おそらく僕だけではないと思うのだが、昔、宗教がものすごく嫌いだった。

 

「なんでみんなこんな古臭くてうさんくさいものをありがたがってるんだ?」

「ってか、寺に通ってお経となるとか面倒くさいし、お布施とかマジでお金の無駄使いじゃん」

「自由な世の中に生まれてきたにもかかわらず、宗教に入信するなんて自分の脚に鎖をつけるようなものじゃないか。なんでわざわざ自分から不自由を選ぶのか、サッパリ理解できない」

 

高校生の頃の僕は、宗教に対してこんな事を思っていたように思う。

 

ただ、その一方で奇妙な魅力を感じていたのも事実だ。

 

「なんでこんなに個人にとってデメリットしか感じられないシステムが根強く生き残っているのか」

 

最近になって、ようやくその正体がうっすらと見えてきたので今回はこの話をしようかと思う。

 

モンゴル帝国が破綻したのは民に宗教を押し付けなかったから

いまでは見る影もないが、かつてモンゴルは世界最大の大国だった。

その優れたシステムについては、遊牧民から見た世界史 増補版 (日経ビジネス人文庫)に詳しい。

 

栄枯盛衰とはいうが、歴史を勉強すると「なぜこんなにも大勝ちしたのに、最終的には衰退してしまうのだろう?」という事例が跡目をたたない。

特に帝国はその最たるもので、常識的に考えてローマやらオスマントルコやらが現代でも全てを総取りし続けてても何もおかしくないと思うのだが、結果はごらんの有様である。

 

僕は遊牧民から見た世界史をはじめて読んだ時、モンゴルというシステムの凄さにただただ感心させられた。

「こんなにも優れたシステムを持った国が、なぜ崩壊してしまったのか」

 

この疑問はかなり長い間ぼくの中でくすぶり続けていたのだけど、つい先日、アジア近現代史 「世界史の誕生」以後の800年 (中公新書) を読んでようやくその疑問が氷解した。

 

モンゴル帝国が支配民に宗教を押しつけなかったのが致命的に駄目だったのだ。

 

暴力やカリスマだけでは全てを統率し続けられない

かつてモンゴル帝国は非常に強大で、周辺諸国を次々と平定していったのだという。

しかしあまりにも相手に対して理解がありすぎたのか、モンゴル帝国は降伏した相手を宗教や言語も元のままで支配下においていた。

 

人は一時的には強大な支配者に従う事はあれど、その影響力が弱まれば虐げられていた記憶とともに民は強い反発心を抱く生き物だ。

こうならない為に、普通は強大な帝国は支配した国を「自民族」へと洗脳しようとする。

 

たとえば現在、中国はモンゴルや香港といった地区に住む人々を「中国人」として取りまとめようとする一つの中国制度を推し進めている。

なんでここまでそれにこだわるかといえば、自治権を与えたが最後、固有の文化を持つ者共はいつか必ず離れていくからにほかならない。

 

権力者は残念ながら永遠の命をもたない。人間の死亡率が100%である以上、権力者のカリスマで民を支配し続けるのには限界がある。

暴力も手の届く範囲は支配できるが、逆に言えばそうでない範囲には有効性がない。

 

力は有限だ。しかし・・・たった一つだけ、例外がある。

それは信仰の力だ。この強烈なウイルスにより、恐ろしい事に人は簡単に心を支配されてしまうのである。

 

実は日本人は宗教に熱心である。しかも何の疑問におもわないレベルで

例えば、私達は日本人であるという強い仲間としての認識がある。

昨今もワールドカップで日本ラグビーチームがベスト8へと勝ち進んでいったが、あのとき我が国は奇妙な一体感が醸し出されていた。

 

しかし冷静に考えて欲しいのだが、ラグビーチームがいくら勝とうが本来ならそれは他人事である。

それなのになんでこんなにも心地よい高揚感がうまれるかといえば、私達の心に「日本人」という強烈な認知が根ざしているからにほかならない。

 

この「日本人」という認知、いったい何がそう思わせているのかはものすごく興味深い。

因子としては使用する言語や似た顔の様相など共通事項は色々あるだろうが、最も根底にあるのはおそらく天皇を象徴とする日本固有の宗教から沸き起こる同胞意識だろう。

 

宗教心に薄いといわれている日本人だけど、元号の改定やら即位の礼での祝日を何の疑問もなく受け入れているように、実はアイデンティティレベルで神道が心に根付いている。

私達は無意識レベルで神道に支配されているのである。

 

こうしてみると、宗教のすざまじい力を改めて感じてしまう。

かつて日本にもキリスト教宣教師がやってきて布教活動を行おうとした事があったけど、宗教心を多くの人の心にインストールさせる事に成功したら、もうそれは実質的には国を支配したのと同じようなものなのだ。

 

大国は何度も滅びているが、宗教は不滅である

冷静に考えると、日々変わり続けているこの世の中でキリスト教やイスラム教といった宗教がいつまでたっても消えないのは本当に凄い。

何度も国は滅びているのに、宗教だけは全く滅びる兆しすらみえない。

 

作家ミシェル・ウエルベックが服従という本でヨーロッパがイスラームに支配されるという話を描いて一大ムーブメントをおこしたが、欧州に住む人々の恐怖心をリアルに感じたいのなら、我が国でイスラム教が一般化していくような話だと置き換えて読み解けばいい。

 

天皇陛下の代わりにアッラーが讃えられるような社会に日本がなったら、まず間違いなく国家は転覆する。

 

イスラム教が布教し、私達の心から本当の意味で神道が離れていったら・・・たぶん天皇制は崩壊する。

そして私達から日本人であるという認知はきれいさっぱりアンインストールされるだろう。

 

国を滅ぼすのには軍事力とかカリスマ、ましてマネーなんてまったく必要ない。

宗教こそが史上最強のマインド・コントロール兵器なのである。

 

企業のエライ人も宗教に首ったけ

なにも国家レベルでなくても、たとえば企業レベルでも宗教を上手に活用している様もいくつもある。

 

例えば京セラの会長である稲盛和夫氏の哲学は非常に宗教的であると有名だ。

なんで彼のもとに中小企業の社長が熱心に集まるのかと言えば、教祖となるためのヒント欲しさだろう。

 

宗教システムを上手に用いればお金やら強大な権力のような維持するのが難しいエネルギーを用いることなく社員を支配し続けられる。こんな魅力的な技を使わない手はない。

 

お金は……奪われればなくなる。

権力は……強き者共に超えられればなくなる。

しかし唯一神だけは……絶対に人の心からなくならない。宗教は国家レベルでなくとも、やはり最も維持コストが少ない世界最強の人心掌握支配システムなのである。

 

己の信仰心を自覚してみよう

宗教のヤバさを理解せず「なんかキモチワルイ」と拒絶するのは、大変に恐ろしい事だ。

なぜか?それは自分の心を無防備で晒し続ける事とほぼ同義だからである。

 

あなたは自分だけは絶対に変な宗教になんて入らないと思っているかもしれないが、オウム真理教の例を持ち出すまでもなく、世の中は本当に何がおきるかわかったものではない。

 

ほころびというのは自分が気が付かないところで始まるものである。

かつて強大な権力を振るっていたモンゴル帝国が滅びの道を歩み始めたのも、見方によっては絶頂期がその第一歩ともいえる。

 

宗教システムを利用する人もいれば、利用される人もいる。

一度自分の信仰について、真剣に向き合ってみてはどうだろうか?

 

己をきちんと理解してみると、意外と自分が特定の何かに強く信心深い事に気がつくはずだ。

そして今までみえなかった脚についてる鎖がみえるようになったとき、改めてこう思うはずだ。

 

宗教あまりにも強すぎるだろ、と。

 

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高須賀

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(Photo:Essam Saad