抜け。30万円分の舟券は紙くずになった。
流れを変えるべく、3レースほどケン(購入せず観戦のみ)した後、二発目の勝負に出た。

スタート展示で強力に伸びていた大外(6コース)の穴選手に狙いを定めた。

 

その選手のヒモ付け(2着狙い)総流しで、他の5艇のどれが1着に来ても300万円の払戻しになるように、計70万円分の舟券を購入。

狙った穴選手は強力な伸びで2着争いに加わったが、最後は競り負けて3着。

 

ギャンブルに「タラ・レバ」は禁句だが、もしここで舟券が的中していたら、潮目が変わり、最後のレースで奇跡が起こったかもしれない。

 

痛恨の連敗で重い空気が漂う中、杉山氏は最後の帯封をワニ革のバッグから取り出した。

手はかすかに震え、真っ赤に充血した目は、またも泳いでいた。

杉山氏の意気消沈した表情を目の当たりにして、私の重圧が何倍にも増大したのを覚えている。

 

そして、虎の子の100万円で起死回生を図った最後の勝負。

当時、「サシコン」と呼ばれ、差しハンドルが抜群にうまかった選手の差し切り(1着)に勝負を託した。

勝てば1000万円になるよう、2連単2点に70万円と30万円を突っ込んだ。

 

だが、勝負レースで惜敗続き、という悪い流れの中で勝てるほど、博打は甘くない。

「サシコン」は1マークで絶妙な差しを入れたが、わずかに引き波に乗ってバウンド。痛恨の2着に終わった。

 

ついに運が向くことはなく、最後の帯封も水面に消えた。

希望が絶望に変わった舟券勝負の帰途、杉山氏は愛車のクラウンのハンドルを握りながら言った。

「もう後がなくなったけど、後悔はしていない。いい勝負だった。感謝しているよ」

そう気丈に話しながらも、待ち受ける厳しい現実を前に、体は小刻みに震えていた。

 

非常識極まりない話で恐縮だが、当時は飲酒して運転する人間が普通にいた時代。

杉山氏も現実から逃避するかのように、ハンドルを握りながら、缶ビールを何本もあおっていた。

 

カーステ(カーステレオ)からは、杉山氏のカラオケのオハコだった「道化師のソネット」がリピート(繰り返し)で流れていた。

 

何とか杉山氏を励ましたかったが、彼の焦点の定まらない目を見たら、とても道化師にはなれなかった。

翌月、杉山氏は勤めていた芸能事務所を辞めた。

表向きは「自主退職」扱いだったが、実質は「懲戒解雇」、クビだった。

 

多くの芸能関係者に、その事実は知れ渡っていた。

使い込んだ1000万円のうち、300万円は「退職金」の形で事務所が処理したという。

残る700万円は、杉山氏がどこからかかき集めて返済した。

 

杉山氏の運営資金の使い込みは、業務上横領罪(刑法第253条、10年以下の懲役)に該当する刑法犯。

事務所側の温情か、世間体を気にしてかは分からないが、刑事告訴はされなかった。

ただ、杉山氏が芸能界で身を置く場所は、もうどこにもなかった。

 

高校中退後、芸能界一筋で生きてきた杉山氏。

芸能界以外、職務経験は皆無だったが、杉山氏が「兄貴」と慕っていた某芸能関係者の話によると、職を転々としながらも頑張っているという。

遠洋漁業の乗組員、風俗店の名義店長、離島での住み込みスタッフ、ラブホテルのフロント……。

 

ただ、数年前、別の芸能関係者が都内の某ターミナル駅で杉山氏を見かけたそうだが、杉山氏は逃げるように去って行ったという。

いまだ芸能界に対し、後ろめたさが消えないのだろうか……。

 

何の因果か、杉山氏に引導を渡す役回りを演じた嫌な記憶が、今も脳裏に焼き付いている。

他人の窮地に無責任に関与すべきではなかったと、心底後悔している。

 

若気の至りから、似たような安請け合いをしたことが何度かあるが、どれも失敗し、相手の首を絞める結果となった。

当たり前だが、200万円を1000万円に、なんて博打が、簡単に成功するはずもない。

平常心でも勝てないのに、精神的に追い込まれた状態で勝てるほど、ギャンブル、いや人生は甘くない。

 

時に、一か八かの崖っぷちで幸運に恵まれるケースもあるが、大抵は負けてしまうのがギャンブルの常。

漫画のような劇的な幕切れなんて、滅多にない。

 

とにもかくにも、友人、知人を谷底に落とすような経験は、二度としたくないもの。

そもそも、他人の窮地に無責任にかかわるべきではないし、自分の窮地を他人に託すべきでもない。

まして、ギャンブルで窮地を脱しようなんて発想自体、論外だろう。

 

「ギャンブルで起死回生なんて展開、そうはないよな。でも夢を見させてもらったよ。ふふふふ」

そう、きざっぽく笑って、寂し気に去って行った杉山氏。

 

人生いろいろ、だが、博打に限って言えば、ハッピーエンドは望めない。

これが現実だ。

 

 

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【著者プロフィール】

小鉄

約30年、某媒体で社会、スポーツ、音楽、芸能、公営競技などを取材。
現在はフリーの執筆家として、全国を巡り、取材・執筆活動を行っている。
趣味は全国の史跡巡り、夜の街の散策、麻雀、公営競技。

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