あっ、なんかヤベェなって思ったよね。相手の顔色が変わった瞬間に。

どうやら地雷を踏んだらしいわ。めっちゃムカついてるっぽいやん。

 

「なんでいつまでもそんなに忙しいの?」

って聞いただけだったんだけど。だって、純粋に疑問だったから。

お互いに昭和の面影が残る商店街で、組合の事務員という同じ仕事をしているからこそ、なぜ連日のように残業し、週末も出勤するほど忙しいのか、本気で分からなかったのだ。

 

「基本的には、前の人がめちゃくちゃにしてたことの片付けに、まだ時間がかかってるんです」

そう答える斉藤さんの顔は強張っている。

 

「そっか。でも、前任者のやらかしの片付けが大変だったのは、こっちも同じだけど」

おっと、これは言うべきじゃなかったな。余計にコワイ顔になっちゃった。

「こっちはとっくに片付け終わってるのに、そっちは何してんの?」って、嫌味を言ったみたいに思われたかな。

 

「うちの組合は、私の前任者が理事長と事務局長と事務員の三役をこなしていたから、仕事の境目が分からなくなってたんですよ。それを一つ一つ整理して、理事がやるべき仕事は理事にやってもらわないといけないんですけど、なかなか理解してもらえなくて」

 

事務員に何もかも任せっぱなしで理事たちが何もしないのは、商店街に限らず、ちっこい組合ならどこだって同じじゃないの?

 

「まあ、理事長は良い人なので、ちゃんと仕事をしてくれるようになりました。だけど、今度は理事長に負担が偏りすぎちゃったのが問題なんです。他の理事たちにも仕事を分担してもらわないといけないし、もっと理事のなり手も増やさないといけない。
それを組合員さんたちに分かってもらおうとしてるんですけど、どうして私がこんなに忙しいのかについても、毎回一から説明しなくちゃいけなくて、もうウンザリ。なんど言っても分かってくれないし」

 

あー、だから「なんで忙しいの?」って言葉にキレたのか。ウンザリしてたのね。

せっかく久しぶりの事務員ランチ会で、私にとっては最後の参加になるのに、気まずくなっちゃったなぁ…。

 

私と斉藤さんの勤め先はそれぞれ別の商店街だが、立地は違えど規模と歴史は似たり寄ったりだった。

 

日本が高度成長期だった時代にブイブイ言わせていた商店主たちが、世がバブルの頃にMAX調子に乗りまくり、よせばいいのに組合を法人化して、億単位の助成金と融資を受けて高度化(アーケードをかけたり、街路をカラー舗装したりすること)した。

けれど、巨費を投じた高度化事業を終えた頃には郊外にイオンができて、あっさり衰退し、今では買い物客どころか通行人すら少ない限界商店街に成り果てているのだ。

 

何より似通っているのは、どちらの商店街も長年にわたって事務局を任されてきた事務員が高齢となり、退職した途端に山ほどの不正が明るみになったことだった。

開けてびっくりパンドラの箱を押し付けられた私たちは、事務員同士の交流会で知り合った頃、どちらも頭を抱えていた。

 

お互い涙目になりながら組合の内情をぶっちゃけ、

「やっばw ◯◯◯商店街って、うちよりヒドイやん」(←失礼)

「えっ? うちよりそっちの方がよっぽどヤバくてメシウマ案件ですよ」(←超失礼)

 

などと軽口を叩いて、慰め合った。どんな理不尽な環境下だろうと、自分以外にも苦労している仲間が居ると思うと励まされるものだ。

しかし、私は問題の処理を終えると同時に退職を選んだが、彼女は問題の解決に目処が立っても残留を選び、そこからは道が分かれていた。

 

「とにかく、理事たちにはもっと働いてもらわなくちゃいけません。理事会の出席率も上げないといけないし、理事長や理事の成り手の確保もしなくちゃいけないから忙しいんです」

 

「そうなんだ。でも、理事が組合のために何もしないなんて、今じゃどこの組合でも当たり前のことなんじゃないかなぁ。みんな自分の商売で忙しいんだし、組合のことで煩わされたくないでしょ。
だったらさ、そもそも組合員も事務員も負担に感じる仕事はしなくてもいいように、業務を効率化してしまえばいいんじゃないの? うちの組合は大分DX化したから、リモートでもできる…」

と言いかけたところで、いまいましそうに話を遮られた。

 

「それについていける人や、喜ぶ人が商店街にどれだけいるんですか?だいたい業務の効率化って言うけど、ただ単に事務作業をするだけの人に、商店主さんたちが給料を払う価値を感じると思いますか?」

えっ? 事務員がやるべき仕事は、事務作業じゃないの?

 

話の展開に面食らっていると、斉藤さんは強い口調でこう続けた。

「商店街の事務員の一番大切な仕事は、事務作業じゃないです。組合員さんたちお一人お一人と、じっくり向き合ってお話をすることなんですよ」

 

ん? ちょっと何言ってるのか分からない…。

 

「何か不満があっても、事務員が話を聞いてあげれば丸く収まることって多いんです。商店主同士で言いたいことを言い合うと大事になるような話も、事務員が間に入って、優しい言葉に変えて上手に伝えれば、物事が円滑に進みます。
商店主って気難しい人が多いので、上手く機嫌を取ることも大事です。そういうことを上手くやるのが、商店街の事務員としての手腕なんですよ。
だから、キャッシュレスとかペーパーレスなんてしたらダメでしょう? 回覧板を回したり集金に行くからこそ、顔を合わせてお話ができるんですから」

 

それって本気で言ってるの?

斉藤さんって、確か私よりひとまわり若いよね?

 

あ、そっか。分かっちゃった。なんで斉藤さんがいつまで経っても忙しいのか。そして「分かってもらえない」と不満たらたらなのか。

 

この人は、内部的には意味があっても、対外的には何の価値もない仕事を延々とやっているのだ。だったら「忙しいことが周囲に理解されない」のも当然である。

なんなら「アホちゃうか?」「ヒマなんか?」と思われているのではないだろうか。

 

そして、商店街を取り巻く状況はとっくに変わってしまっているのに、システムではなく他人の意識を変えようとしている。昔ながらの商店街の復活と、彼女が思う正しい組合のあり方を目指すという、時代に逆行する方向で。

だから、今の理事長さんは負担に耐えきれず引退したがっており、新たな理事の成り手も居ないのだ。組合員と話をするのが一番大事な仕事だと言う彼女の頑張りは、恐らく裏目に出ているのだろう。

 

超がつく薄給でも真面目に働いてくれる彼女に対して、感謝の気持ちと申し訳なさがあるからこそ、誰も面と向かって言えずにいるんじゃないだろうか。ことあるごとに店に来て、「もっと組合のために働け」だの、「理事を引き受けろ」だのと粘られるのは、迷惑このうえないということを。

自分にとって一銭の利益にもならないのに、ただ負担が増える話を喜ぶ商売人なぞどこにも居ない。

 

昔の商店主たちが組合の活動に熱心だったのは、金と暇がたんまりあったからである。

国や自治体から助成金もジャブジャブ注がれていた。だからこそ、そうした公金の受け皿として誕生したのが法人格の組合なのだ。

 

「えー…っと。事務員の価値うんぬんの前に、言ってしまえば、わざわざ事務員を雇わなくちゃいけないような法人格の組合自体が、もう商店街に必要ないんだと思うよ。
昔みたいに大規模事業はやらなくなってるんだから。イベント開催や街のインフラ管理程度のことなら、町内会みたいな任意団体になってやればいいでしょう?」

 

「そんなこと絶対に無理ですね。さびれたとはいっても、歴史のある商店街なんですよ。振興組合を解散して任意団体に成り下がるなんて、プライドが許しません」

そりゃ何のプライドだよ? クッソくだらねぇな。

 

やれやれ。つくづく歳をとっていて良かった。もしも私が彼女と同じくらいに若ければ、心の声をそのまま口にして、大喧嘩になっていただろう。

斉藤さんと熱い議論を交わす気はなかった。放っておいても、これから起こる急激な人口減のあおりをうけて、そう遠くない将来に商店街は滅ぶのだから。

 

当の商店主たちも、そのことはちゃんと自覚している。だからこそ、いつでも逃げていけるように、組合と積極的な関わりを持ちたくないのだ。

そんな人たちを変えることはできない。

 

「そっかぁ。頑張ってね。ここでの頑張りは、きっと無駄にならないから」

私は顔に作り笑いを貼り付けながら、薄っぺらいエールを送った。

 

 

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【著者プロフィール】

マダムユキ

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Photo by :David Clode