先日、あるインターネットのベテランな人の本棚をみせていただく機会があった。

 

私は本棚をみせていただくのが好きだ。

なぜなら、本棚には持ち主のさまざまな性質が反映されていて、その人となりが浮かび上がってくるからである。

「本棚をみせてごらんなさい。あなたがどんな人間か言い当ててみましょう」

「本棚」って魔性のアイテムですよね。

本棚に入っている本には、その人の執着や趣味や知性やコンプレックスやフェティシズムがびっしり詰まっています。

ネット通販の購入履歴などもそうだと言えますが、ただの購入履歴と違って、本棚には入れ替わりがあって、要らない本は本棚からふるい落とされて、その人が必要としている本や執着し続けている本だけが残る、という特徴があります。

その、インターネットのベテランな人の本棚を初めて見せていただいた時、私は圧倒された。

数学。社会学。心理学。オカルト。情報工学。アニメ。歴史。

もし、これらの本をブックオフで見かけても、雑多なジャンルの書籍がごった煮になっているとしか思わなかっただろう。

 

だが、個人の本棚にそれらが陳列されている時にはそう見えない。

何かしら、本同士の間に繋がりがある気配が本棚全体から漂っているように感じられた。

いや、本棚という大きな器があらゆる本同士を繋ぎ合わせ、調和させている気配すらあった。

 

「本棚って、脳の一部だと思いませんか?」

 

インターネットのベテランな人は、おもむろにそう言った。

なるほど。

確かに本棚は脳の一部だ。

少なくとも、本棚を脳の一部とみなすことによって合点がいくことはたくさんある。

 

ジャンルのごった煮を、脳は、本棚は、繋ぎ合わせてくれる

私たちはたくさんの本を読み、程度の差はあるけれどもそれらを記憶したり、思い出したりしている。

本だけでなく、テレビやネットで見たことも、リアルで経験したことも同様だ。

ものすごく沢山の記憶を覚えたり、思い出したりしながら毎日を暮らしている。

 

だが、記憶や知識は、あまり整然としていない。

少なくとも、PCのフォルダ内部のファイルが並んでいるようには整っていない。

特定の状況でだけワッと思い出される記憶もあれば、いつまでも気になってしようがない記憶もある。

そして記憶同士はさまざまに繋がったり関連づけられたりする。知識もおおむねそんな感じだ。

 

たとえば私の場合、ダーウィンの進化論の考え方とフロイトの精神分析の考え方、ポストモダン哲学の考え方と(仏教の)真言宗の考え方とはほとんど喧嘩せずに関連づけられている。

進化論の解説者のなかには精神分析に批判的なことを言う人もいるし、ポストモダン哲学に批判的なことを言う人もいるけれども、私の頭のなかでは矛盾しておらず、むしろ調和していて違和感が無い。

 

「喧嘩しない繋がりかたで進化論と精神分析とポストモダン哲学と真言宗が私の脳内に記憶されている」と言い換えてもいいかもしれない。

 

脳という記憶媒体は、物事を関連づけるのが巧い。

というより関連づけが巧くいった記憶がとりわけ残り、よく使いこなせるようになる。

脳の凄みはいろいろあるけれども、記憶同士や知識同士を関連づけること・繋げることの巧みさにかけては、いまだに脳の独壇場だと思う。

 

一部の精神疾患ではこの関連づけ機能がうまく働かなくなり、たとえば

「さっき通りがかった犬が電信柱に立小便をしたから、私は自分が皇族であることを確信した」

といった関連づけエラーが起こることもあるが、うまく機能している脳は記憶や知識を不思議なほど上手くつなぎ合わせてみせる。

 

で、本棚、である。

 

本棚もまた、本と本を関連づけ、繋ぎ合わせてみせる。

というより、その本棚の持ち主の脳が本同士を関連付け、繋ぎ合わせながら本棚に本を並べていくから、おのずとそのような並びになっていく。

 

と同時に、本棚に本が並んでいることによって、本棚の持ち主の脳もまた影響を受ける。

目に付きやすい場所に置かれている本は、何度も想起されやすくなるし、何度もページをめくられやすくなるので、ますます記憶されやすくなる。

 

本の背表紙を観るだけでも、その本と、その本を読んだ時の記憶はよみがえる。

本棚のなかでの位置関係によって、本同士が関連付けられやすくなることもある。

 

そうやって、[本棚→脳]、[脳→本棚]へと記憶と知識のフィードバックの環がグルグルと回って、ますます本棚は脳っぽくなり、脳も脳で本棚の影響を受け続けていく。

 

こうした本棚の、脳の拡張機能というか、脳と一緒に記憶や知識を関連づけていく機能は、いまのところ、電子書籍やインターネットのテキストにはほとんど期待できない。

 

一時期、私も読書メーターのようなサービスを使って本棚の代わりにならないかやってみたことはあったけれども、結局うまくいかなかった。

本棚が部屋の一角を占めていて、それゆえ通覧性があり、その通覧性のある状態が自分自身の生活環境の一部になっていることが本棚の特別なところなのだと思う。

 

もし、電子書籍がこの機能を引き受けられるようになったら、その時こそ、本棚は電子書籍に取って代わられるのかもしれない。

 

この本棚は、フェイクだね

他方で、世の中には死んでいる本棚もよくある。

死んでいると言って語弊があるなら、持ち主の脳とちゃんと繋がっていない、記憶と知識のフィードバックの環がグルグルしていない本棚、というべきだろうか。

 

団塊世代ぐらいのリビングの本棚には、しばしば読みもしない百科事典などが陳列されていた。

こういう本棚は脳とは繋がっているのでなく、一種のお飾り、部屋の調度として陳列されているに過ぎない。

 

ちなみに団塊世代ぐらいのリビングには、本棚に限らず、生活とまったく結びついていないものが陳列されていることが多い。

飲みもしないブランデーや使わないワイングラスが部屋に飾られているのも、その典型である。

モノを持つことが幸福そのもの、ステータスそのものだった時代の名残りだろう。

 

しかし本棚が死んでいる人の大本命は、本棚で見栄を張る人、フェイクの本棚を見せびらかす人である。

 

「私はこういう本を読んでいます」「私はこんな愛読家です」と見栄を張るために、見栄えの良い本をスタイリッシュに並べる人というのもいる。

こういった見栄っぱりな本棚は、その本棚の持ち主と会話をしているうちにボロが出てくる。

 

ボロが出るというより、本人の話す内容と本棚との整合性が取れなくなってくる。

それで、「この本棚はフェイクではないか」と疑ってかかることになる。

 

いまどきは、SNSなどを使って見栄えの良い本棚を公開している人も少なくない。

まあ、SNSを使って公開するぶんには、会話しながら本棚を覗かれるよりフェイクと見抜かれるリスクは少ないかもしれない。

 

それでも、SNS上の文章や他の写真との整合性の乏しい本棚の場合には、フェイクのにおいがする。

それに、普段からインスタ映えや「いいね」を気にしている人物が、なんの修飾も行わずに本棚を公開するなんてことが、どれぐらい起こり得るだろうか?

 

だからネットに公開されている本棚の真贋を見極めるのは難しい。

オフラインで拝見させていただける愛読家の本棚こそが間違いなく生きている本棚で、つまり、見せていただくに値する本棚なのだろう。

 

生きている本棚を見て厳かな気持ちになる

私はこんな風に本棚のことをとらえているから、本棚をみせていただくのはその愛読家の脳の一部をみせていただくに等しいと考えている。

だから敬意を払わずにはいられないし、眺める時にはおのずと厳かな気持ちになる。

 

くだんのインターネットのベテランな人の本棚もそうだった。

「本棚のなかの雑多なジャンルの本が、持ち主の脳内を反映している」という前提で眺めるうちに、何か、オンリーワンの小宇宙を眺めているような気持ちになった。

 

自分の脳内とも、自分の本棚ともはっきりと違った、記憶と知識の巨大構築物がそこにあって、しかも生活のなかで使われているということは……この本棚は生きているのである! 厳かな気持ちにもなろう。

 

だが、そのような機会はそう滅多にあるものではない。

もしあなたがそのような機会に恵まれたら、刮目し、敬意と節度をもって見せていただくのが良いと思う。

そして一人の人間の脳と本棚がつくりあげた、記憶と知識の小宇宙を深く味わってみて欲しい。

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。

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ブログ:『シロクマの屑籠』

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(Photo:Renaud Camus