「やればできる」、「夢は叶う」。使い古された言葉ですが、気持ちの持ち方次第で人生は変わるもの。これは真理ではないでしょうか。

夢を持てない若者、闇バイトなど人生を狂わす道へと進んでしまう若者が少なくない今だからこそ、改めて前を向く生き方の大切さを訴えたいのです。

 

 

「ついに俺の勝負服、作れるよ!」。先日、40年来の友人の弘田(仮名、50代)が、まるで子供のように目を輝かせながら言った。

昨年、長年の夢だったJRAの馬主登録を行ったのが、仲間内でも無類の競馬ファンだった弘田。

数年前には、すでに地方競馬の馬主になっていて、関東の某地方競馬で2頭の愛馬を走らせていた。

 

最初の所有馬(牝馬)は10戦以上走って未勝利のまま引退。2頭目の牡馬は、まだ弘田が馬主(他の馬主名義では2勝)になって以降は未勝利だが、今も現役バリバリ。

「最初の牝馬は毎回、全力で走ってくれて感謝。現役の牡馬は、俺を口取りに連れていってくれる気がするんだよ」。弘田は、目をキラキラさせながら、馬主として初めて口取り(勝った馬とウイナーズサークルで行う記念撮影)する日を思い描いている。

 

そんな中、つい先日、弘田がJRAで共同所有する馬の共有代表馬主に選ばれ、自らの発案で勝負服(所有馬に騎乗する騎手が着用する服)を制作することになった。

JRAの厳しい個人馬主登録条件(所得金額が過去2年いずれも1700万円以上、資産額が7500万円以上など)をクリアしても、高額の馬代金や預託料などの負担は大きく、個人で1頭を所有(1頭持ち)するのは簡単ではない。

 

そこで「共同所有」というシステムを利用する馬主も少なくないが、勝負服を決められるのは代表馬主だけ。JRAでは、1頭を最大10人(10口)の馬主登録者で共有することを認めているが、弘田は10分の1の確率を突破し、共同所有馬の代表馬主に選ばれたのだ。馬主の魅力の一つである、勝負服を自ら決める喜びは計り知れないだろう。

 

「●●さん(馬主)のカラーに、●●さん(馬主)のデザインがいいんだけど、被っている可能性もあるからね。第3希望まで出すみたい。とにかく楽しみだよね。むふふふ」。還暦も近い弘田が、少年のように目を輝かながら話す姿を見ていると、こちらまで、すがすがしい気持ちになる。

 

 

今では「先生」と呼ばれる立場の弘田も、10代から20代前半まで、極貧の苦学生だった。「ちょっと諭吉(1万円)を●枚ほど回しちゃ(貸しちゃ)くれないか」。とにかく金がないから、よく仲間に無心していた。

商売人の家筋で、彼の親も手広く事業を展開していたが、バブル崩壊も手伝い、家業は億単位の負債を負って衰退。やむなく弘田は高校時代からバイトに明け暮れ、自身の生活費などを工面していた。

 

弘田の口癖は「俺はサラリーマンにはならない。自営(業者)で大成して、将来JRAの馬主になる」だった。

2浪の末、自ら稼いだ金で東京都下にある某大学の商学部(2部=夜間学部)に入学。

事業者として身を立てるため、超難関の某士業の資格取得を目標に猛勉強した。

 

その間、学費、生活費、ボロアパートの家賃に加え、資格受験のための予備校の費用などを、奨学金と警備、雀荘、プール監視員などのバイト代で捻出。

「高速道路の警備は本当に危険だよ。一つ間違えれば、瞬間的に(はねられて)死んじゃうんだから。雀荘の代走だって、海千山千が相手だから油断ならないよね」。

 

その間、学費や生活費、時に馬券代が足りず、愛嬌たっぷりに「諭吉を●枚ほど回しちゃくれないか」と手を合わせる姿を何度も見た。

通常はプライドなのか、仲間には借りず、内緒で金融機関に借金をするのが債務者の性(さが)のようだが、弘田の場合、仲間には借りても、利息のかさむ消費者金融やクレジットのキャッシングには絶対に手を出さない。で、期限までには必ず返済する。

堅実というか、合理的というか、非破滅型というか…。それが弘田という男だった。

 

彼は大学卒業して2年後に、難関の国家資格を取得した。自らの汗(バイト)と反骨精神でつかんだ社会人の扉。

数年、大手事務所で修行した後、関東近郊のアパートの一室で自ら事務所を開いた。「最初は全く依頼が入らなくてな。生活費どころか、事務所代も稼げない月が続いてさ。俺には事業の才覚がないのかとマジで悩んだよ」。

 

だが、根っからの人付き合いの良さと調子の良さから、顧客は徐々に増えていった。

商工会や自治会の役員、ボランティア活動に加え、趣味の延長でもある酒、麻雀、競馬、夜の街にも積極的に繰り出す日々。時には苦手のゴルフや草野球にも精を出し、進んで人と接する機会を作った。それが事業展開にもプラスに作用したのは言うまでもない。

 

某士業の事務所を独立開業して約30年。

現在は東京近郊の某ターミナル駅近くにある巨大ビルのワンフロアを借り切り、手広く事業を行っている。

名刺に裏には本業(士業)の代表のほかに、著名企業やスポーツ団体ほかの役職がずらり並んでいる。金銭的援助も、何の伝手(つて)もなく、自らの努力と才覚で切り開いた肩書だけに、値打ちが違う。

 

「今は人手が足りず、申し訳ないけど、依頼を断ることも少なくない。引き受けるからには、どこの事務所にも負けない仕事をする覚悟と自信を持ってやっているから。俺の財産は人との縁。何かの縁で出会った相手に、誠心誠意、接してきた積み重ねで今がある。仕事も縁なら、家族や仲間、それに競馬や馬主だって何かの縁。この縁を大事にする原点だけは忘れないでやっていく」。

 

つい先日、弘田が所有する地方競馬の牡馬(所有2頭目)がレースに出走した。馬主として、弘田も南関の某レース場に駆け付け、「前に勝った時のタイムが出せれば、ある(勝てる)気がする」と期待を込めたが、結果はブービーだった。

だが弘田は「連闘でプラス十数キロ。どっかで買い食いでもしたのかな」とジョーク交じりにレースを振り返っていた。

 

この弘田という男、麻雀でも競馬でも、「勝てば謙虚に(負けている人への配慮)、負ければ笑顔で」という姿勢を崩さない。社会人としても立派だが、ギャンブラーとしても、彼の所作は一流。物事が思うようにいかなくても、言い訳はせず、しゃれっ気たっぷりに前を向く。

 

これは成功する人間の共通点かもしれない。

「俺は馬券収益も含め、しっかり8桁納税しているぞ。お前には馬券収益なんてないだろうし、5桁納税かな。むふふふ」。弘田が言うと嫌みがないから不思議だ。

 

いまだ馬主として勝利には恵まれないが、今度はJRAの大舞台で、弘田がデザインした勝負服を着た騎手を背に、愛馬が走ることになる。

若いころ、誰彼構わず「諭吉」を拝借し続けた男が、ついにJRAの馬主として、長年の夢を実現させる日も近い。

 

 

月並みな言い方で恐縮だが、「やればできる」、「夢は叶う」のが人生ではないでしょうか。

少なくても、「やらなければできない」、「やらなければ夢は叶わない」のは間違いないでしょう。

若い皆さんには、何があっても前を向いてほしいのです。

 

 

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【著者プロフィール】

小鉄

約30年、某媒体で社会、スポーツ、音楽、芸能、公営競技などを取材。
現在はフリーの執筆家として、全国を巡り、取材・執筆活動を行っている。
趣味は全国の史跡巡り、夜の街の散策、麻雀、公営競技。

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