地方の医療現場で働いていると、自分と同じ世代だけでなく、年下世代の結婚話や子育ての話、家族の話を耳にすることが多い。
と同時に、私の学生時代の友人やインターネットで知り合った友人が首都圏に住んでいるので、大都市圏でのケースを耳にする機会もよくある。
ここ最近、私の生活圏では「嫁入り」の話をよく聞く。
年配の方が「最近の若い人は、旦那さんの実家に入るのを躊躇わないねえ」なんて言うものだから、私は驚いてしまった。
地方の国道沿いに住んでいるぶんには、いわゆる三世帯家族は珍しくない。
同じ敷地内に二棟を建てている例も含めると、かなりの割合が三世帯家族だろう。
ところが最近耳にするのは、嫁と姑が同じ家で生活するような、そういうパーフェクトな三世帯家族のほうである。
なら、昭和時代の『渡る世間は鬼ばかり』のような嫁姑の確執があるかと思いきや、サバサバと嫁入りして、サバサバと付き合っているという。
というより、サバサバと付き合っていけるような家庭に、サバサバ付き合っていけるような嫁が嫁入りするような感じ、なのだという。
ひとことで「嫁入り」とは言っても、昭和時代のソレとはだいぶ雰囲気が違っているようだ。
地方では珍しくない三世帯同居
こうした私の周囲の話は、単なる偶然なのか、統計的にも裏付けられる傾向なのか。
気になったので調べてみると、国土交通省『平成25年 住生活総合調査』がそのものズバリを調べていた。
これによれば、
一方、「親、子などとの同居・隣居・近居」は概ね増加しており、平成 5 年の 4.1%から平成 25 年の 10.6%になっている。
とあり、近年、親子同居・隣居・近居が多数派とは言えないまでも、増加していることがわかる。
私の生活圏で見かけているのは、この、増加している部分なのだろう。
他方で、首都圏で子育てしている私の友人は、すべて核家族である。
これは、私が地方の進学校出身で、首都圏に進学した友人が実家から距離のある、いわゆる隔絶核家族にならざるを得ないせいかもしれないし、インターネットで出会った知人たちの価値観やライフスタイルに偏りがあるせいかもしれない。
だが、地域による違いも多分にあるだろう。
『都道府県別統計とランキングで見る県民性』が作成した、三世代世帯人数の違いをマッピングした図表を見ると、それがよくわかる。
これによれば、関東や関西の大都市圏では三世帯家族は少なく、特に東京は全国で最も三世帯家族が少ない(人口100人あたり4.16人)。
神奈川、千葉、埼玉といった東京近郊がこれに続いている。
一方、私のルーツである北陸地方や中部地方は三世帯家族が多い。
首都圏のほうを見ていれば三世帯家族は珍しかろうし、北陸地方や中部地方のほうを見ていれば三世帯家族は珍しくなかろう。
私の肌感覚は、それほど統計とはズレていなかったようだ。
「三世帯家族のデメリット」を織り込み済みの結婚
三世帯家族については、経済的メリットだけでなく、心理的デメリットがしばしば語られてきた。
曰く、自由がきかない、嫁姑の問題がある、等々。
確かにそれらは問題たりえたし、だからこそ昭和時代には人気ドラマのテーマにもなった。
現在でも、都会で一人暮らしを長く続けていた人がいざ親と同居するという話になったら、かなりの心理的抵抗を感じるだろう。
だが、「現在の・地方で・結婚できる」男女にとって、これらはどのぐらい問題たり得るだろうか。
自由がきかないとはいうが、そもそも、東京に比べて地方には自由が乏しい。
もちろん昭和時代に比べれば、地方の若者とて自由にはなった。
それでもなお、家族に対する考え方や人生に対する考え方は首都圏の若者より保守的だ。
それこそ北陸地方や中部地方の、地元で完結した生活をし続けてきた若者の考える自由は、大都市圏で生活し続けてきた若者の考える自由や、大都市圏に飛び出していく若者の考える自由に比べると狭い。
自由が狭いということは、一見、不幸なことのようにみえるかもしれないが、そうとは限らない。
自由に対する要求水準が低いほうが、自分の生きている世界にむやみに疑問を感じなくて良いということでもあるし、不自由だと嘆かなければならない場面も少ない。
また、嫁姑の問題にしても、さきほど述べたように、サバサバした嫁と姑の間柄なら問題はない。
地方でもお見合い結婚の時代はとうに終わり、男性も女性もお互いを選ぶことが当たり前になっている。
サバサバした間柄になれそうにない姑がいるなら、嫁入りしなければ良いだけの話だ。
つまり、男女だけでなく実家も含めて選び/選ばれる時代だから、気難しい家庭や居心地の悪い家庭は、同居の対象として選ばれない。
選考のプロセスがきちんとしている限り、『渡る世間は鬼ばかり』的なリスクはある程度回避できる。
大都市圏の人々がいささか誇張気味に想像するような、古臭い考え方の年配者、それこそ男尊女卑的で「年上は敬われて当然」といった態度をとる年配者が地方に存在するのも事実ではある。
だが、そのような親がのさばっている家は嫁入りや婿入りには選ばれない。ただそれだけのことだ。
地方の家は……広い!
そして地方の家にはキャパシティがある。
都市部の核家族の住まいとは別次元の広さの家屋が、地方では少なくない。
建坪面積が数十坪の地方家屋のキャパシティは、三世代世帯をいとも簡単に受け止めてしまう。
吉川弘文館『日本の民俗5 家の民俗文化誌』によれば、昔の農家や武家の間取りにはプライバシーの概念が欠如していて、個人がそれぞれの部屋を持つことができなかったという。
鈴木成文『「いえ」と「まち」住居集合の論理』を読むと、そうしたプライバシーの欠如は戦後の住宅にも引き継がれていて、その後もゆっくりと近代化されていったさまがみてとれる。
しかし、きちんと増改築された現代の地方の家屋はそうではない。
大人数が生活できるだけのキャパシティと、近代風のプライバシーを両立させている。
都内の集合住宅に慣れ親しんだ人がイメージする三世代世帯と、地方の家屋に慣れ親しんだ人がイメージする三世代世帯は、たぶんイコールではない。
後者に慣れ親しんでいる人なら、三世代世帯を忌避する理由はあまり無いのではないだろうか──人間関係がクリアされている限りにおいて。
もちろん地方にも核家族を志望する人はいて、彼らは真新しいニュータウンに小さな家を建てて、首都圏の同類とほとんど変わらない暮らしをしている。
それはそれとして、大きな家屋で育って三世代世帯にも抵抗が無く、そのメリットをよく心得ている人もまだまだ残っている。
前掲の住生活総合調査のグラフなどは、そうしたメリットが見直されていることのあらわれのようにもみえる。
大都市圏に比べて地方は仕事の種類も少なく、個人の年収を高めるのも簡単ではない。
だが、三世帯が同時に暮らし、大人2人、いや、3人以上で稼ぐとなれば話は違ってくる。
子どもを育てるという点でも、三世帯同居のメリットは小さくない。
地方の大きな家屋は、そうした暮らしを可能にしてくれる。
地方ならではの「勝ち組ライフ」
個人の年収では大都市圏に見劣りしがちな地方の人々が、大きな家に寄り集まって暮らそうとするのは、経済的にも、子育ての利便性からいっても、きわめて合理的な選択だと私は思う。
ひとりひとりの年収では首都圏のサラリーマンにかなわなくても、みんなで稼げばそれなりの金額になるし、地方に暮らしていれば“意識の高い消費”にお金を費やさなければならない度合いも少なくて済むからだ。
と同時に、いまどきの三世代世帯は、結婚する男女はもちろん、祖父母のコミュニケーション能力や人間性まで見定められたうえでスタートするわけだから、【三世帯同居=古き悪しき昭和の嫁姑】といった葛藤の構図も当てはまらない。
大都市圏の「勝ち組」ライフスタイルとは異なるけれども、これはこれで、ひとつの「勝ち組」的なライフスタイルではないだろうか。
むろん、こうしたライフスタイルを地方在住のすべての人が選べるわけではないことは断っておこう。
あらかじめ地の利があって、嫁や婿に選ばれるのにふさわしい家庭環境が揃っていること、つまりコミュニケーション能力や人間性に支障のない家庭環境であることが条件だ。
地の利も無く、家庭環境に問題のある地方在住者には、このようなライフスタイルは望むべくもない。
大都市圏の核家族とは要求されるリソースの種類も、「勝ち組」としてのスタイルも異なっているが、地方でも結局、「リソースを多く持った者がますます繁栄しやすい」という法則は変わらない。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
(Photo:devra)