もうずいぶん以前の話だが、ある会社で新卒学生の採用面接を担当していたことがある。

面接では70~80名の学生とお会いするので、個性的で魅力的な若者に会える事も多く、毎年とても刺激的な仕事だった。

中には特別な才能で日本一になった学生や、大学の成績がオール「優」であった学生。逆に、緊張しすぎて最後まで名前も言えなくなってしまった学生もいたことなど、悲喜こもごもの思い出は尽きない。

 

そんな中で1人、私には忘れられない学生がいる。

人を採用すること、面接をすることの意味を再確認させてくれた、とても貴重な経験をさせてくれた学生さんだ。

面接のことなので詳細はぼかしながら、あるいは必要に応じて事実関係を特定できない内容に置き換えながらお話することを、どうかお許し願いたい。

 

彼は、性同一性障害(もしくはトランスジェンダー)を明らかにした上で、当社の面接を受けに来てくれた学生さんだった。

 

具体的なお話を進める前に、先に簡単な、当時の時代背景と会社の状況をお話しておきたい。

当時はまだ、おそらく「LGBT」という言葉も存在しておらず、おそらく性同一性障害という言葉も一般的ではない時代であったはずだ。

念のために某有名辞書サイトで調べてみたら、やはりLGBTという単語が国連で正式に使われ始めるよりも以前の時期、ということで間違い無いようだ。

 

ただ、社会全体としては緩く、「心と体の性が一致しない事がある」という事実が認知され始めた頃ではなかっただろうか。

そしてそのような人たちに対して「寛容」へと移行し始めていたような、恐らくそんな時期だ。

しかし、それはあくまでもまだ政治が示すべき「規範」であって、企業経営者が採用試験でその存在を予め意識することは無いような時代だったように思う。

当然のことながら私自身も、それは今でも自信があるとはとても言えないが、心と体の性が一致しない男性あるいは女性に対し十分な知識と理解を持っているとは、とても言えない時であったはずだ。

採用面接という形で、私とその学生さんが出会ったのは、そんな時だった。

 

ところで、この際の面接の段取りだ。

役員面接とは名ばかりで、私は2日間で70名余りの学生さんとお会いする必要があり、面接はなかなかの大仕事である。

朝10時から夕方6時まで、食事の1時間休憩を除き7時間✕2日の合計14時間で、70名余りの学生と1対1の面接をする必要があった。

そのため単純に割り算をしても、1時間で5人とお会いする必要がある計算になる。一人にかけられる時間は10分少々と、決して長くない。

なおかつ、お会いする学生に関して私が何かを知るのは、前の学生が退出し次の学生に入室して貰うまでに履歴書などをざっと概観する、1分程度の時間しかなかった。

そんな段取りで、次に入ってくる学生さんのファイルを手に取った時に、その学生さんからのシンプルなカミングアウトと、当社に対する意気込みを目にすることになった。

 

ここでもう一つ、前提になるお話を先に置いておきたい。当時の私がいくつか持っていた、採用の判断基準だ。

いくつかあったが、その最たるものは、いろいろと個性ある学生を満遍なく採用したいという思いだった。

これは、最終的な採用予定人数は20名ほどだったので、特定の何かに優秀な学生だけを偏って採る意志がないということだ。

例えて言えば、オール優の学生が3人いたら、オール優であることを理由に採用する学生は1名で良いということを意味する。

 

極論を言うようだが、何かに優秀であることを基準に採用をしようとしたところで、仕事ができるかどうかまでを1回の面接で見抜くなど、正直不可能だ。

中途採用であれば、少し具体的な話をすればわかることも多いが、相手は何かに才能を持っていることだけは間違いなくても、それが何かということに本人すら気がついていない学生である。

成績優秀だが間の悪い若者もいれば、成績は悪くとも特定の領域に職人的な才能を発揮する学生もいる。

それならば、まずは社会人として仕事ができる常識的な一定の基準をクリアしていること。

その上で、彼ら・彼女らを実際に受け入れ一緒に働く社員たちが、一緒に仕事をしたいと思える魅力的な人物かどうか。それを一番の基準にするしか無いだろうと。

それが当時、私が考えていた新卒採用の基準だった。

 

余談ついでだが、「当社の志望動機は?」という質問を、私は決してすることは無かった。

そんな質問をしたところで、予め練りに練られたきれいな答えが返ってくるだけで、その学生のパーソナリティーを理解する上で役に立つことなど、何一つ無いからだ。

質問ではとにかく、その学生が笑顔で話し出してくれるネタを見つけ出す事に集中することが多かった。

何に興味があり、隠しようがないレベルでの感情の発露をどのように魅せてくれるのか。

そのことで、その学生さんの魅力を知りたいと考えていた。

 

話を本題に戻したい。

そんな時代背景と面接の段取りの中で私は、男性の心を持つ、戸籍は女性の学生さんとの面接を始めた。

そして私は、一通りの会話をいつも通りに進めていった。

彼は私からの質問に、極めて適切に、そして魅力ある笑顔と簡潔な言葉で次々に回答をしてくれる。

その答えには無駄がなく、とても知性が感じられる学生だった。正直非の打ち所がなかった。

一方で、そのような会話を進めながらの話だ。

私は正直、普段はシングルタスクの脳しか持っておらず、同時に2つのことを考えるようなデュアルタスクはとても苦手だ。

大概、2つのことを同時に考えながら仕事をすると、どっちもデタラメになる。

しかしこの時ばかりは、私の脳は熱暴走寸前のフル稼働で、デュアルタスクを処理するべく並行して2つのことを必死に考えていた。

1つは面接の会話と、そこから得られる彼への評価。

もう1つは、心と体の性が一致しないという事実を、採用した後の仕事のシーンを想定した場合にどのように評価すれば良いのか、という事実だ。

ネガティブな想定はいくらでもあり、なおかつ当時はまだこのような事例に対し、情報がそう多くない時代である。

会社としては、正直そこにはまだ関わるだけの力がない、という選択肢が無難なのではないか。

一方ではそのように考えながら面接を進めていたが、しかし彼はとても優秀で魅力的な学生だった。

彼を採用することで恩恵を受けるのは彼だけではなく、間違いなく当社でもあると思い始めていた。

 

こうなればもう、残された手段は一つだ。

私は覚悟を決め、テーブルの上に広げていたノートパソコンと書類を畳むとそれらを全て脇に寄せ、彼に正直な言葉で、話しかけることにした。

仮に、その学生を岩野さんということにしたい。概略、以下のような会話であったように記憶している。

 

「岩野さん。最後に一つだけ、お付き合い頂きたい話があります。それは、書類でも申告して頂いている、あなたの心と性のお話です。」

「はい、どんなことでしょうか。」

「正直当社には、岩野さんと同じ心を持つ社員はいません。受け入れの実績もなければ、受け入れる準備ができているとはとても言えないでしょう。」

「はい。」

「その上ですが、私は今日の面接を通じて、あなたをとても優秀な学生と評価しています。あるいは採用通知を出すかも知れませんが、その場合あなたは、必ずしも受け入れる準備が十分とは言えない当社で、仕事をして頂く可能性があります。」

「はい、覚悟はできています。」

「しかし、そうなればあなたは毎日の仕事の中で、時には嫌な思いをすることもあるかもしれません。社員教育は改めて行いますが、時間的な制約もありやはり最後は、岩野さん自身に当社で仕事をする強い意志がなければ、心が折れると思います。」

「大丈夫です、今までもそうでした。そしてやりたいことでは、全て乗り越えてきました。」

「そうですか、わかりました。では改めて、今回この件を書類で事前に申告して頂いた理由と、岩野さんが当社を志望して下さった動機を、お聞かせ願えないでしょうか。」

 

こんな会話だっただろうか。

もちろん、会社で解決するべき問題を学生の意志の強さに委ねるなど、今から思えば落第の会話であったと思う。

そもそも、性別に関する話題にダイレクトに触れていることも、今のルールではアウトなのかも知れないが、彼からの自主的な申告があったことと、時代背景も併せて、どうかその点は、お目こぼし願いたい。

また繰り返しになるが、センシティブな話なので、本筋を外さない範囲で内容や会話は一部を置き換えていることも、併せてご理解頂きたい。

 

その上で、その質問に対する彼からの回答は要旨以下のようなものであった。

一つには、自分を隠すこと無くそのままの形で受け入れてもらい、その上で活躍をしたいので、積極的に申告したこと。

そしてもう一つが、自分の人生設計の中でどうしても得たいキャリアパスが、貴社(当社)をはじめ限られた数社でしか得られないこと。

その中でも、もっとも自由度が高く活躍ができると、先輩などの助言から信じることができたのが貴社であったこと。

そんなことを語ってくれた。

 

私にとっては人生初の、「当社を志望した動機はなんですか?」の質問だったが、思わず笑ってしまうくらいに筋が通っており、熱い想いがこもった真摯な回答だった。

彼の言葉には強い思いが込められており偽りが感じられず、私の心を動かすには十分なものであった。

先述のように、私はそれまで「志望動機」など聞いたところで意味のある回答が得られるとは、全く思っていなかった。

そしてそれは、多くの局面では確かにそうだったかも知れないが、一方で一部の学生の熱い想いに対しては舐めた前提であったことも、思い知らされることになった。

そして、聞くべきことは全て聞くことができたので、私は彼に対して足を運んでくれたことへのお礼と、不躾ないくつかの質問を詫びて、面接を終えた。

 

後は情報を整理し、最終合格を出す20名を決めるわけだが、正直この決定権は私に与えられていたものの、この時ばかりはさすがに経営トップに事前相談した。

すると経営トップはろくに話も聞かずに、

「優秀でええ学生やないか。採用しろ!」

と、即答であった。感謝である。

 

ただ残念ながらこの後、採用通知を出した彼からは程なくして、内定辞退の連絡が入った。

理由はシンプルで、同じように熱意を持って受けていた会社からも内定をもらったことであった。

そして内定辞退を伝える電話をしてきてくれた際、彼は泣きながら、私に対して謝っておいて欲しいと、事務の女性に繰り返し伝えてくれたそうだ。

併せて後日、とても丁寧な直筆の手紙まで頂いたが、その中には自分に対して正面から向き合ってくれたことへのお礼が、とてもきれいな字で綴られていた。

やはり採用するべき素晴らしい学生だった。採用できずにとても残念だった。

 

この経験では、採用面接に臨む学生の覚悟や熱い想いというものに、改めて気が付かせてもらう事ができたこと。そして、自分の質問の質がそのような学生に追いついていないことなど、自分の力不足を嫌というほどに思い知らされる出来事になった。

ただ、一つ収穫を挙げるとすれば、例え採用面接の短い時間であったとしても、真摯で偽りのない言葉には強い力があることを、改めて再確認することができたことだろうか。

 

私には色々なことに迷いがあったので、その答えを彼の想いに求め、そのことを率直な言葉で彼に伝えた。

そして彼は、自分の想いを嘘のない言葉でシンプルに、私に伝えようとしてくれた。

この間、私は確かに彼の人となりを深く知ることができた。

またきっと、そのやり取りを通じて彼も、当社への思いを通じてくれたのだろう。その事が、内定辞退の連絡をくれた際に現れていたことも、ささやかではあるが私の誇りになった。

 

採用において、面接を担当する企業側担当者にできることには、まだまだ多くのことがありそうだ。

ぜひ、幸運にもその役割を与えられた場合には、一期一会の覚悟で、その大役にあたって欲しい。

 

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【著者】

氏名:桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し、独立。会社経営時々フリーライター。

複数のペンネームでメディアに寄稿し、経営者層を中心に10数万人の読者を持つ。

(Photo:Stefano Corso)