理想の結婚相手に求める条件は何だろうか。

もちろん、言葉で表せるポイントではなくフィーリングだと言う人もいると思うが、求める条件はまったくなくフィーリングが全てだと答えるのはせいぜい十代までだろう。

 

実際、条件としてよく挙がるのは、

「価値観が合う」

「趣味が合う」

「金銭感覚が合う」

「優しい」

「家事が得意」(男女問わず)

といったところだろうか。

 

もっと現実的な話をすれば、ここに「収入」や「容姿」、「年齢」なども加わるだろう。

バブルの頃は三高などといって「高学歴」「高収入」「高身長」が挙げられたというが、最近は結婚生活に直接影響しない「高学歴」と「高身長」はあまり重視しない人も多いように思う。

「高収入」だって、バブル当時の「男は年収1,000万円から」などと嘯いていた(一部の人だけだろうが)頃に比べ、「ずっと共働きのつもりだし、二人の収入を合わせて生活に困らない程度の年収ならいいよ。」という謙虚な女性の割合が増えたのではないだろうか。

 

その反面、さきに挙げたメンタル面の条件は最近のほうが比較的厳しくなっているような気がする。共働きが一般的になってきて、夫婦の役割の境界線が薄れてきたことも影響するだろう。

例えば、上のメンタル面の一つに入るが、結婚相手(または恋人)の理想の条件として、

「ただ私の話を聞いてほしいの」

「俺の話にずっと、うんうんって相槌打って聞いてくれる子がいいんだ」

というのを聞くことがある。

 

一見すると、この理想は決して高そうではない。「高収入」のように打算の匂いがするわけでもなく、「価値観が合う」という曖昧で正解がなさそうな条件でもないからだ。

この理想を口にする本人も、贅沢は言わないから‥とか、平凡だけど‥などの枕詞を付ける場合が多い。

 

「そうか、話を聞いてあげればいいだけなんだ」と、自分自身が口下手だったりおとなしかったりするタイプの人なら、相手が喋ってくれるのはむしろ楽だと思うかもしれない。

また、相手の話を聞いてあげることは優しさの一つであり、言われるまでもないと考える人もいるだろう。

 

だがこれは、とりわけ結婚相手として挙げる条件となると途端に厳しいものになる。

恋人のうちは、例えば週に数回のデートにおけるほんの数時間だった「私(俺)の話を聞いてくれ」が、毎日のことになるからだ。そして離婚をしない限り、一生続くということである。

結婚して一緒に暮らすのだから当然だが、これは途方もないことだ。

 

そもそも、「ただ話を聞いてほしい」人の言う話とはどういう内容だろうか。

まずは、家庭内の会話を以下のようにおおよそのパターンに分けてみて考えたい。(ここでは話し手を本人、聞き手を配偶者とする)

 

① いわゆる報・連・相

これは家庭を運営するために当然しなければならないことなので、これを聞く気がないとなればもちろん配偶者が悪い(ただし後述するが、この中の「相談」は少々注意しなければならない)。

 

② 日常会話

天気や食事、ニュースに関することなどの何気ない会話。これを制約されたら家庭は窮屈だろう。たいていは盛り上がりも目的もオチもない話だがやむを得ない。全ての会話に目的やオチを持たせるのは誰だって不可能だ。

ただし限度はある。見たもの聞いたもの感じたものをそのまま何でも口にしないと済まない人がいるが、相手が仕事や育児でボロボロに疲れているようなときでも構わず話し続けるのは思いやりに欠ける。

また、聞き手も「だから?」「それで?」といった返事をしてしまうとつまらない喧嘩に発展する、地味に地雷率の高い会話だ。

 

③ 趣味に関することや専門的な話

配偶者も共通の趣味の話、またはある程度知識のある話ならいいが、配偶者にとって興味のない、またはまったく門外漢の趣味や仕事のことを延々と話すとなると、少し厳しくなる。

「え、その分野わかんない」「専門的なことずっと話されても‥」と相手が困惑しているのに話し続けるのは相手を疲弊させる。

ただし、これはまだ良いほうだ。本人は話していて楽しいだろうし、配偶者も「へえ、そんな世界があるんだ」と興味を持つきっかけになるかもしれない。少なくとも、相手を不快にする話題ではない(よっぽどのめり込みすぎて偏っていなければ)。

自身が口数の少ない人で相手が喋ってくれるほうが楽、と考えるタイプはこういった話題ならば想定内で許容範囲、むしろ楽しそうにお喋りする配偶者を微笑ましくも思えるだろう。

 

④ 愚痴、悩みなどのネガティブな話

問題はこれである。これは一見、上記の「相談」の皮を被っていることが多いからなお厄介だ。ましてや職場の人間関係や仕事内容など、配偶者は直接どうすることもできない件ならなおさらだ。

本当の相談であれば、話し手は聞き手に意見を求め、解決の糸口を見つけるために対話する。

だが配偶者が「それはこうしてみれば?」「じゃあこう言ったら丸く収まるんじゃない?」などと意見を言ったときに「でも、でも」を繰り返したり、露骨に嫌な顔をして意見を聞く気もなかったりするようであれば、それは報・連・相のうちの「相談」とは言えない。ただ垂れ流したいだけの愚痴なのだ。

 

最初から「これはただの愚痴だから終始黙って聞いていて」と宣言してくれればまだ良いが‥このように明確に「相談」と「愚痴」を自分でも別のものとして認識できる人は少ない。

あるいは友人や同僚に聞いてもらう時なら「ただの愚痴なんだけどさ」と前置きできる人であっても、身内に対しては甘えが出る傾向がある。

 

そして、「ただ話を聞いてほしい」という理想を掲げる人の「話」とは、自覚しているか無自覚かは別としても、往々にしてこの愚痴や悩みが該当するのではないだろうか。

報・連・相は仕事で嫌でも行う。

何気ない日常会話なら職場でも友人とでも交わす。

趣味などの話はやや「ただ話を聞いてほしい」内容に入るかもしれないが、共通の趣味の人などがいればそこのコミュニティでも話したい欲求は満たされるだろうから絶対条件とは思えない。

そうなると、理想として掲げるほど思う存分配偶者に聞いてもらいたい話といえば、やはり愚痴や悩みということではないだろうか。

 

家庭内なのに、家族なのに、愚痴や悩みを吐いて何が悪いんだ、と理不尽に思う人もいるだろう。

もちろん、愚痴も悩みも吐いていい。家族なのだから。

人間は誰にでも、辛いときや苦しいときのモヤモヤを一人で抱えきれないときがある。家族が一人で全て抱え込んで何も話してくれないというのは配偶者も辛い。

 

しかし相手に対する理想として「ただ話を聞いてほしい」となると、問題ありの可能性が出てくるのではないか。

常に何かしらの不満を抱えやすく、長期間に渡り、ひたすら一方的に、ほぼ習慣として愚痴を吐く場合だ。

話(愚痴、悩み)を聞いてもらう行為そのものがメインとなっているともいえる。もし差し迫った悩みがなかったとしても、悩みを探し出し、自分の中で生み出すことまで有りうる。

もはや愚痴を言うためにヘイトを探すといった本末転倒具合だ。

 

幼い子供がワガママを言って親の愛情を確認するのに似ていると思う。

意見や説教はいらないが、決して適当に流すこともなく、ほぼ一方的に自分のモヤモヤを毎日聞いてほしい。どこまでも自分を受け止めてほしい。

聞き手が「ふーん」「へー」「あー、そう」などと、気のない相槌を打つのみで軽く流すというのは許せない。

適切なタイミングで十分に共感を見せてほしい。そうでなければ、本気が聞く気があるのかと怒り出すか、思いやりがないと言ってさめざめ泣くこともあるだろう。

 

これを受け入れられるのはもはや、カウンセリングの域だろう。一時間で数千円以上の料金が発生するカウンセリングに近い。

もちろんカウンセラーは、専門家だからこそ料金が発生する。

しかし裏を返せば「ただ話を聞く」という行為はそれだけ専門知識が必要で、プロが対応することなのである。それを常に素人である配偶者に求めるのは酷だ。

 

それでも「話を聞いてほしい」という希望は譲れない、それを配偶者に求められないなら結婚する意味がない。

そこまで思う人は、夫婦であっても元は他人である以上、精神的にギブ&テイクであるということを忘れなければよいのではないだろうか。

 

愚痴や悩みを聞いてもらいたいなら、相手の愚痴や悩みも聞く。「一方的に」という部分を意識して変えるのだ。

いたって明快で当たり前のことのようだが、これを忘れてしまう人が多いように思う。

 

友人や同僚とのランチや飲み会等では愚痴の言い合い、つまりお互い話しつつ聞きあっている関係が多いはずだ

。そうでない人は自然と周囲の人間が離れていくので、たいていは大人になる過程である程度精神的ギブ&テイクができるようになるはずだ。

 

ところがこれが夫婦となると、「なんでそこまでパートナーに気を遣わなければならないのか」と言いたくなるだろう。「そんなに気を遣うならモヤモヤは解消されない」と。

 

だが配偶者も生身の人間だ。

愚痴のはけ口にされた側のモヤモヤはどこへ遣ったら良いのだろう。

どんなに親身に話を聞いても、カウンセラーのように報酬に還元されるわけでもない。よほど精神的に強靭な配偶者でもない限り、ヘイトを垂れ流されれば、そのヘイトは少なからず聞き手の中に滞留し、少しずつ蝕んでいくだろう。

 

真偽のほどは定かではないが、ネガティブな言葉を浴びせられ続けたら植物すら枯れるという説もあるくらいだ。

人間であれば言わずもがなである。家庭内の仕事でいえば家事育児や親戚づきあい、ご近所づきあいなどを担うよりも強くストレスがかかっている可能性も十分あり得る。

夫婦が対等な元他人である以上、精神的なギブ&テイクを忘れてはいけないのだ。

 

ただし、中には普段聞き手の配偶者でも、自分からはあまりネガティブな話はしたくない、弱音も吐きたくないというタイプもいるだろう。

「さあ、今度はあなたの悩みを話して!」と無理に聞き出されるほうがストレスになる人もいる。

そういう相手ならば、別のストレス解消法を提示してみてはどうだろうか。

 

いつも話を聞いてもらって感謝しているから、土曜日は家事も育児もせずに自由に遊びに行っていいよとか、趣味のコレクションを飾りたいなら一部屋自由に趣味の部屋にしていいよとか、何でもいいのだ。

相手が望んでいて、ストレス解消になることなら。

あるいは、いつもは一方的に愚痴を言ってくるばかりの相手が、そういった心遣いを見せてくれたということだけでも十分満たされる人もいるだろう。要は気持ちだ。

 

「そんなにいちいち気を遣わなくても、うちのパートナーはネガティブな話でもいつも親身に聞いてくれるし、不満もなさそうだから問題ない」

そういう声もあるだろう。そして(まれに)それが事実の場合もある。

 

実は聞き手側が我慢している、というのではいけない(愚痴を聞いてもらう側からはよくわからないだろうが)。

ある時突然大爆発したり、ふらっと姿を消してしまったりする危険をはらんでいる。

 

そうではなく、結婚後何年経とうとも相手への愛情だけで愚痴や弱音を全て受け止めて包み込んでくれる人。

それでいて、いつも朗らかに暮らしている人。ストレスを感じたとしてもうまく自分の中で切り替えて、ダメージをしなやかにかわせる人。

もちろん、全て受け止めた風を装って、相手を操縦しようとするような裏があるわけではない。

ましてや密かに何かの修行中で、功徳を積むために苦行に耐えているわけでもない。

 

あなたの配偶者が、もし本当にそんな人だったとしたら。

はい、そのパートナーはとんでもない「アタリ」です。

 

そういう人を伴侶にすることができたなら、決してそれを普通だと思ってはいけない。

収入が良いとか美人だとか、家事がうまいとか趣味が合うとか、そういった様々な要素を遙かに凌駕した最高のパートナーだ。そんな人と夫婦になれた僥倖に、心から感謝するべきだろう。

「まあ話だけはよく聞いてくれるけど、平凡な人だよ」だなんて、とんでもない話なのである。

 

 

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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

 

【著者プロフィール】

西 歩 (にし あゆみ)

大学卒業後、教育関連企業の会社員時代を経てフリーの編集者となる。

趣味はゲーム、漫画、服飾史研究。好きな時代は古墳時代~平安時代。

(Photo:Department of Foreign Affairs and Trade