令和元年のテロリズム
磯部涼『令和元年のテロリズム』という本を読んだ。
はて、「令和元年のテロリズム」はなんだろうか? あるいは、どれだったろうか?
川崎殺傷事件
取り上げられているのは、まず「川崎殺傷事件」。これについては、あまり記憶になかった。
朝、私立小学校のバス待ちの列に包丁を持った男が襲いかかり、児童一名、その児童とは別の児童の保護者一名の生命を奪った。
ひょっとすると、覚えている人はあまり多くないかもしれない。
なぜならば、犯人が事件直後に自殺しており、なおかつその犯人は実社会にもネットにもなんのつながりもなく長年引きこもっていたからだ。
捜査関係者が「本当に実在したのか」と言うくらい、なんの人生の痕跡も、犯行への意思も残されていなかった。
生まれ育ちからある程度はストーリーが構築できないではないが、直接的な動機については謎である。
元農林水産省事務次官長男殺害事件
とはいえ、この事件の影響があったと言われる事件が4日後に起こる。
「元農林水産省事務次官長男殺害事件」。
ネットをいくらか見ている人なら、すぐに思い浮かぶかもしれない。
ネットゲームにアクセス状態のまま殺害され、その後しばらくゲーム上で蘇生魔法をかけられつづけた「彼」の話だ。
この事件はメディアも大きく取り上げた。
犯人である元事務次官曰く、近所の小学校の運動会の音に対して、ひきこもりであった息子が「うるせえな、ぶっ殺すぞ」と言ったという。
そして、先の川崎殺傷事件のようなことが起こる前に息子を殺害したのである。
これについて、川崎殺傷事件の際にテレビなどで語られた「一人で死ねばいいのに」という意見がある意味で反映され、この元事務次官をかばう世論も出た。
果たして、殺された「彼」は、殺されても仕方ないような人生を歩んできたのだろうか。
殺されても仕方ないような人間だったのだろうか。
著者は「彼」の残したTwitterの書き込みなどを丹念に追う。
面識のあった人間に話を聞く。あるいは、犯人である老いた父親と「彼」とのTwitterのやりとりを。
そういえばおれも、事件当時にTwitterのログや、イラストを公開したホームページなどをずいぶん読んだ。それを思い出した。
京都アニメーション放火殺傷事件
三つ目に取り上げられているのは、「京都アニメーション放火殺傷事件」。
これは説明不要といっていいのかどうかわからないが、36人の死者を出した大事件である。
逆恨みというか、思い込みによって、アニメーションスタジオでガソリンに着火。
犯人も致命的な火傷を負うが、困難な手術を施され、命に別状がない程度に回復した。
転院の際に「人からこんなに優しくしてもらったことは今までになかった」と漏らしたという。
精神鑑定では異常と認められなかった。して、そんな犯人の人生とはどのようなものであったか?
それにしても、この三つの事件、令和改元からわずか三ヶ月足らずで起きたというのだから驚きだ。
東池袋自動車暴走死傷事件
最後に取り上げられているのは、「東池袋自動車暴走死傷事件」。時系列的には平成の終わりということになる。
87歳の老人が運転する自動車が暴走し、若い母親と小さな娘を轢き殺した。
しかし、老人は逮捕されなかった。
これは彼が通産省の研究機関で院長にもなり、さまざまな団体で役職を歴任し、大企業の副社長も務め、瑞宝重光章を受賞した「上級国民」だったからではないか、と言われた。
今でも「上級国民」といえばまずこの老人、裁判でも無罪を主張し続けるこの老人を思い浮かべる人が多いだろう。
ちなみに暴走事故が起きたのは平成31年、「上級国民」という言葉のきっかけになったオリンピックのロゴ問題が起きたのは平成27年だ。
テロってなんだっけ
……と、ここまで読んで、とくに最後の事件をもってして「テロリズム」と呼べるのだろうか? と思った人も少なくないだろう。
いや、そもそも、最初の通り魔事件からして、学説上の狭義のテロリズムからは外れていると著者も書く。
しかし、ひきこもりの問題……80/50問題も、立て続けに起きた高齢者ドライバーの問題も、社会がわかっていながら放置してきたことだと書く。
テロ。
なにを思い浮かべるだろうか。
まず、9.11のような、組織による大規模なテロを思い浮かべるかもしれない。
一度に大量の被害者を出す、爆弾テロ、自爆テロ……。
かなり時代をさかのぼれば、帝政ロシアの内務大臣のプレーヴェや、モスクワ総督のセルゲイ大公が社会革命党戦闘団に爆殺されたテロなどを思い浮かべる人もいるだろう(……というのは嘘で、おれがその実行者である「秘密警察のスパイ」(!)エヴノ・アゼフにたいへん興味があるだけだが。いや、興味深い人物なので気になったら検索してください)。
話が逸れた。我が国での最後の反体制的な大規模テロといえばオウム真理教事件になるだろうし、少し時代をさかのぼれば、たとえば日本赤軍や連合赤軍、東アジア反日武装戦線などの左派によるテロを思い浮かべる人もいるだろう。
さらに遡って、アナーキストの大杉栄一派残党とギロチン社による報復テロ、あるいは右からのテロである昭和維新、五・一五事件、二・二六事件もあった。
安田財閥の創始者を殺害した、朝日平吾のこと
と、昭和維新までさかのぼったところで、一人のテロリストの名前を出す。
朝日平吾である。
実のところ、おれは『令和元年のテロリズム』という書名を最初に見たとき、なぜか思い浮かんだのは朝日平吾のことであった。
朝日平吾のことを知っているだろうか。
そういうおれも、中島岳志『朝日平吾の鬱屈』という本を読んだだけにすぎない。
あ、『日本暗殺秘録』という、ちょっとすごい映画にも出てきたか。演じたのは菅原文太。
なにか、本のタイトルが似ていたのかと思ったが、ぜんぜん違う。
しかし、『令和元年のテロリズム』を読み終えて、おれの勘のようななにかはわりと合っていたな、と思ったのである。
朝日平吾は明治に生まれ、大正に死んだ右翼のテロリストである。
裕福な家に生まれるも継母などとの折り合い悪く実家を離れ、第一次世界大戦に従軍し、満州浪人的なものになるも、大陸にいられなくなり、日本に戻り、右翼の大物の……とかなんとかWikipediaでも読んでください。
で、貧民救済事業をしようと渋沢栄一から金を引っ張り出したりしてたけど、いろいろうまくいかず、最終的には安田財閥の創始者である安田善次郎を殺し、斬奸状を残して自らも命を絶った。
単なる、といってはなんだけれども、単なる思想犯では片付けられない。
朝日平吾は「いろいろうまくいかない」人生を送ってきた。
だからこそ「鬱屈」なのだ。
労働運動もうまくいかず、宗教に行こうにもいけず、社会事業も失敗した。
職も安定せず、人と衝突を繰り返した。
それが大きな格差を生んでいた当時の社会への恨みともなり、その対象が安田善次郎になった。
そこに、生きづらい自我というものがあった。
承認されない人間の自我と鬱屈、その暴発。
それは平成の「テロ」でもあった「秋葉原通り魔事件」の犯人にも似ている。
『朝日平吾の鬱屈』の著者である中島岳志はそう書いていた。
秋葉原事件とその後
平成二十年の「秋葉原通り魔事件」、あるいは平成十三年の「附属池田小事件」。
これらについて、「テロ」とみなす人は少なくないと思う。
とくに前者について、事件当初は非正規雇用で経済的に恵まれない人間による格差社会へのテロだという言説が多く見られたと思う。
裁判などを通じて、ネット掲示板をめぐる問題など、もっと犯人の個人的な問題だということが明らかになった(犯人が主張)けれども、未だ「負け組」による「勝ち組」へのテロである印象も残っているのではないだろうか。
先も書いたが、これは承認の問題だと中島岳志は書いた。
人間が社会にその居場所を感じられないという問題。
自らの価値を自分で認められないという鬱屈した感情……。
これは、『令和元年のテロリズム』にも通じるところがあるだろう。
川崎殺傷事件はちょっとわからないところがあるけれど、事務次官の長男(被害者なんだけど)、京アニ事件の犯人。
その鬱屈が社会に向く。そんな彼らを生み出した背景には、持って生まれた個人の性格や障害もあるが、生きてきた家庭環境もあり、その家庭を取り巻く社会というものもある。
社会と完全に切り離された、生まれついての純粋な怪物というものもいるにはいるだろうが、やはりフィクションじみているように思える。
とすれば、彼らが社会に牙を向くとき、それを「テロ」とみなしてもおかしくはないかもしれない。
とはいえ、「悪しき帝政を打倒する」とか「君側の奸を取り除く」とか、「教祖の導きにより不信者を制裁する」とか、明確な動機や対象は見えない。
『令和元年のテロリズム』の著者はこう書く。
「令和元年のテロリズムは、テロリストという中心がぼやけている」
そして、ぼやけた中心について、マスメディアもインターネットも、ああだこうだと物語を作り、レッテルを貼り、その反響ばかりが残る……。
「上級国民」ひとつをとっても、息子を殺した方は同情さえされ、暴走した方は家族まで苛烈に叩かれる。
果たして、ある「テロ」について、その犯人の内面を探るべきなのか、あるいは社会問題を掘り下げるべきなのか、それとも、あまりにも物語的にするべきではないのか。難しい問題だろう。
とかいってるおれは、なんと書かれるのか
……などと他人事のように書いているおれはどうなのか。いや、おれはまだテロを起こしていない。
しかし、いつか起こすかもしれない。おれも決して恵まれた人生を送っていない。いろいろな鬱屈も抱えている。
われは知る、テロリストの
かなしき心を―
と、『ココアのひと匙』の石川啄木でもないけれど。
というか、啄木の書く「真面目にして熱心なる人」もなければ、「はてしなき議論」もないのが現代日本のテロリズムだ。
そして、そういう令和のテロリストになりかねない自分というものを、おれはつねに監視している。
今も貧しいおれが、さらに貧しかったころ、おれの心には平成のテロリストの言葉が、乾いた砂に水が染み込むように届いてしまった。
かなしき心ではない、ろくでもない社会への憎悪、単純すぎる悪意だ。
だが、そんな気持ちに人間がなるということを、おれはそんな気持ちになった人間として理解できる。
今のところは、落ち着いている。感情の波のようなものに病名が与えられ、投薬もうまくいっている。
かつてに比べたら、少しだけ生活も落ち着いた。
今、おれのなかで「テロリスト濃度」は低い。
が、明日どうなるか、一ヶ月後どうなるか、一年後どうなるかわからない。
なにせ、今はコロナウイルスという、ひょっとしたら人間のテロリズムよりも話の通じない、恐ろしいものが社会を壊している。
壊れた社会で経済活動は滞る。なにも飲食店に限った話ではない。ミュージシャンに限った話ではない。
そんななかで、吹けば飛ぶような零細企業は、文字通り吹き飛んでなんの不思議もない。
そして、精神を患った手帳持ちで、なおかつ労働者としてほぼ無能にしてやる気もない近い自分には、行き場がなくなる。
頼れる親族もない。なにせ、借金の問題で一家離散しているのだ。
と、こうなるとおれがなにかをした場合、マスコミやネットの人たちにとって物語を紡ぎやすい人間だな、と思えてくる。
「祖父は京大卒の化学博士、父は会社経営の比較的裕福な家に生まれるが、小学生のころから不登校気味であった。中高一貫校の私学に進むが、一人の友人も残せずに卒業。慶應大学に進学するも一年で中退し、家にひきこもるようになる。ほどなくして、親の借金問題で一家離散、無賃労働者から零細企業勤務になるも、生活は貧しく、次第に社会に対して恨みを持つようになる。現実での友好関係はほとんどなく、ネット上では主にブログで社会に対する恨みや、犯罪者への共感、反出生主義などの極端な考え方を書き連ね、社会的孤立を深めていった。一方で双極性障害を患い、生活は博打と多量飲酒によりさらに荒み、ついにはコロナ禍によって職を失うと……」
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【著者プロフィール】
著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
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Photo by Soroush golpoor