「悪い人ではないんだろうけど、言葉選びが下手だなぁ」
わたしはAさんに対して、ときおりこう思っていた。
Aさんの考え方自体がおかしいわけではないのだが、なんだか癪に障る言い方が多いのだ。
なぜこの人はこんなにも言葉選びが下手なんだろうと不思議だったが、最近その理由がわかった。
彼は言葉選びが下手なんじゃない。単純に、「自分の言い分は正しいのだから、それを理解できない相手が悪い」と考えていたのだ。
かつてのわたしのように。
「言葉を選んで伝える」という発想がないAさん
あるとき、数人で出身地の話をしていたときのこと。
Bさんが、Aさんの出身地を勘違いをしていた。
「Aさんって、沖縄出身だったよね?」
「いや、ちがうけど」
「あれ、沖縄って言ってたと思ったんだけどな」
「いやいや、沖縄出身なんて一切言ってないし」
「あー、ごめん。言ってたと思ったんだけど、だれかと勘違いしたのかも」
「思い込みじゃない? 俺は絶対に言ってない」
「あ、はい」
こんなやり取りがあり、横で聞いていたわたしは、「Aさんの悪い癖が出てるなぁ」と苦笑した。
「一切言ってない」とか「思い込み」とか、そこまで言わなくたっていいじゃん。「沖縄じゃなくて北海道出身だよ」って言うだけでいいのに。
案の定Bさんも、「Aさんは言い方がキツイ」と苦手意識を持ってしまった。そりゃそうだ。
後日Aさんに、出身地に関する会話を引き合いに出して、「もうちょっと言い方考えたほうがいいよ」と伝えた。
今までこういうことは何度もあったから、きっとAさんは言葉選びが下手なんだ。Aさんは悪い人じゃないし、教えてあげたほうがAさんのためになるだろう。わたしとAさんの仲だから、話せばわかってくれるはず、と。
しかしAさんはわたしの言葉にきょとんとして、首をかしげる。
「だって俺、沖縄出身じゃないし」
「うん、わかるよ。でも言い方によって相手の受け取り方が変わるじゃん? あの言い方をしたら、Bさんを責めてるように聞こえちゃう」
「? 俺はそんなつもりで言ってないよ」
「でもBさんは責められてるって思ったし、わたしもそういう印象だったんだよ」
「いや、俺はそんなつもりで言ってないって」
会話が成立しない。
Aさんは決して、他人のことをどうでもいいと思っているワガママな人ではない。むしろ落ち込んでいる人には声をかけ、喜んで人助けができるタイプだ。
それなのに、なぜこうも伝わらないんだ。
「Aさんがどういうつもりだったかじゃなくて、相手がどう受け取るかの話をしてるの。悪気がないのはわかるけど、言葉がちょっと強かったと思うよ。責めてる感じに聞こえるもん」
「それって俺が悪いの? Bさんが勝手に責められてるって思っただけでしょ? 俺、責めてるつもりなんてないし」
「だからAさんの意図がどうこうじゃなくて、Bさんがどう受け止めるかの話をしているのであって……」
あぁ、ようやくわかった。
この人は、言葉選びが下手なんじゃないんだ。
「相手がどう受け取るかは自分には関係ない」と思ってるから、言葉を選んで伝えるっていう発想がそもそもないのだ。
正しいことを言った自分がなんで悪者になるのか、理解できない
悪い人ではないのに、伝え方が悪くて相手を怒らせたり、誤解されてまわりから距離を置かれたりしてしまう人がいる。
いままでわたしは、そういう人は語彙力や気配り、デリカシーに問題があるのだと思っていた。単純に語彙力が低くて選べる表現が少ないとか、本人がちょっと鈍感だから失礼な発言にも気付かないとか。
でも原因は、もっと根本的なものなのかもしれない。
Aさんにとってコミュニケーションは、「自分の意見を伝えること」。そこで終わり。
出身地の会話でいえば、「自分は沖縄出身じゃないから、Bさんの発言を否定した」。Aさんの認識では、ここでコミュニケーションが終わっている。
それに対してBさんがどう思うかは相手次第であり、自分が関与することではない。
ネガティブに受け取ったなら、それはその人の勝手であり自分に責任はない。だって自分は、正しいことを言っただけなのだから。
わたしがいくら、「その言い方だとこう受け取られるよ」と説明しても、「自分にはそのつもりはない」から「誤解するほうの責任」と言って聞く耳持たず。
「言葉を選んだほうがいい」と言っても、「沖縄出身じゃないから否定しただけなのになにが悪いんだ?」と本気で理解できない。
内容の問題ではなく言い方の問題だと伝えても、「正しいことを言った自分がなぜ悪いことになるのか」と首をかしげる。
……ああ、なんだか、かつての自分を見ているようだ。
わたしの意図を理解できないのは、相手がバカだから
数年前、まだライターになりたてだったころ。わたしが書いたヘルプマークに関する記事に、批判コメントが届いたことがあった。
当時「ヘルプマークをつけているのに席を譲ってくれなかった」というツイートがバズり、SNSでヘルプマークを浸透させようという動きが活発になっていたので、時事ネタとして執筆した記事だ。
わたしの主張としては、
・そもそも障害者手帳とちがってヘルプマークは自己申告でもらえるもの
・ヘルプマークをつけている事情は人それぞれだから、どんな手助けが必要なのか他人はわからないし、優先席に座っている
人だっていろんな事情があるかもしれない
・席を譲ってほしければ自分から声をかけて、コミュニケーションを通じてお互い気持ちよく譲ってもらえばいいじゃないか
というものだった。
というのも、わたしが住んでいるドイツでは、「誰か席を譲ってくれません?」「あ、どうぞどうぞー」「ありがとう、最近膝が痛くて……」「そりゃ大変ですねぇ」なんて会話が日常茶飯事だからだ。
ヘルプマークなんかなくとも、コミュニケーションを取れば席の譲り合いはいくらでもできるじゃないか。
が、この記事に、いくつか批判コメントが届いた。
「精神疾患で自分から他人に話しかけられない人もいるのにひどい」「病状をオープンにしたくない人の気持ちがわからないのか」といった内容だった。
正直なところ、「いやだから、あなたにそういう事情があるのと同じように、席に座ってる人だって席を譲りたくない事情があるかもしれないって言ってんじゃん! でもそんなの会話しないとわかんないよねって話をしてるの! ちゃんと読めよ!」と思った。
まだライターとして駆け出しだったし、当時は同年代のブロガーたちが挑発的なレスバをしてバズっていたこともあり、「読解力がない人間はこれだから……やれやれ」というスタンスだったのだ。
誤解をさせる=伝え方が悪い、という気付き
しかし批判の件数が増えてくるにつれ、少しずつ考えが変わってきた。というか、不安になってきた。
多くの人にわたしの意図が伝わらなかったのなら、それはわたしの伝え方が間違っているんじゃないか、と。わたしの考えが足りなくて、だれかを傷つけてしまったんじゃないか、と。
「わたしの意図を正しく理解できない相手が悪い」「特殊な例を持ち出してごちゃごちゃ言うな」と、相手のせいにすることはかんたんだ。
でもそうやって他人のせいにしたところで、どうなるというのだろう。
「誤解したほうが悪い」と考えたところでこっちの意図は伝わらないんだから、「誤解させない表現を心がけるべきだった」と反省したほうが建設的じゃないか。
他人に話しかけること自体に強烈なストレスを感じる人がいるということを見落としていたのは、わたしの落ち度だし。
わたしの言葉をどう受け止めるかは相手次第。
だからこそ、どんな相手にも自分の意図をできるかぎり正しく受け取ってもらえるように、伝える側は努力する必要があるのだ。
……という学びを得たわたしは、それ以降今に至るまで、批判コメントを見たらまずは自分の伝え方を疑ってみるようにしている。
もちろん、単純に記事を読んでいないとか、まったく理解できないアクロバティック思考回路の人はいるけども。
でも多くの人に誤解され、批判されたのであれば、それは高確率で自分の伝え方が悪いのだ。
伝え方を間違えたら、内容が正しくても受け入れてもらえない
こういう経験があったから、Aさんの「相手の受け取り方が悪いだけで自分に非はない」という考え方が、昔の自分に重なって、なんだか放っておけなかった。
別に、Aさんに考え方をなおしてほしいわけじゃない。なおすかどうかはその人が決めることだから。
でもその考え方では敵を作るし、誤解されて自分自身が損をするだけだと、わたしは知っている。
「Aさんさぁ、もし電車が遅延してわたしを30分待たせたらどうする?」
「え? そりゃ謝るよ」
「自分は悪くないけど、待たせたことに対して謝るよね」
「うん」
「それと同じだよ。正しいことを言ったAさんは悪くなくても、Bさんが責められたように感じたなら、Aさんの責任がないわけではないでしょ?」
「でもそれはBさんの勝手な誤解だから、俺の責任にされてもなぁ」
「ほらまた、『勝手な誤解』って言葉を使って、相手が悪いってスタンスになるでしょ?」
「えぇ、俺が悪いの? 出身地間違えたのは向こうじゃん」
「どっちが正しいかじゃなくてさ。言い方をちょっと変えるだけで印象が変わるって話だよ。
『流されやすくて自分の意見がないんだね』って言われたらムカつくけど、『人の意見をよく聞いて尊重するんだね』って言われたら褒め言葉だし」
「ああ、それはそうだね」
「今のAさんは、『君は流されやすいね』って言っておいて、相手が怒ったら『自分は褒めてるつもりだった。怒る側に問題がある』って言ってるようなものなのよ。いやいや、伝わらないよ! 褒めたいんならちがう言葉のほうがいいでしょ!ってこと」
「うーん、なるほどねぇ……」
「Aさんは、Bさんを責めるつもりはなかったんでしょ? それなのに責めてるって思われたら、Aさんだって損だしBさんだって嫌な気持ちするし、いいことないじゃん」
「たしかに」
「おせっかいだけど、ちょっと言葉選びを気を付けたほうが、Aさんにとっていいと思うよ」
伝え方を間違えれば、内容自体が正しくとも、まわりからは受け入れてもらえない。伝え方が悪くて損するのは、自分自身。
ほんの少し、伝え方を考えるだけ。
ほんの少し、相手の立場を想像してみるだけ。
それだけでうまくいく場面は、きっとたくさんある。
自分の言いたいことを正しく受け取ってもらうように努力する
「自分はそんなつもりはなかった」「そんなこと言ってないのに勝手に向こうが思い込んだ」「相手が誤解していろいろ言ってくる」
自分の意図が伝わらなかったとき、こうやって他人のせいにしてはいないだろうか。
他責思考で、なんでもかんでも相手が悪いことにすれば、自分は楽だ。
でも受け取り方は人それぞれだから、伝える側も、自分の意図が正しく伝わるように言葉を選ぶ努力をしたほうがいい。
それを怠れば、損をするのは自分。
意図が伝わらずに敵を作ったり、無駄に相手を怒らせたり、「ひどい人だ」と評価されたりする。
もちろん、いくら言葉を尽くしても理解してもらえないことはある。
それでも大前提として、コミュニケーションは言葉を投げるだけじゃなくて、相手がしっかりとその言葉を受け取ってはじめて成立するものなのだ。
ちなみにAさんは、わたしがわざわざお節介をした気持ちを汲んで、「大人になるとそういうの注意してくれる人が少ないから助かる、ありがとう」と言ってくれた。
Aさんは悪い人じゃないから、誤解されることが減ったらいいな、と思う。
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(2024/12/6更新)
【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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