母方の祖父が肺がんで亡くなった時、私はまだ小学生だった。

30年は前の話だ。

 

祖父の記憶については、「とにかく優しい人」というイメージがその大半を占めている。

毎年夏休みに帰省すると、祖父は手放しで大喜びしてくれた。

一緒に公園に遊びに行ったし、縁側で将棋を指したし、お祭りにも行ったし、花火もした。

祖父は私の将棋の師匠の一人でもあって、私の将棋の癖のそこかしこには、今でもところどころ、祖父の指し筋が残っている。

 

一方、お酒とタバコをこよなく愛していた人でもあり、かつては酒を飲んで暴力をふるうようなこともあったそうで、母は随分苦労したという話も聞いた。

私からは全く想像もつかない話であって、孫から見ると全身くまなく優しい祖父であった。

 

いきなり話が逸れて申し訳ないのだが、祖父の家で寝室に使っていたのは2階の部屋で、私の記憶ではその部屋の化粧台に確かに「キューピー人形」が置いてあった。

で、幼少の私は、夜中にふと起きる度にそのキューピー人形と目が合い、その度に怖くってギャン泣きしていた、筈なのだが、今この話を家族にすると「いや、キューピー人形なんかなかったよ?」と皆が口をそろえる。

 

これどうも、家族の記憶の方が正しく、キューピー人形の存在自体私の中で勝手に構築されたねつ造記憶であるっぽいのだが、一体何がきっかけでこんな記憶をねつ造したのかさっぱり分からず、その影響で私は未だにキューピー人形が苦手である。

この話は以前下記記事に書いたので、気が向いたら読んでみて頂きたい。

「キューピー人形」についての妙な記憶のお話

 

さて、祖父が亡くなる少し前、かなり長めに祖父の家に滞在していたことがあった。

細かい時期を記憶していないのだが、多分夏休みか春休みか、いずれにせよ長期休みの最中だったろう。

 

今でも印象に残っているのだが、当時、とにかく「知らない人からの電話・訪問」が激増した。私が電話に出たことも何度かあった。

なにせ東北の小さな田舎街だ。プライバシーなどあってないようなもので、祖父が入院したことから、病名やら病状まで、全て筒抜けだったのだろう。

祖父の顔が広かったこともあり、お見舞いやら挨拶やら、入れ替わり立ち代わり色んな来訪があり、対応する母や祖母が大変そうだなあと、子ども心に思った記憶がある。

 

そんな訪問客の一人と、父が大げんかをしたことがある。

 

中年のおばさんだったように思う。

私は隣の部屋で本を読んでいたのだが、襖を閉めてもいないので、声は丸聞こえだった。

母には知らない人で、祖母も恐らく1度か2度くらいしか会ったことがないような雰囲気で、当初から微妙な雰囲気というか、緊張感を感じてはいた。

 

で、そのおばさんが、盛んに病院の医療の悪口を並べている。

なにせ小学生の頃だ、あまり難しい言葉は理解出来ていなかったと思うが、病院の薬は却って悪くなるだけだとか、手術なんてしない方がいいとか、そんな話をしていたことはなんとなく覚えている。

 

で、そのおばさんが「実は私の知り合いにいい先生がいてね、紹介してあげようと思うんだけど…」というような話をし始めた時、同じく横で聞いていたであろう父がいきなり割って入った。

「ちょっといいですか。その〇〇先生の治療で何人が助かってるんですか?」

そのおばさんが「知り合いの××さんがこんな風に…」という話を始めると、

「いや、誰々が、じゃなくて、何百件治療していて、その内なん件のガンがどれくらい小さくなって、5年生存率はどれくらいか、再発率はどれくらいかって話をしているんです。今やっている△△は臨床件数〇件で5年生存率は◇◇くらいですけど、当然それより高いんですよね?」

 

父は仕事柄数字には強く、こういう時にはとにかくきっちりと話を詰める。

なにやかや言い合いになったと思うのだが、「こっちは心配して言ってあげてるのに!」とキレ出した相手に、父は

「じゃあそれで義父が死んだらあんた責任とれんのか!!」

と一喝した。

この言葉だけは、今でも随分はっきりと覚えている。

 

その後どういう風にその場が収まったのか、よく覚えてはいないのだが、恐らくそのまま追い出してしまったのだろう。

田舎町の人間関係とか大丈夫だったのかなとも思うのだが、その後周囲の人との関係がおかしくなったという話も聞かなかった。

恐らくその相手自体その町の人間ではなく、どこからか現れた遠い知人だったのだろうと思う。

もしかすると、知人、という程の関係ですらなかったのかも知れない。

 

インターネットがなかった当時も、勿論こういった怪しげな代替医療、あるいは代替医療もどきのような話はままあって、その流通経路は主に電話と広告、そして口伝てだった。

私はそれを、すぐ目の前で見たことになる。

 

 

実のところ、上記のような話を全て私が直で記憶しているわけでは勿論なく、後から父や母に聞いた内容で記憶を補完している部分はそれなりにある。

以下も、随分後になってから聞いた話だ。

 

祖母は気質的に素直というか、人の言葉を丸のみする傾向がある人で、詐欺のような話に巻き込まれたこともちょこちょこあったらしい。

当時、ただのお見舞いに留まらず、祖父のガン治療について口を出してくる人は何人もいて、祖母がその言葉を信じ込んで祖父を転院させようとしたことが、このエピソードの前に一度あったようなのだ。

 

その為、父は最初から、病院の悪口を吹き込んでくる人を警戒していた。

知らない人が祖母と話す時はすぐに口が出せるように待機していて、自分がいない時は会わせないようにしていたらしい。

 

そんな父でも、祖母が聞いてきた話を全て弾き返すようなことはしなかったのか、祖父は「ガンが治る」という触れ込みのよくわからない民間療法の煎じ薬を買わされて、随分長い期間呑まされていた。

 

これも当時、電話だか訪問だかでお勧めされたものだったのだが、勿論そんなもので祖父のガンは快癒せず、結局祖父は亡くなることになるのだが、「まあ病院の治療を否定しない範囲なら、ああいうのは周囲の人間の精神安定剤みたいなもんだから」と父はサバサバしていた。

 

要するに父は、「今やっている治療を否定するかどうか」にアウト/セーフのラインを引いていて、そこを超えない限りはある程度好きにやらせていたらしい。お金のことは多少は仕方ないと思っていたようだ。

「何かしている」という気持ちも安定剤の内、というのは、まあその通りなんだろうな、と思う。

事実、この薬を飲ませていたことが祖母に及ぼした影響は大きく、「やるだけやったから」という諦めもついていた、ように見える。

 

もう一つ父が言っていたことがある。あの中年のおばさんについての話だ。

「ああいうのは、勿論金目当ての詐欺みたいな話もあるけれど、大体は自分でも善意とごっちゃになってよくわからなくなってるヤツなんだ」と。

 

善意で動く時の人間が、ある意味では一番面倒くさい。

自分の行動は「善意」ということで完全に正当化しつつ、「何かしてあげた」「助言をしてあげて、頼られた」というお手軽な報酬効果を求めて、自分が主観的に信じている内容を押し付ける。

そして、それを拒絶されたら「善意を無下にされた」と思い込んで手のひらを反すように激昂する。よくある話だ、と父は言っていた。

 

この辺の話については、今、このwebでも、同じように起きている話だなあと。

もしかすると、当時よりもずっと広範に、根深く発生していることかも知れない。

 

何か重い病気にかかった人に対して、ちょっとぐぐって出てきた情報を、よく調べもせず「こんな治療がいいらしいですよ!」とか「その治療はダメらしいですよ!」と、寄ってたかって「善意」を投げつける。

時にはその影響で、本来受けるべきだった治療を拒絶して余命を大幅に短くしてしまう人もいる。

勿論、更に悪質に、最初から金目当てで怪しげな代替医療を押し付けようとする向きもある。

「標準治療を拒否した有名人のその後」みたいなニュースはしばしば聞く話だ。

 

代替医療と標準医療の是々非々について、ここで議論をするつもりはない。

「人の話をうのみにせず、偏らない情報を十分検討した上で採用を判断するべき」というのが一般論として正しいだろう。

ただ、「自分では善意のつもりで相手を破滅させる人」というのが、世の中に一定数存在することは頭に入れておいて然るべきだと思う。

 

一方で、むしろ重病の当事者に相対する場合を考えて、自分の「善意」についてはきちんと考えておきたい。

 

たとえきっかけが善意だったとして、それは本当に相手に求められていることなのか。

あるいは、「相手の為になる」と考えているそれは、単なる自分の思い込みであって、自分の行為は地獄への道を舗装するだけの行為ではないのか。

時にはそういうことを振り返ってもいいんじゃないか、というのが、私がこのエピソードから学んだことの一つでもある。

 

 

話が長くなった。上の一連のエピソードから、私が考えるようになったことを簡単にまとめておく。

 

・重病になった人の元に様々な善意が集まるのは昔からの話

・一方で、善意にコーティングされた破滅が寄せられることも珍しいことではない

・代替医療を全て否定すればいいというものではなく、周囲の人間の気持ちに資するかどうかを考えるべき時もある

・ただし、既存医療を根拠なく否定しようとするものは断固拒絶するべきである

・自分の善意が他人の為になるものかどうか、そしてそれは主観的なものになっていないか、時には自省することも必要

これくらいだ。

 

父も、今ではもう当時の祖父を超える年齢になっている。

あの頃父に教えてもらったことを、いつかは私自身が実践しないといけないこともあるかも知れない。

そう思いながら、記憶の断片を書いてみた。

 

今日書きたいことはそれくらい。

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

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