ここ数年、大企業の方や公的機関の方とお話をする機会が増えてきて、娑婆のぜんぜん知らなかった領域が眼前に開けてきた思いがします。
今日は、そこで出会ったエリートなサラリーマンの方々についておしゃべりしたく思います。
オフ会で出会ってきた人々とはちょっと違う人々
私は30年近くインターネットで遊び続け、色々な職種の人と出会ってきたつもりでいました。
とはいえオフ会で出会ってきたのは良くも悪くもネットカルチャーに親和性のある人々、インターネットが社会のインフラと認められる前からインターネットに入れ込んでいなければならない人々でしたから、世間のマジョリティとは言えない人々だったように思い出されます。
このことに関連して、『ニコニコ動画』の創設にかかわったかわんご氏は、かつて以下のようなことを述べていました。
東大卒が頭悪いと言うのは、僕は30年以上前から思っていたんだけど、これは最近、考えが変わってきて、僕がいたパソコン周り、ネット周りとかコンテンツ周りって世の中では所詮は辺境の地であって、そこに流れついてくる東大卒って、ぶっちゃけ東大の中でも主流派になれなかった人たち。… https://t.co/5pWimrF4Ur
— かわんご (@gweoipfsd) February 25, 2026
東大卒に限らず、当時のオフ会にわざわざ集まってくるほどネットカルチャーに親和性があった人々は、それぞれの領域で周縁部に位置し、主流派でもサラブレッドでもなかった人々だったと、今は推測されます。
ところがインターネットが次第に社会のインフラとみなされるようになるなかで、私がオフ会で出会う人々の性質も少しずつ変わってきました。
2010年代のオフ会では、1990年代や2000年代に比べて主流派っぽい雰囲気をたたえた人々に遭遇するようになりました。
さらに2020年代に入ると、私はもっと幅広い職種の方々からもご依頼をいただくようになりました。インターネット・オタク的な雰囲気とも、出版業界の雰囲気とも違った感じのサラリーマンな人々との接触は、私にとって未知との遭遇でした。
そうした主流派のサラリーマンの人々から私が感じ取ったことの第一は「礼儀作法の水準の高さ」を、第二は「そうした礼儀作法が空疎なものでなく、実務ときれいに繋がっていること」でした。
メール上のやりとりでも、実際にお目にかかってのやりとりでも、そうした方々の礼儀作法の水準は抜きんでて高い、と感じました。
なんて言えばいいんでしょうか、敬語や丁寧語の使い方が完璧すぎて私のメールや言葉遣いが恥ずかしくなる感覚です。
私もいちおう社会経験を積み、文章を書き続けている手前、いちおうの心得があるつもりでしたが、大企業のサラリーマンの方々からいただくメールの礼儀作法の完璧さにはまったく追いつける気がしません。
服装や物腰も凄いと感じます。TPOに妥当する服装であるのは当たり前のこと、そのうえで、好感が持てて個性さえ感じ取れる服を巧みに選択してらっしゃるようにみえました。
少し控えめなほうが良い状況では少し主張の控えめな服装を、少し華やかなほうが望ましい状況では少し華やかな服装を、驚くべき精度でやってのけたうえで個性の片鱗を感じさせるチョイス。
落ち着いた、聞こえやすい声音と豊かな表情なのは言うまでもありません。現代日本のホワイトカラーな人々にふさわしいコミュニケーションの精髄をみるような思いがしました。
こう書くと、意地悪な人は「礼儀作法だけの人間ではないか」と思うかもしれません。
ところがそうじゃないんです。丁寧な礼儀作法は、理想的なコミュニケーションをやってのける必要条件ではあっても十分条件ではありません。
礼儀作法だけ丁寧でも、実務に役に立つ文面・会話でなければ仕事にはならないのです。ですが、この点に関しても彼らのメールや会話には疎漏がありません。
つまり、仕事相手としての私に対してどのようなミッションを期待しているのか、いつまでに期待しているのか、そういったことがらについて誤解の余地のない文章をアウトプットするのも異様にうまいのです。
たとえば締め切りの日時について読み間違える余地のある書き方をしないのは当然として、商売相手としての私・交渉相手としての私に何を伝えたいのかが吟味され、その吟味に対応した最も的確な単語を選択して文章を構築している感じがビリビリと伝わってきます。
私の好きな例で言うなら、「正確」と「精確」を使い分けるような感じでしょうか。
正確を精確と書かなければならない必要性はほとんどの文章にありませんが、それでも精確と書いたほうがよりニュアンスが精確に伝わる場面ってのはあるでしょう。
同じことが、「特徴」と「特長」の使い分けや「言及」と「論及」の使い分けなどにも言えるでしょう。
別に、どちらを使ったってそこまで大きなニュアンスの違いはありません。それでも、その文章・その文脈に似つかわしいほうを選択できる人は、そのぶんだけ文章を読みやすくしたり、文章を精確に受け取りやすくすることができます。
彼らのリテラシーは異次元だ
こんな具合に、エリートなサラリーマンの人々はメールの文面でもリアルの対面でもこうした語彙の選択が抜群にうまいのです。
読みやすく、わかりやすく、長すぎず、それでいて精確に伝わるメッセージを完璧な礼儀作法のプロトコルに乗せてやってのけるのは相当なトレーニングが必要なことだと私は思っていますが、実際、彼らは精度高くやってのけているのです。
そうした能力は間違いなく実務を助けているでしょう。
あいまいな表現を残すべきところはあいまいにし、厳格な表現が必要なところは厳格な表現を選択する。
そのうえで完璧に礼儀作法を守ってみせ、自分が望むとおりの精度の高い文章をメールや契約書に書き、仕事を遂行していくってのはすごいことだと私は思います。
のみならず、実際にお会いして話し言葉でやりとりしても、ぼろが出る気配がまるでない。
メールの文面だったら書いたり消したりできますが、リアルタイムの話し言葉ではそうはいきません。
だというのに、○○社の担当者の方や××社の担当者の方の言葉遣いのうまさったら、目ん玉が飛び出るほど洗練されていて、余裕すら感じられる物腰で、私はたまげてしまいました。人間、ここまで言語操作のレベルが高くなるものなのか、と。
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文章を読み書きする能力、言語を操ってみせる能力は、一般に「リテラシー」といいます。
よく、「リテラシーが足りない」とか「リテラシーを身に付けなさい」と言われる時、そこでいう「リテラシー」は、しょうもないデマに惑わされないようにしなさいとか、スパムメールに騙されないようにしなさいとか、怪しい健康食品を買わないようにしなさいとか、そういったものでしょう。
この「リテラシー」でいうと、エリートサラリーマンな人々のそれも確かに「リテラシー」には違いありません。
が、その次元は異次元の水準、けっして不躾にも高圧的にもならない丁寧な文章のなかで、述べたいことを必要十分に述べ、着実に伝えるべきことを着実に伝達できるよう、完璧なやりとりをやってのけているのです。
エリートなサラリーマンの人々がエリートであるゆえんは様々でしょうけど、こと、「リテラシーの高さ」に着眼する限り彼らの優秀さは明らかで、それはバーバルなやりとりだけでなく、ノンバーバルなやりとりもカバーできなければならないようです。
彼らの優秀さを物語る着眼点は他にもいろいろあるでしょうけど、私は、そういうところにいつも感銘を受けています。
Google検索にAI Overviewが表示され、ChatGPTやPerplexityで情報収集するユーザーも増えています。検索順位を上げるだけでは、企業の情報が見つけられなくなる時代に、何をすべきか——。Books&Appsの弊社ティネクト代表安達裕哉が「経営oneplusサミット2026 Summer」に登壇します。

<2026年7月30日 開催予定>
AI検索対策最前線:手法から効果測定まで
安達裕哉 登壇|経営oneplusサミット2026 Summer 内セミナー講演概要
これから重要になるのは、AIに正しく理解され、引用され、推奨されるための情報発信です。SEOからAIOへと変わりつつある考え方から、具体的な対策手法、効果測定の考え方までをコンパクトに解説します。
登壇者
安達裕哉(ティネクト株式会社 代表取締役社長)
Deloitteで12年以上にわたり大企業から中小企業まで業務プロセス改善コンサルティングに従事。近年はAIによるコンテンツ作成を専門とする。著書に『仕事ができる人が見えないところで必ずしていること』『頭のいい人が話す前に考えていること』など。
開催日時:2026年7月30日(木)13:35-13:55
配信形式:オンライン(経営oneplusサミット2026 Summer 内)
参加費:無料
特典:事前申込でアーカイブ動画(2週間)を全員にプレゼント
お申込み・詳細
こちらのイベント詳細ページ をご覧ください。
(2026/6/26更新)
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

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