わたくしは50歳から65歳まで15年間病院長を務めた。
これは私が有能だったわけでは全くなく、前院長が退任したときに、たまたま院内の常勤医で最年長であったというだけの理由である。
正確には、半年前に就職した先生がいらしたのだが、着任半年ではちょっとということだったのかもしれない。
わたくしが院長になった時の病院の収支は月8千万の赤字であった(年ではない、年にすれば約10億)。
就職した病院は企業立の病院であったので歴代の先生方は赤字など全然気にしていない様子であった。
先輩がたは
「この病院は社員の福利厚生のために作られたもので、利益を出そうなどということは全く目的としていない。だから、赤字のことなど一切気にすることはない。世界に冠たる大企業であるわが社にとっては、その程度の赤字など微々たるもので少しも気にすることはない。君はひたすら良心に恥じない医療だけを心掛けていればいい。」
などと応援?して下さる。
因みに前院長の自慢は、「俺は病院の会で一度も赤字のことを口にしたことはない」というものであった。
「しかしなあ、いくらなんでも月八千万というのはなあ」と思い、ちまちまといろいろと工夫していると、年々1000万くらい赤字は減っていったが、月4000万まで減ったところでびくともしなくなった。
後は病院を応援してくださる重役さんが、「適当でいいから、収支が改善する計画書を出しなさい。それに社長が印をついてくれれば、もう大丈夫だから」などとおっしゃるのに甘えて、鉛筆なめなめ、絶対に達成できない計画書を年々作成しているうちに無事?任期を終えることができた。
そういう、まことにお恥ずかしい院長であったが。
それでもいささかでも誇れることがあったとすれば、院長生活15年の間に一度も病院あるいは医師宛の訴訟や裁判を経験することなしに終えることができたことかも知れない。
それが、表題の「ひたすら謝る」である。
とにかく「院長を出せ!」「担当医を出せ!」と言ってきたら、まず謝る。
「当院に入院中、大変ご不快な思いをお感じになることがあった点、眞に申し訳ありません。資料の開示はもちろん、貴方の要求にはすべて応じさせて頂きますので、なんなりとお申し出ください。」と謝る。
特に記憶に残っている事例について書いてみる。
70歳くらいの高齢女性が土曜日の午後入院してきた。
外来からの入院ではなく他の病院からの転院である。
他の病院に入院していてなかなかよくならないので、こちらでもう一度はじめから見直してほしいということであった。
担当した先生は前病院での検査所見を見直して、どうも前医が考えていた病気ではなく別の疾患ではないかと考え、それを確認するための検査を週明けにすることを指示していた。
ところがその月曜の朝3時ごろ患者さんが急変して2時間ほどの経過で亡くなってしまった。
その患者さんの息子さんから「訴えてやる。主治医をだせ」という連絡が来た。
息子さんが問題にしているのは、何で主治医は日曜日に一度も顔を出さなかったか?ということなのである。
もしそうしてくれていれば、変化に早く気づき、母は助かったのでは?
ということであった。
一方、主治医のほうは自分がした医療行為にはどこにも間違ったところはないと思っているから(わたくしもそう思う)、「訴えたいなら訴えろ! いつでも受けて立つ!」という姿勢である
面談の場には、主治医、事務長とわたくしと患者の息子さんが参加したが、いきなりその息子さんが「これからのことは全て録音させて頂きます。私は○○新聞の記者をしております。」といってドンと録音機をおいた。
それが頭に来たのか、主治医が「自分のしたことには一切間違いはない。裁判でも何でも受けてたつ!」と言い出す。
それで患者さんの息子さんのほうが「それでは、なぜ日曜日に来なかった! 重症患者が丸一日放置されている家族の気持ちがわかるのか?」というやりとりになった。
そこでわたくしが「ご家族のかたのお気持ちはよくわかります。当方に非があったことは間違いありません。カルテの開示等の要求にもすべて応じますので、何とぞお許しいただければ。」というと、「若い奴じゃ相手にならん。今後はお前が相手だ!」ということになった。
その後数回の折衝をへて、少しずつ相手の気持ちも軟化し、「今回は許す。もっと患者や家族の気持ちを考えた医療をするよう、若手を良く教育しろ!」ということで何とか一件落着となった。
訴訟とは関係ないが、病院の健診センターの責任者が他院に移ることになったので、後任として下部消化管の専門の先生を事務部長に推薦したことがある。
しかし事務部長が強硬に反対したので実現しなかった。
その原因は、少し前にその先生が大腸内視鏡管検査をした患者さんが、数日後、下血で再入院したことにあった。
これは大腸内視鏡検査である頻度でおきる偶発症であり、医療ミスなどでは全くない。
しかしこの患者さんがたまたま会社関係のかたであったこともあり、事務長さんがその先生に「一緒に謝りに行きましょう!」といったところ、「自分はなにも間違ったことはしていない! だから絶対に謝らない!」といって陳謝に行かなかった。
代わりにわたくしと事務長で謝りにいった。
そのことについて、事務長さんが、ひとに頭をさげられない人間は絶対に組織の長は務まらないといって、その人事案に強硬に反対し、その案は潰れてしまった。
話は変わるが、建設省でダム・河川行政にたずさわった竹村公太郎氏が書いた「日本文明の謎を解く(清流出版 2003年)」という本がある。
その中に、「情報公開は全てのインフラ」という章がある。
今ではもうほとんど忘れられていると思うが平成3年ごろから日本で大きな問題になった長良川河口堰問題というのがある。
開発派対自然保護団体の対立の日本での嚆矢であったのかも知れない。
その頃、竹村氏は長良川の河口堰問題の渉外(つまりマスコミ対策)担当をしていたらしい。
「唯一残された天然河川を守れ! サツキマスが絶滅する!」という自然保護運動の攻勢に完全に押されていた。
自然保護団体はマスコミを味方につけていた。
しかし、お役人たちは当時マスコミ対策の重要性に全く気付いていなかったのだそうである。
そして色々と調べていくと、マスコミは、「建設省は自分に都合のいいデータしか出していない」と思っていることがわかった。
いくらマスコミに河口堰の重要性を説いても「あなたはデータを隠しているから信用できない」と一蹴されていた。
建設省の側は長良川河口堰の必要性は自明なものであるが、それを理解できない人間が自然保護なという感傷で反対しているというような認識であったらしい。
それで方向を転換して、ありとあらゆるデータをとにかくすべて公開していくことにした。
まだインターネットが普及していない時代として最大限の情報公開であった。
それでも竹村氏の側はその効果には半信半疑であったらしい。
しかし、後から見ると、平成2年ごろから盛んになった長良川河口堰への反対運動に言及する記事が平成8年頃から目に見えて減っており、減る前でもマスコミの記事は、反対から両論併記の記事が目立って多くなっていることが分かった。
平成5年までは皆無であった河口堰に関する記者会見が平成6年には212回も行われた。
休日を除けばほぼ毎日である。
マスコミの側はこれをみて、建設省は何かを隠したり、データでウソをついたりはしていないとは思うようにはなったらしい。
しかしそれでも、マスコミの側でも情報公開が自分の書く記事の内容に影響したとは全く思っていなかったらしい。
《ひたすら謝る》などというのは別にどうということではないかも知れない。
しかし医者と患者というのは現在の日本では決して対等ではない。圧倒的に医療者が優位な位置にいる。
だから、謝るということではじめて平等になれるという側面があると思うし、こちらが持つ情報をすべて開示することで、はじめて最低限の信用をえることが出来るようになるのではないかと思う。
最近のオリンピック騒動は、政府の側は情報を開示していないと多くの人々から思われていることが大きな原因ではないかと思う。
お役人というのはとても優秀であるが、ただ前例のない事態への対応だけはとても苦手とするのだそうである。(テリー伊藤「お笑い 大蔵省極秘情報 あすか新社 1995」)
今われわれが直面しているコロナ感染は、かつて誰も経験したことのない事態である。
誰かが何か判断を間違えたとしても少しも恥ずかしいことではない。
「われわれは、こういう根拠によって〇〇をしたが、結果として△△の重要性を軽視することになったために今回の事態を招いてしまった。眞に申し訳ない」というような反省が表明されない限りは、政府や関係者への信頼は失われていく一方ではないかと思う。
とはいっても、オリンピックをなんとしてでもやるということが既定路線になっていて、対策はそれに整合性をもつような理屈があとからつけられていくのが誰にも見えているのだから、今更言ってもしかたがないのだが・・。
テリー伊藤氏の「お笑い・・」では(当時の)大蔵省のお役人は日本を動かしているのは俺だ!という強い自負心を持ち、下々のものはただ俺たちについてくればいいのだ、と心底信じているようであった。
しかしいろいろな不祥事が重なって大蔵省は解体されて財務省になってしまった。
今の政府の対応を見ていると、とにかく頭が高い。
もう少し《謝る》というということ、情報を公開することを身につけたほうがいいのではないだろうかと思う。
しかし、一度謝ると、相手はどんどんつけあがってくると思っているとすれば、その方向はとれないのかもしれない。
そうこうしているうちに、かつて絶大な権勢を誇った大蔵省があっけなく解体されてしまったような事が、また繰り返えされるのかもしれない。
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【著者プロフィール】
著者:jmiyaza
人生最大の体験が学園紛争に遭遇したことという団塊の世代の一員。
2001年刊の野口悠紀雄氏の「ホームページにオフィスを作る」にそそのかされてブログのようなものを始め、以後、細々と続いて今日にいたる。内容はその時々に自分が何を考えていたかの備忘が中心。
Photo by :MIKI Yoshihito