先日、私は自分のブログにこんなブログ記事を書いた。

だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。

相互不干渉の浸透した社会のなかで他人に干渉することはますます難しく、勇気の必要な、リスクを孕んだものになっているわけだから、私たちはおいそれとは他人を叱れないし、他人に叱られにくくもなった。

ここでいう「他人に叱られにくくなった」とは、他人に叱られる頻度が低下したという意味だけでなく、他人に叱られ慣れなくなった、という意味も含んでいる。

他人から鬱陶しがられそうな言動を繰り返していても、相互不干渉がマナーになっている現代社会では、誰かが叱ったり注意したりしてくれることは少ない。

自分を叱ってくれる人、それもちゃんと心に刺さるようなかたちで叱ってくれる人は貴重な存在だ。

 

先日AERA.dotに掲載されていた以下の記事は、まさにそのことを思い出させる内容だった。

66歳男性が風呂場で涙… 友人もいない老後を憂う相談者に鴻上尚史が指摘した、人間関係で絶対に言ってはいけない言葉

ちょっとおかしいと思い、妹に連絡したら「お兄さん、気づいてないの? みんなお兄さんが煙たくて、距離とっているんだよ」と。寝耳に水でした。

妹によれば、私が長男で母から優遇されすぎたし、弟たちの学歴や会社をバカにしてたのが態度に出すぎてた、というのです。

たしかに私は兄弟のなかでも学歴も会社も一番上で、母の自慢でした。弟たちをみて、不甲斐ないと思ったこともありましたが、それは私が努力したからです。弟たちにとって私は自慢の兄だろうと思ってきました。弟たちの不甲斐なさをちょっとからかったこともありましたが、兄弟のことです。

思い切って弟に直接電話してたしかめると「姉ちゃんに聞いたんならわかるだろう。兄貴と呑んでもえばった上司と話しているみたいで酔えんから」とつれない返事でした。結局、妻も「旅行は友達と行ったほうが楽しいから」と私と行こうとはしてくれません。

この、66歳男性の文章を読むと、ああ、この人は叱ってくれる人がいなかったのだな……と思わずにはいられない。

 

この男性は、兄弟や妻に対して、人心を失うようなことを平気で言い、コミュニケーションが失敗しやすくなることを平気でやって、だけど誰も叱ってくれなくて、めっきり人が離れていってしまったのだろう。

 

男性が勤めていた会社にも、このことに気付いている人はいたかもしれない。

「この人は、家族や兄弟のことを見下し、酷いことを言っているんじゃないか」といった具合に。

だけど相互不干渉がマナーになっている現代社会では「お前さん、それじゃあ家族が離れていくよ」とは誰も言ってくれないのである。

 

大人の世界では、他人がまずい言動を繰り返していても叱ってくれる人はいない。ただ黙っていられるか、距離を取られてしまうだけである。

ひょっとしたらこの男性の兄弟や妻も、最初のうちは注意や忠告ぐらいはしていたのかもしれない。

だが、言うだけ無駄、言っても逆恨みされるのが関の山、と思って距離を取ることにしたのだろう。

 

こんな具合に、まずい言動を繰り返している大人は、自分の何がまずいのかを自覚する機会も無いまま、人が離れていき、唯我独尊に陥ってしまう。

 

叱られにくく、自省もしにくい社会

くだんの66歳男性は、唯我独尊に陥ってしまった現代人としてはひとつの典型であろう。

 

親族にこれだけ疎まれても我が身を振り返らず、鴻上尚史さんにアドバイスを求めるほかなかったわけだから、自分自身を省みる力が相当乏しかったと察せられる。

「会社でしっかり働けている自分は立派な人間、そうでない人間は駄目な人間」といった先入観にとらわれやすい世代とはいえ、気の毒なことである。

 

さて問題は、私は、あるいはあなたは、この気の毒な男性のことをどこまで他人事として構わないか、ということだ。

 

私たちは今、相互不干渉が通念として定着した、誰かに叱られたり注意されたりしにくい生活空間で暮らしている。

赤の他人から叱られる機会は非常に少ない。近所の人や地域の人から「おまえ、そんなバカなことやってどうすんの」などと言われる筋合いなどどこにも無くなった。

万が一そのように言われたとしても、「どういう筋合いでお前はそういうことを言っているのか」と反感が先立つのがおちである。

 

そして年を取り、何らかの地位に就いていれば、ますます叱られにくくなり、注意も忠告もされなくなる。

コミュニケーションの失敗確率が高くなるような言動を繰り返していても、面と向かってそれを注意してくれる人はそういない。「お互いに争わない」「お互いのストレスを回避する」といった言葉は、相互不干渉を貫く恰好の大義名分になる。

 

家族や兄弟ですら、3度も言って変わらなければ「もう言うだけ無駄だからなるべく離れて暮らそう」になってしまうし、一人暮らしをしている場合などは、誰も! 本当に誰も! 自分を叱ったり注意したりしてくれない。

 

相互不干渉を是とし、お互いのしがらみを最小化し、アトム化した個人主義者として皆が暮らしていく社会ができあがったことによって、私たちは、他人から叱られる・注意される・忠告されるといった学習ルートを失ってしまった。

失ったと言って言い過ぎだとしたら、「そういう学習ルートが希少になった」と言い換えていただいて構わない。

 

そのような社会では、むやみに争うこともないし、ストレスも回避できる一方で、自分自身の言動のまずい点を省みる力が乏しければ自分の言動が改められない。

 

信頼できる他人から叱られたり注意されたりすることもなしに、自分自身の言動を省みるのは非常に難しい。

そして自分自身の言動を省みることに慣れていない人は、かりに誰かから何かを言われても、えてして自分自身の言動を省みない。

 

だとすれば、この相互不干渉の浸透した個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い唯我独尊の人間を大量生産する社会、になってしまっているのではないだろうか。

 

ネットは自省よりも自己正当化を促してしまう

こう書くと、一部の人は「ネットを使ってコミュニケーションすれば自分のことが省みられるじゃないか」と考えたがるかもしれない。

ネットを介して自省する筋道も無くはないだろう。だが、実際はほとんど期待できないのではないだろうか。

 

つい最近、Books&Appsで高須賀さんが、これに関してひとつの問題提起をしておられた。

誰にも尊敬されない孤独な老人から想像する、ネット右翼の発生、そしてジャパニーズ・ラストベルトの誕生。

と、ここまで書いていて僕は物凄くマズい問題に気がついた。ネトウヨ問題である。

上で、コミュ障はインターネットでなんらかのコミュニティに所属しろと書いたけど、これができるのは自分に何らかの趣味だとかがある人だけである。

将棋ができない人が将棋コミュニティに入るのは難しいのを考えてもらえれば、わかりやすいだろうか。

 

では、何もアイデンティがない人は、最終的には一体どこのコミュニティに所属する事になるのだろうか?

実はそれがネトウヨなのである。

AERA.dotの66歳男性の記事から高須賀さんが辿り着いたのは、「アイデンティティがなにも無い人はネトウヨになる」という問題だった。

 

自分自身を省みる力もない人がネットをよすがとした時、たとえばネトウヨのようなアイデンティティの入れ物におさまるというのはよくわかる話だし、実例も見かける。

 

政治的なセクト・思想的なセクト・趣味的なセクト、その他いろいろあるが、とにかくネットではセクトができやすい。

セクトと一体になることによってその人の承認欲求や所属欲求が充たされ、アイデンティティも補償されるのだから、可否はともかく、セクトができるのは理解できる。

 

だが、セクト化した人は、えてして自分自身を省みなくなる。セクトメンバーとつるむなかで、「自分たちは悪くない」「悪いのは自分以外のあいつら」といった考えに傾いてしまう。

 

この文章のテーマに立ち返って考えるに、そういったセクトは唯我独尊に対するブレーキたり得るものだろうか。いや、おそらくブレーキにはならず、自己正当化のためのアクセルになってしまうのではないだろうか。

 

意見の同じ者同士はつるみやすいけれども、意見を異にする者・異議を唱える者とは対立しやすい、このSNSというアーキテクチャ自体が、私たちに自省よりも自己正当化を促しているきらいがあるとしたら、ネットで唯我独尊を避けるのはリアル以上に難しいのではないだろうか。

 

こんな具合に、幾重にも重なった、唯我独尊に陥りやすい社会の構造のなかで私たちは暮らしている。

だとしたら、唯我独尊はお金持ちやナルシストだけの問題というより、貧富を問わず、誰もが陥りやすい現代社会の風土病みたいなものだと解釈しておいたほうが事実に近いように、私には思われる。

 

だから私は、くだんの66歳男性のようなケースには戦慄せずにはいられない。

ひょっとしてあれは、未来の自分の姿ではないのか……と。

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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(Photo:Joe Brusky