ぼくは長い間「父」でしかなかった

結婚して20年近くになる。

わりとすぐに子どもが生まれたこともあり、妻とぼくは「夫婦」というよりも、子どもの「父母」である時間のほうがずっと長い気がする。

 

告白するが、ぼくはずっと「良い夫」ではない人生を送ってきた。

それでも妻が「夫婦」を続けてくれていることに対してぼくはもっと感謝するべきだし、そんな彼女の気持ちに応えるべく、家庭のことにもっと集中するべきなのだ。

 

なのに、ぼくときたら、いつも自分のことばかり考えている。

自分がどうすれば納得いく人生を送ることができるのか、そればかり考えている。

50歳を目前にして、いまだに承認欲求にまみれ、自分らしさとか、自己表現とか、そんなことばかり考えている。

それどころか、恋愛小説やラブコメマンガを夢中で読んだりしている。

 

結婚して、子どもがいて、「夫」というよりも「父」である時間のほうがずっと多く、恋をすることなどない自分をそうやって慰めようとしているのかもしれない。

 

また給料が下がった

先日、会社の評価面談があり、給料が下がることになった。

この物価高にも関わらず、給料は年々下がっていっている。

妻が働いていなければ、とっくに詰んでいる。

ああ、これはまずいなあ…と思って、久しぶりに吐きそうになった。

 

吐きそうになりながら妻に伝えると、もうその年齢で大きく成長することはないので、給料を戻そうとか上げようとか無駄な努力をするよりも、家の用事をちゃんとやるべきではないか、と言われた。

ぼくはただうなずく以外にできることはなかった。

彼女の話をじっと聞いていた。

そして、ふと思った。

一体、オレは何がしたかったんだ。

 

こんなどうしようもない自分とまだ一緒にいてくれる人のことを大事にせず、他にやるべきことなんてあるのだろうか。

いや、まあ「やるべきこと」は色々あるかもしれないけど、「やりたいこと」はどうだろう。

自分にとって大事な人を大事にする。

それ以上に「やりたいこと」なんてあるのだろうか。

そう思った。

 

まあ、もしあるとしたら、こうやって文章を書くことぐらいだ。

それはいつでもできる。

 

「恋」と「愛」は何が違うのか

自分にとって大事な人を、大事にする。

言葉にすると、とてもシンプルだ。

だけど、これはけっこう難しい。

 

まず、これはあくまで「自分にとって」大事なだけなのである。

では、ぼくも、相手にとって大事な存在なのだろうか。

世の中の多くの「恋」は、ここでつまずくのである。

 

昨日、会社の大先輩が「恋と愛は何が違うか」という往年のテーマについて語っていた。

彼が言うには「恋は、相手にも同じものを求める」が「愛は、相手から見返りを求めない」だそうだ。

 

正論だとは思う。

しかしまあ、まとめて「恋愛」と呼ばれるぐらいである。

この2つはそんなに簡単に線引きできるものではないようにも思う。

 

「恋」だけだと、相手にも同じものを求めるあまり、勝手に腹が立ったり、悲しくなったり、急にうれしくなったり、情緒が忙しくなって疲れる。

「愛」だけだと、なんだか悟りを開いてしまったような境地である。

 

悟りを開くことが悪いとは言わないが、そうすると煩悩が去ってしまう。

すると相手のことを「好き」と思う気持ちも限りなく薄くなっていって、「人類愛」みたいなものになってしまう。

それでいいじゃないかという方は好きしていただければいいけど、少なくともぼくはイヤだ。

 

いやまあ、百歩譲って、自分自身が相手に対して普遍の「人類愛」を与え続けるとして、それはまだ耐えられるかもしれない。

だが想像してみてほしい。

あなたの恋人や配偶者が、あなたに対して、普遍の「人類愛」のような態度で接してくるのを。

その人は、あなたにも、それ以外の人にも、平等に、同じように、見返りのない愛を与えてくれる。

 

…ぼくは無理だ。

ちなみに、アイドルとかタレントとかそういう「推し」の話ではない。むしろ今ぼくが話題にしているのは「推し」の概念とは正反対のものである。

 

「推し」だけじゃ足りない

今ちょうどいい感じで「推し」という言葉が出てきた。

そうなのである。

結婚して、子どもができると、ぼくたちは子どもの「推し」にならざるをえない。

常に与え続けるだけである。

それはとても素晴らしい経験だし、見返りなく誰かを愛することで得られるものはたくさんある(もっと言えば、見返りなく誰かを愛する、ということ自体が、かけがえのない経験である)。

ただ、ぼくはそれだけでは足りないのだ。

彼女は、オレのことを本当はどう思っているのだろうとか、あの時あんなことを言ったのは間違いだったのではないだろうかとか、そうやって情緒が揺れ動く時間も、とても大切だと思うのだ。

 

ぼくは社会人を長くやっていく中で、そういう「揺れ」をできるだけ小さく制御するような工夫をしてきたように思う。

できるだけ、他人から見返りを求めない。

できるだけ、他人に期待しない。

できるだけ、誰に対しても同じように接する。

それは、長い人生を生きていくための生存技術の一つだと思う。

 

だからこそ、もう一度、恋をしたい。

妻の反応にいちいち一喜一憂したり、考えすぎて不安になったり、ちょっとした一言に有頂天になったり、そんな時間をすごしたい。

情緒の忙しい日々を送りたい。

50歳を前に、そんな風に思っている。

 

え?なんか気持ち悪い?

はい。

恋って、もともと、そういうものじゃないですかね。

 

 

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(2026/9/1更新)

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:いぬじん

プロフィールを書こうとして手が止まった。
元コピーライター、関西在住、サラリーマンをしながら、法人の運営や経営者の顧問をしたり…などと書こうと思ったのだが、そういうことにとらわれずに自由に生きるというのが、今ぼくが一番大事にしたいことなのかもしれない。

だけど「自由人」とか書くと、かなり違うような気もして。

プロフィールって、むずかしい。

ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。

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