『ネットは社会を分断しない』(田中辰雄、浜屋敏著/角川新書)という本を読みました。

 

インターネットにより、人々は「自分に都合の良い、あるいは、自分の政治信条に合った情報」ばかりに触れやすくなり、さらに「分断」が進んでいく。

これが、いまの「定説」だと僕は思っていたのです。

 

ところが、この新書では、10万人規模の大規模調査(ネットでのアンケートで、どのくらいの人が正直に答えるものなのだろうか、と疑問ではあるのですが)によって、その「定説」に反論しているのです。

図1は、我々が行ったアンケート調査で、「ネットで実りある議論をするのは難しいと思うか」を尋ねた結果である。調査は2017年8月に実施し、サンプルはウェブモニター調査会社のモニター1890人である。

「ネットで実りある議論をするのは難しいと思う」という人が、47%と半分に達している。難しいと思わない人はわずか7%にとどまっており、圧倒的多数派がネットの議論は不毛だと考えていることになる。

ネットでの議論が相互理解に向かわず、不毛な言い争いばかりが続いているというのは、いまや人々のほぼ共通認識であろう。

「ネットでは、まともな議論ができない」と、だいたい2人に1人くらいが考えているわけです。

 

「ネットによって、人々が立場を超えた自由な議論をし、相互理解が進んでいく」という「ネット黎明期の理想」を信じている人は、もうほとんどいないのではないかと思われます。

こんなはずでは、なかったのに。

 

著者は、さまざまな調査結果から、近年、アメリカでの共和党と民主党、日本では「右派」と「左派」のどちらかを「極端に支持」するようになっている人が増えてきていることを指摘しています。

ただ、この「分極化」というのは、誰かに強要されたものではなく、環境の影響はあるとしても、本人にとっては自分の意思で選んだものではあるわけです。

 

この「分極化」が進んだ時期が、ネットの普及と同じタイミングであったため、「ネットによって社会の分断が進んだ」と指摘されるようになり、それを裏付けるような調査結果も発表されてきたのです。

 

ネットの利用度合いと政治的な過激さ(分極化)には正の相関がある、と著者は指摘しています。

すなわち、SNSや個人のニュースサイトの利用頻度の高さと極端な政治信条の持ちやすさには相関があるのだ、と。

 

この本によると

「憲法9条を改正するべきだ」

「夫婦別姓を選べるようにするべきだ」

「学校では子供に愛国心を教えるべきだ」

「現政権は日本を戦前の暗い時代に戻そうとしている」

の4つの質問に対して、ネットの利用頻度が高いほど「強く賛成」「強く反対」の両極の回答をする人の割合が増えたそうです。

この問題が深刻なのは、自由と民主主義が矛盾する構図になっていることである。

ネット上で自由な言論活動を許せば、社会の分断が起こり民主主義が機能不全を起こす。

では自由を制限するのか?

 

しかし、言論の自由と民主主義は互いに強めあるものだったはずである。

自由な言論あってこそ民主主義であり、民主主義は自由を励ますものだった。

その自由と民主主義が矛盾するとすればどうすればよいのか。

たとえ社会が分断され、民主主義が機能不全に陥っても言論の自由を維持するべきなのか。

 

人々が極端な政治思想のグループに分かれて罵倒と中傷を繰り返すだけになっても、それは自由のコストとして受け入れるべきなのか。

それとも、社会の分断を防いで民主主義を機能させるため、言論の自由を制限するのもやむをえないのか。

それは結局は中国の言論統制と大同小異になりはしないのか。これはつらい問いであり、答えることは大きな決意とストレスを伴う。

 

著者たちは、この問いに対して、こう答えているのです。

本書の答えは極めて簡明である。それはネットは社会を分断しない、である。したがって自由と民主主義は矛盾せず、どちらかを捨てる必要はない。

このあと、さまざまな分析結果を用いて、「分極化」しているのは中高年層であり、よりネットの使用頻度が高いはずの若年層は、むしろ穏健化していることが紹介されています。

 

また、自分の見たいものしか見えなくなってしまう」と危惧されがちなSNSでも、実際は、(その「政敵」を批判する目的も含めた)引用やリツイートで、異なる価値観に触れる機会がかなり多くなるのです。

 

SNSをやっていて、それなりの数のフォロワーがいると、「何これ?」と思うような呟きがリツイートされてくることは、たしかにありますよね。

反論したり、嘲笑するための引用やリツイートも、読んでみたら、「いやこれ、引用先の人のほうがまともじゃない?」って思うことが少なくないのです。

 

そして、ネットが人々を分断しているというよりは、政治的に極端な考えを持った人たちのほうがネットで積極的に発言しようとし、強い言葉を使うので注目を集めやすいだけではないか、と述べられています。

今も昔も、若者は、政治よりも、もっと自分にとって大事なことがある、と考えがちですし、さまざまな価値観を取り入れる柔軟性も持っているのです。

 

SEALDsがあれだけ話題になったのも、あのデモに参加していたのは中高年層がほとんどで、若者が珍しかったからだ、という指摘もなされているのです。

インターネットネイティブの若者たちは、「ネットの理想」を信じていたはずの中年層よりもずっと、ネットに対してフラットで、期待はしていないけれど、簡単に騙されることもない、ということなのでしょう。

 

僕みたいに、ネットにばかり触れているオッサンは、「ネットのせいで社会は分断されている」と思いがちだけれど、じゃあ、身の回りに極端な政治信条を振りかざす人が激増したか、と問われると、普段の生活ではそんな感じはしないですし。

「中国、韓国嫌い」を、酒の席などで口にする人は、増えたのではないか、と感じることはありますが。

 

ネットメディアの利用開始前と開始後を比較して、分極化が進んだかどうかを検討した。政治的動機を外して推定した結果
次の3点に要約される。

(1)ネットメディア利用開始後に分極化は低下傾向である。すなわちネットメディア利用開始で人々は過激化せず、穏健化する傾向にある。

(2)有意な結果に限ると、穏健化するのは20代~30代の人がブログを使い始めた時、女性がブログを使い始めた時、元々穏健だった人がツイッターを使い始めた時である。

(3)逆に有意に過激化するケースは、元々過激だった人がツイッターを使い始めるケースである。

全体として見た場合、穏健化が優勢である。有意な結果だけに限っても、(2)の女性は全体の半分であり、元々の穏健派全体の8割であるのに対し、(3)の急進派は2割に過ぎない。

正直、僕はこの本を読み終えたあとでも、「書いてあることはわかった。でもこれ、本当にそうなのかな……」という気分ではあるのです。

 

でも、違う立場の人が読めば、「ネットが社会を分断するなんて、考えすぎだと思っていた」と納得できるのかもしれません。

興味を持たれた方は、ぜひ、読んでみてください。

 

もしかしたら、我々の「分断」は、ネットのおかげで、このくらいで済んでいるだろうか……。

 

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【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

(Photo:International Railway Summit