熊三さんには指がなかった。

 

初めて熊三さんに出会ったのは場末のパチンコ屋だった。スロット台が居並ぶ地下のフロアに熊三さんはいた。

熊三さんの左手は親指と人差し指がなく、右手はほぼ全部の指がなかった。おそらく何らかの事故で失ったであろうことはすぐに分かった。

 Will Hines

僕がスロット台に興じていると、ポンポンと肩を叩かれた。たぶん右手の甲で叩いていたのだと思う。ゴム鞠で叩かれたような妙な感触だった。振り返るとそこに熊三さんが立っていた。

 

熊三さんは黙って札束を差し出した。一瞬、くれるのか!? と思ったけどどうやらそうではないらしい。

ジャグラーという台が大爆発して大勝利を収めた熊三さんだったが、手に入れた大金の札束を数える術がなかったようだ。指が三本しかないからだ。

それで僕に数えろと言ってきた。なぜ僕だったのかは分からない。それから店で出会うと会話するようになった。

 

熊三さんは暴力的だった。フロアに置かれたジュースの自動販売機、ボタンの接触が悪いことで有名だったのだけど、熊三さんはいつもその自販機を殴っていた。ぶっ壊れても構わない、そんな気概で殴っていた。

その光景を見ながら「賭博、金、暴力とやりたい放題だな」と思ったものだった。

 

ある日、いつものようにスロットに興じていると、熊三さんがやってきた。

 「俺、今日はジャグラーだと思う。この日が来るのをおれは指折り数えていたんだ」

 熊三さんのジョークはけっこうきつい。数える指は3本やないけ、というツッコミ待ちなのだ。

 

とにかく熊三さんはジャグラーという機種が好きだった。

いつもジャグラーの奥から二番目に座り、器用に三本の指でコインを入れてボタンを止めていた。その大好きなジャグラーが当たりやすいサービス機種になったのではないかと喜んでいた。

 

 

この当時、僕らは指針を見失っていた。

多くのパチンコ屋では客を煽るために「〇〇デー」などと銘打ち、今日は〇〇の機種が大チャンスなどと盛り上げていた。

そういった出玉イベントは本当に勝ちやすい大チャンスの場合もあるし、完全にペテンでむしろ普段より尻の毛を毟り取る設定になっていたりする。そんな店との駆け引きを楽しんでいる部分があった。

 

ただ、そういった出玉イベントの開催が著しく客の射幸心を煽る、ということで規制されてしまったのだ。これがいわゆるパチンコ界におけるイベント規制事変だ。

このイベント規制は店と客の在り方を大きく変えた。

真贋はさておいて普段なら店側が「今日はこの機種がいいかもよ」と指針を示していたが、それが一切なくなった。

 

ただ店側も強かなもので、そういったイベント規制を受けても本当のところでイベントを止めた店はほとんどなかった。

 規制後も変わらずイベントの日を決行する。けれども「今日はイベントですよ」とは言わない。それでも出玉を見て客が、今日は出てるな、そういやこの店は規制前は毎月7日がイベントだったな、おお、今日は7日やん、言わないけどイベントを継承しているんだな、と暗黙の内に気づくことになる。

これがいわゆる「旧イベ日」と呼ばれるものである。この旧イベ日はいまだに根強い信仰がある。

 

それとは別に他の手法をとる店もあった。直接は言わないけど空気を読んでよ、というものだ。

例えば、客に向けて送られるパチンコ屋のメールマガジンなどに、「明日は10時より営業です。〇〇も△△も好評稼働中!」と機種の名前を書く。

別に〇〇や△△を甘い設定にすると書いていなくて、ただ稼働しているよと紹介しているだけだが、そう書かれてしまうと何かあると思ってしまう。

 

実際に行ってみるとその機種が出ている。やはりそうなんだと次からはメールに書かれた機種を追うようになる。こうやってパチンコ屋たちは知恵を絞ってイベント規制後も実質的に継続させていった。 

 (tetsuo shimizu

ただ僕や熊三さんが通っていた店は多分に頭がおかしかったので、そうやってブログやメールにイベントである機種名を仄めかすことはなかった。旧イベ日も継承しなかった。そのかわり、もっと訳の分からないことになっていた。

 

通っていた店のブログには店長ゴリさんの一言、というクソみたいなコラムコーナーがあった。

そこにはこんなゴミみたいな文章をワールドワイドウェブに掲載する人間がいるのかと驚嘆したくなるレベルのゴリさんの日常が綴られていた。

 

しかしながら、そのクソなコラムにこそ重大なヒントがあった。いつもはそっけなく終わっている文章の最後に「♦♠」みたいなアイコンが書かれていたりする。

僕らは考える。いつもはないのにこの文末のマークはおかしいのではないか。これらのトランプマークはピエロの代名詞ではないのか? 台にピエロが描かれている機種はジャグラーだ。今日はジャグラーの日だぞ!

もはやトンチ合戦である。

 

こうして僕はいつも熊三さんとメールやブログで送られてくる店長ゴリさんのクソコラムを分析していた。

「かわいい赤ちゃんを電車で見たとか書いてありますよ。赤ちゃんが活躍するタイムクロスじゃないですか」

「そんな古い機種もう置いていないだろ」

「非常食にサバの缶詰買ったとかありますね、これは獣王ですね」

「そんな古い機種もう置いていないだろ」

 

こんなアホみたいなやり取りがあり、僕らは地下のスロットフロアで無為で無意味なゴミカスのような日々を過ごしていたのだ。そんなある日、事件は起こった。

「とんでもないことになったぞ!」

 

地下のフロアで熊三さんが叫んでいた。エスカレーターの横に置かれた立て看板に常連たちが集まっていた。江戸時代の河原にて御触れが出された時みたいな光景だ。

「今夜0時、店長ブログにて重大発表!」

 

立て看板に張られたA4の紙にそのような文字が躍っていた。こんなことはいまだかつてなかった。

 「こりゃあ、全6あるで」

 熊三さんがそう呟いた。武者震いなのか熊三さんは少し震えていた。

Julian Bleecker

スロットにおいては勝ちやすさの尺度として設定というものが存在する。

店側が自由に設定できるその数字は「1」が一番尻の毛を毟り取る設定であり、「6」が最も勝ちやすい設定となっている。

すべてのスロッターはこの設定6を夢見て狂ったように店に通っている。それがかなりの数投下されそうな雰囲気があった。全6とは全ての台が設定6という桃源郷のような状態である。

 

「機種別全6だろうな、これは」

熊三さんがそう呟いた。おそらく指定された機種全てが夢の設定6だろうという期待が高まったのだろう。

おそらく今日はブログにてその機種が何か匂わせる発表があるのだろう、全6という祭りだ、いつも以上に難解な謎が潜んでいるに違いない。常連たちは色めきだった。

 

「とにかく、今日は0時にブログを注視」

 熊三さんは僕にそう言った。

 「たぶんジャグラーだと思うぜ、くうー、ついに来た。ジャグラー全6だぞ。俺がどれだけこの日を指折り数えていたか」

 

熊三さんのジョークはいつもきつい。数えるって3本やないけ、と彼が待っているツッコミをしている場合ではない。とにかく0時に店長ゴリさんのブログを注視するしかない。

 

0時よりちょっと前、パソコンを立ち上げてゴリさんのクソみたいなコラムが並ぶブログを開いた。常連たちが今か今かとリロードしまくっているのか、いつもより心なしかページが重いように感じた。そしてついに0時になる。

「くるぞ」

 熊三さんはジャグラーだと言っていたが、僕は別の機種だと思っていた。ドキドキしながらページを睨みつける。そしてついに最新のコラムが更新された。

 

「店長ゴリさん、父親になっちゃいました! 男の子です!」

 

という文字と共に赤ちゃんの写真と満面の笑みを見せるゴリさんの画像が表示された。

その下にはゴリさんの父親としての覚悟、責任、みたいな文章が綴られ、この子のためにも世の中から戦争がなくなってほしいです、という訳の分からない願いで締められていた。

 

とにかく難解だ。何も機種につながるヒントがない。 

「赤ちゃんってことは赤ちゃんが活躍するタイムクロスか? でも、そんな古い機種は設置されていない」

 

悩んで悩みぬいて一つの結論に行きついた。

「これ、プライベートな報告なんじゃ?」

 

そこにはイベント機種や全6の告知なんか存在せず、ただ単に店長ゴリさんが子供が生まれたことに舞い上がってしまい、この喜びを常連たちにも分け与えねば、と思った可能性が高い。

それで立て看板まで出して「今夜 0時 重大発表」とやってしまったのだ。

 

きっと店長は勘違いをしたのだと思う。

誰も店長の「エグザイルとエクセルを間違えました」みたいなことが書いてあるクソコラムを楽しんで読んでいたやつなんていない。ただイベント機種のヒントがあるからみんな読み、店で店長に会えば「もっと書いて~」とか言ったのだ。

 

しかし、ゴリは驕り昂った。ゴミのような常連どもが自分のコラムを楽しみにしている。俺っていっぱしのインフルエンサーじゃないだろうか、それくらい考えたかもしれない。

そして、そんなみんなのインフルエンサーゴリさんが子供を授かったのだ、みんな大喜びしてくれるに違いない、そう思ったのかもしれない。

しかしながら、何度も言うが、ゴリさんが「ガラスだと思ったらプラスチックでした、びっくりした―」とか書いているブログを楽しみにしていたやつは一人もいない。そこに決定的な行き違いがある。

 

ただ、スロット屋の常連という、決して褒められる立場ではない我々も、思った以上に大人だった。

そのゴリさんの記事に対して、「おめでとうございます」「そっくりですね」と常連たちから祝いのコメントが書き込まれた。

「やりましたね、父親としてもっと出してー」とか書く人もいたし、僕も「タイムクロスの赤ちゃんに似てますね」って書き込みをした。

みんな心の中で「なんだよ、イベント機種の告知じゃねえのかよ」と思いつつ、それを言わない大人な対応をしていた。

 

「なんだ、みんな大人じゃん」

 

居並ぶコメント群を見てそう思った。パチンコ屋の常連なんて僕を含めて全員世捨て人みたいなものだと思っていたのに、予想以上に大人で紳士的な対応ができるのだ。なかなか捨てたものじゃない、そう思った。

ただ一人の例外を除いて。

 

大人なコメントが並ぶコメント群において異彩を放つ一つのコメントがあった。

 「ふざけんじゃねえ、俺はテメーのクソガキのことなんか知ったこっちゃねえんだよ! 早く設定6の機種教えろよ、おら、6だぞ、6、ジャグラーに入れろよ、5じゃねえぞ、6だぞ」

 

熊三さんだ。一瞬で分かった。とんでもねえ書き込みだ。こんなクズみたことねー。ジャグラーの設定のことしか考えてねえ。

 

全く大人の対応を見せず、書きたいことを書くスタイル、熊三さんにはそれがあった。しかし、ゴリさんも負けていなかった。すぐに反論の書き込みがなされる。

 「当店ではイベントの告知は行っておりません。このブログはあくまでも私個人のブログです。こんな失礼なこと書くのはやめてください」

 

ゴリさんの毅然とした態度。ブログはつまらないくせに毅然とした態度。ゴリさんもおそらく誰が書いたかくらい分かっているだろうけど、言いたいことも言わず毅然と返した。

「うるせえ、さっさとジャグラーに6入れろ」

 

ゴリさんもヒートしてすぐに書き込んだ。ここまで言いたい放題の人もなかなかいない。あまりの傍若無人ぶりにゴリさんもキレた。

「うるせえ、そのうち入れてやるから指折り数えて待ってろ!」

 

熊三さんもすぐに応戦した。

 「数える指3本しかねえよ、3日以内にいれるってことか? ジャグラーだぞ!」

 熊三さんのジョークはいつもきつい。せっかく匿名で罵っているのに、熊三さんだってバレバレじゃないか。

 

こうしてジャグラーに設定6が入れられることはなかったけど、熊三さんは店長の権限により晴れて出入り禁止となった。その後、彼の姿を見た者はいない。

 

 

この世界には言いたいことも言えない、なんてことが溢れている。

それは世の中を円滑に進める潤滑油のようなものなのだろう。期待と違っていたからといってそれを指摘することはしない。イベントの日なのにそれを大々的に言うことはしない。そんなことはこの世の中に溢れている。

 

そういった多くの言いたくても言えない事柄を指摘する人がいる。それは時にヒーローのように扱われることもある。

けれども、その多くは言うだけで終わってしまいがちだ。言いたい放題の世界が正義だとは思わない。言わない配慮や心遣いこそが、人間が人間らしく生きる条件だと思うのだ。

 

それでもやはり、あの熊三さんのように、僕らの気持ちを代弁して言いにくいことを言ってくれるような、そんなヒーローの到来を僕は待っているのである。指折り数えて。

 

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著者名:pato

テキストサイト管理人。WinMXで流行った「お礼は三行以上」という文化と稲村亜美さんが好きなオッサン。

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Twitter pato_numeri

 

(Photo:Thomas Hawk