201895日、広島東洋カープの「新井さん」こと、新井貴浩選手が引退を発表しました。

僕はかれこれ40年くらいカープファンをやっているのですけど、新井選手ほどカープファンからの愛情と憎悪の両方を一身に受けた人はこれまでもいなかったし、たぶん、これからも出てこないでしょう。

 

大学野球でそこそこ活躍してはいたものの、ドラフトで指名されるレベルにはなく、駒澤大学の先輩である、野村謙二郎選手に練習をみてもらって頼み込み、なんとかカープにドラフト6位で「コネ指名」してもらった新井さん。

当時は、身体が丈夫なだけがとりえの不器用な選手で、新井選手が指名されたとき、他球団のスカウトは失笑していたという話が伝わっています。

 

そんな新井さんなのですが、プロに入ってからは猛練習に次ぐ猛練習で力をつけてきたのです。

とはいえ、新井選手がレギュラーで起用されたのは、カープの主軸だった江藤智選手が1999年に巨人へ、2002年には新井選手の兄貴分でもある金本知憲が阪神へそれぞれ移籍してしまい、長打力のある選手を育てる必要があって、サードのポジションが空いたという理由があったのです。

サードを守ってはエラー連発、4番に起用されても凡打の山。

 

カープファンとしては、なかなか結果の出ない新井選手への苛立ちとともに、愚直なまでの努力がいつか花開いてほしい、と期待していました。

本当に、我慢に我慢の連続だったんですよ、チームはずっとBクラスで弱いし、球場はお客さんが少なくて閑散としていたし。

 

2003年が19本塁打、200410本塁打。

しかしながら、新井選手の努力は、ついに実を結びます。

2005年には43本塁打でホームラン王となり、2006年、2007年には100打点以上を稼いで打点王と、相変わらず低迷しているチームのなかで、気を吐いていました。

 

地元・広島出身で、入団の経緯や、シーズンオフのインタビューなどで「生涯広島」を口にしていたこともあって、2007年のオフシーズンに阪神へのFA移籍が発表されたときには、カープファンの反発も大きかったのです。

 

「つらいです。カープが好きだから」と涙を流して会見しながら出ていった新井に対して、カープファンは「出ていくヤツが何をほざく!」と罵声を浴びせました。

同年にメジャーリーグに移籍した黒田に関しては、致し方ない、と諦めもついたけれど、なぜ新井が、金本を慕って阪神へ……

新井が出ていくんだったら、もうこれから誰が出ていってもおかしくないな、と思ったものです。

そのくらい、ショックは大きかった。

 

阪神でも何度か打点王をとるなどそれなりに活躍した新井ですが、カープファンにとっては、ずっと「裏切者」であり、カープとの試合で新井が打席に立つと、「いつものやつ(ダブルプレー)頼むよツライさん!」と僕もテレビの画面越しに呪っていたものです。

 

2014年のシーズンオフ、不振に陥り、世代交代の波にもさらされた新井さんは、阪神からの「飼い殺し」的な条件提示を蹴って、自由契約になりました。

 

いい気味だ、と僕は思っていたんですよ。まあ、パリーグで1年くらいDHか代打でちょっとだけ出場して引退するんだろうな、って。

ところが、新井選手がカープに復帰するという噂が流れてきました。

天地がひっくり返っても、そんなことはないだろう、あんな経緯で出て行った人だぞ……

噂が現実になったときには、「何それ、新井なんかより、若手の出番を増やせよ!」と憤ったものでした。

 

僕は当時の心境をブログに書いています。

「帰ってきた『家出息子』」

 阪神を退団することになった新井選手に対して、松田オーナーが「戻ってくる気があるのなら歓迎する」なんて発言をしていたのをみて、「余計なこと言うなよ、自分が寛大な人間であることをアピールしたいんだろうけど、本気にして戻るって言い出したらどうするんだ?」なんて思っていたのですが、まさか、本当に戻ってくるとは……

いやまさか、あの新井さんが、カープの四半世紀ぶりのリーグ優勝の立役者になり、こうして、心底惜しまれながらカープで引退することになろうとは。

 

2014年、あの禁断のFA出戻りが起こる前の僕の前に、未来の僕が現れてこんな話をしたら、「それって、『三国志』で劉備の死後に孔明率いる蜀が天下を統一する二次創作みたいなヤツだよね」と小馬鹿にされておしまい、だったはず。

 

あらためて考えてみると、新井さんの人生って、「無茶と失敗の連続」なんですよね。

プロ野球の世界に入ったことそのものが無謀だし、実力がまだついていない状況でも、チーム事情で4番を打ってサードを守り、大きなプレッシャーにさらされ続けた。

阪神へのFA移籍も、(大部分のFA選手と比べたら、かなりマシなほうとはいえ)わざわざ阪神に行った意味は、新井選手本人にとっても、阪神タイガースにとっても乏しかったようにみえます。

 

大幅なダウンだったとはいえ、阪神からの年俸7000万円(推定)のオファーを蹴って、カープに来たときの年俸は、2000万円だと言われています。

 

こうして、あらためて新井さんの野球人生を辿ってみると、順風満帆というよりは、あんまり正しくなさそうな選択を自分自身でしたり、他者にさせられたりしてばかり、なんですよ。

ずっとカープにいれば、カープの顔として、もっと穏やかで確実な野球人生を送れただろうし、数字も残せたはずなのに。

 

……あれ?

 

やっぱり、そうじゃないような気がする。

カープの選手やファンから愛されている「今の新井さん」は、

「大ベテランですごい実績を残しているのに、手を抜くことが全くなく、常に全力プレーを続けている」

「誰に対しても気さくで威張らない」

「常にチームのためになることを意識している」と誰からも絶賛されているのです。

「こんな人は、他にはいない」と。

 

ファン目線でみていても、自分自身も現役選手として出番も欲しいはずなのに、他の選手の活躍をいちばん喜び、二軍から上がってきた選手や外国人選手に、真っ先に声をかけているのが新井さんです。

実績も実力もある大ベテランにそんなことをされては、他の選手も同じようにやらざるをえないじゃないですか。

 

まさに「生きた手本」なんですよね、新井さんは。

 

ただ、新井さんはずっとこういう選手ではあったのです。

最初にカープにいたときも、阪神にいたときも。

でも、以前のカープやタイガースでは、そんな新井さんをチームがうまく活かすことができなかった。

「あいつはまだ若いから」とか「他のチームから来た『外様』だから」という意識も周囲にはあったのだと思います。

 

引退が見えてきて、それまで何億円ももらっていた年俸が2000万円になり、後ろ足で砂をかけて去ったはずの故郷のチームに戻ってきた新井さんは、まさに「裸一貫」だったと思うのです。

周りの視線も、厳しかったはず。

それこそ、「どの面下げて戻ってきたんだ」と。

 

そんな逆境に置かれていたからこそ、腐ることも諦めることもなく、ひたむきに全力プレーを続けた新井さんの姿は、カープの選手たちやファンの心に響いたという面もあるのです。

「こんなにボロボロになっても、がんばっている人」を、誰が応援せずにいられるだろうか。

 

もし、新井さんが宣言通り、生涯カープにいて、ずっと「生え抜き選手」として一目置かれ続けていたら、新井さん自身も、新井さんへの周囲の見方も、違ったものになっていたでしょう。

 

新井さんは、野球人生の最後になって、これまで積み重ねてきた、「黒歴史」を、「新井貴浩物語」のクライマックスを盛り上げるための前置きに変えてしまいました。

 

もちろん、こういうことは、誰にでもできるわけじゃない。

でも、物事の成功とか失敗なんていうのは、勝負が終わってみるまでわからないし、失敗だと思っていたことが、後に自分の武器になったり、成功のきっかけになったりすることって、けっこうあるんですよね。

 

新井さんがもっと順風満帆な野球人生を送っていたら、他の選手たちは、新井さんを尊敬しても親しみを抱けなかったかもしれないし、少なくとも、こんなにチームメイトにもファンにも愛されることはなかった。

愛情っていうのは、憎悪と背中合わせなのかもしれません。

 

僕は想像することがあるんです。

もし僕が新井さんが戻ってくる前に僕が死んでいたら、こんなふうに新井さんと「仲直り」することはできなかっただろうな、って。

実際に、新井さんへのわだかまりというか、憎しみを抱いたまま鬼籍に入ったカープファンも、少なからずいたはずです。

そういう意味では、僕は幸運だった。

 

新井さんも、きっと、幸運だった。

ただ、新井さんは、間違いなく、その幸運を引き寄せる資格がある人でした。

 

うまくいかないとき、ピンチのときこそ、他者は「この人は、どんな人なのか」と注目しているのです。

だから、自暴自棄にならずに、自分を見つめなおして、もう少しだけ、がんばってみよう。

 

新井さん、帰ってきてくれて、いろんなことを教えてくれて、本当にありがとうございます(まだ現在形!)

 

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(2024/1/22更新)

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

(Photo:Ryosuke Yagi