シャーデンフロイデ

「シャーデンフロイデ」。ネットで知った言葉だ。いつ知ったかは忘れた。

いろいろな言語それぞれに特有の表現として、ほかの言語に一言で訳せない言葉がある。

そういう一群の言葉のなかで取り上げられることがあるのが「シャーデンフロイデ」だ。ドイツ語だ。Schadenfreudeと書くらしい。ともかく、シャーデンフロイデという言葉とおおよその意味を知っている人は多いと思う。

 

が、おれはちょっと詳しく知りたいと思った。思って『シャーデンフロイデ』のタイトルがついた翻訳ものの単行本が目に入った。

「うむ、読むか……」と思った。のだけれど、ちょっと離れたところに新書で『シャーデンフロイデ』というタイトルの本も見つけた。おれは迷わず新書を手に取った。だって、新書なら簡単に読めるじゃないの。

 

中野信子『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』

その本が、中野信子著『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』だった。

中野信子さんのことはよく知らない。前のシーズンまでTOKYO FMのラジオに出ていたことは知っている。

 

とりあえず、シャーデンフロイデを知らない人もいるかもしれないので、この本に書いてあるシャーデンフロイデの端的な説明を引用しよう。

「シャーデンフロイデ」は、誰かが失敗した時に、思わず湧き起こってしまう喜びの感情のことです。

なるほど、これは日本語で一語にはならない……。と、思いきや、本書にも出てくるのだが、今や「メシウマ」というたった四文字で翻訳できる。

言葉は変化するし、増えもする。そういうものだ。

 

まあともかく、それがシャーデンフロイデというものだ。

人間の持ついろいろな感情のなかでも、あまり「いい」感情とは言えないように思える。とはいえ、これはべつにこういう単語を作ったドイツ人が特別なわけでもなく、人類普遍の感情、ありがちな感情ではないかとも思う。

 

もちろん、おれにもそういう感情はある。成功者、有名人の失敗、破滅、スキャンダル。

「今日も他人の不幸で飯がうまい」。……とはいえ、おれ自身あまり「いい」感情だとは思えないので、そういった話題についてネット上であまり触れることはしないようにしている。

触れるにしても、あまり「メシウマ」な感じは出さないようにしている。なぜって、やっぱりそんなの表に出すのは、あんまりいい人には見えないでしょう。え、出てるって。じゃあ、知らねえや。

 

ちなみにこの本、出てくる実験や論文の出典一覧がない。あってもおれには出典の論文を読む力はないのだけれど。

そして、セロトニントランスポーターで日本人は特殊だとか、ミルグラム実験だとか、スタンフォード監獄実験だとか、サードウェーブ実験だとか、二十四種類のジャムと六種類のジャムを並べたときに人は六種類のジャムから多く買う実験だとか、そんな通俗的というか、よく知られた話がたくさん出てくる。

 

疑義を呈されている話もあるはずだ。そのあたり、まあともかく出てくる。

そして、先に書いたように出典もあまり書かれていない。

「脳科学ブーム」の中で書かれた読み物、といっていいかもしれない。「シャーデンフロイデ」の話から逸れてないか、と思わないでもない。

 

……などと、えらそうなことを言える身分ではない。が、得るところもあった。そのあたりについて書いていきたい。

 

人間性ってなんだろう

まえがきの冒頭にこう書いてあった。

私たちが「人間性」と呼んでいるものの正体は、一体何なのだろう。

おお、何なのだろう。

……たとえば、仲間や家族を助けることや、正義を行うこと、倫理に則して行動すること、そして誰かを愛することなどが、この言葉が指し示すものの具体的な姿でしょう。
良いもののように思われます。多分、それは素敵なものでしょう。
多くの人はこの「人間性」なるものを、無条件に良いもの、人間だけが持つ望ましい特徴、と捉えているようです。
でも、本当に”良い”ものなのでしょうか。

なるほど、たしかにそうだ。「人間性」という言葉(日本語)には、無条件で「良いもの」というバイアスがかかっているように思える。

「お笑いウルトラクイズ」(R.I.P.上島竜兵)の「人間性クイズ」などは、その人の真の人間性を暴き出すという意味で、あまりバイアスがかかっていなかったように思うが(どうでもいい古い話です)、だいたい「人間性」は良い意味で使われる。

 

あるいは、今どき、AIなどに対比して「人間性」が使われることもあるだろう。

人間的、人間味。この人間というものが根源的に持っているかもしれないなにかに対する信頼、信用。そういうものがある。

 

が、あれだ、これこそ、やばいんだ。この本は、そういうことを言いたいんだと思う。それだけ、といっていいかもしれない。

そういうことを言いたいがために、「シャーデンフロイデ」を一例として持ち出した、といっていいかもしれない。

 

そうだ、おれが先に「人類普遍」とか書いたように、あまり良くない感じの「シャーデンフロイデ」も、人間性に含まれる一部なんじゃあないか。

とすると、人間性賛美というものにも疑問符がつく。人間いうもの、そんなに現在の正義、倫理、価値観にふさわしくなるようはるか昔から進化してきたのだろうか。

 

「進化心理学」という言葉こそ本書では使われていないが、人間心理というもの、そもそもそんなにほめられたもんでもないかもな、というところがある。おれはそのあたりには同意する。そう考える。うん、たぶんそうだ。

 

シャーデンフロイデとオキシトシン

で、本書では、シャーデンフロイデと関係ある物質として、いきなりオキシトシンが出てくる。

「耳慣れない言葉」と説明されているが、本書が出てから数年、これもわりと知られる言葉になっているのではないだろうか。

 

愛情ホルモン、幸せホルモン。なんか焼肉屋でホルモン食ってビール飲んでで幸せみたいな字面でもあるが、まあ、そういうやつだ。

自閉症に効くとか効かないとかやっぱり効かないとかいう話もあるやつだ。

「出産や授乳」に関係があり、男性にも愛と絆の感情に影響するやつだ。だいたい良いホルモンとされているやつだ。

 

え、それがシャーデンフロイデに関係あるの? というのが第一感だった。意外な単語が出てきたな、と思った。

しかしごく最近、オキシトシンがこれら(引用者注:オキシトシンの愛と絆のナイスな働き)の効果と同時に、妬み感情も強めてしまう働きを持つことがわかってきたのです。

うん、なんかもう、賢明な人ならばこの話の流れが想像できるんじゃあないでしょうか。

この章の冒頭で提示した矛盾は、実は「人と人とのつながりを強めるのが、オキシトシンの本質的な働きである」と考えると説明がつくのです。
もう少し専門的な表現を使うと「愛着を形成する」という言い方をします。誰かとの間に情緒的な特別な関係ができるとき、脳ではオキシトシンがその回路を形作るのに一役買っています。裏を返せば、人と人とのつながりが切れてしまいそうになるとき、オキシトシンはそれを阻止しようとする行動を促進するのです。
「私から離れないで」
「私たちの共同体を壊さないで」
「私たちの絆を断ち切ろうとすることは、許さない」

「愛情の形成」という言葉になんらかのやばさを感じる人と、そうでない人がいるだろう。

おれはべつに毒親を持った実体験などないのだけれど、なにかあまり良い印象はない。まあ、そういう話だ。

 

これ、オキシトシンが作用しているという科学的な事実がないとしても(本書を読んでもいまいちどういう経緯でそう言っているのかわからなかった)、人間心理というものの、わりとわかりやすい作用のように思える。

 

「母親」の強さとこわさ

オキシトシンかそうでないかはともかくとして、「母親」というものが、やけに攻撃的だなと思うことがある。

ネット上で見かける、ある種の「母親」たちだ。過度の自然志向、反ワクチンだったり、なんらかの陰謀論にはまっていたりして……、やけに攻撃的だ。

 

無論、おれはそういう母親が多いとか、母親になるとはそういうことだ、ともいわない。多数派であるともいわない。むしろ、ノイジー・マイノリティといっていいだろう。

だが、ノイジーになるほど目立つ、攻撃的な「母親」を見ることがある。ごく少数かもしれないが、そういう人もいる。

 

オキシトシンかなにかのせいで、愛情と絆が強まっているのに?

いや、そうだからこそそうなってしまった。我が子を守るための愛の感情が、極度なところまで行ってしまった。そういうケースもあるんじゃないだろうか。

 

むろん、人間心理、いろいろなもので構成されている。精神病理的なものもあるかもしれない。

だが、愛がゆえに、ということもあるのではないか。それゆえに、自分たちを害する他者への攻撃性が増してしまうこともあるのではないか。

そういうことがあっても、おかしくはないように思える。おれも「思える」ばっかり言っているので、まあ根拠はないのだけれど。

 

国民みんなシャーデンフロイデ

一人の母親が、攻撃的になってしまうということはありえるが、それほど危険なことではない。

いや、その家族にとっては十分危険なことだけれど、世の中に及ぼす影響というのはあまり大きくないかもしれない。

 

が、これが男も女も老いも若きともなったらどうだろう。でも、それはこの人間社会の集団というものを支えているとしたら。

利他的懲罰とは、集団の中に非協力的な行動をとる誰かがいた場合に、その人に対して自己犠牲を払って他の誰かが罰を与える行動のことです。
やっかいなことに、この行動は社会の規範やルールを維持するために必須であり、裏切り行動を抑制するのに最も効果的な方法としてヒトが採用し、洗練させてきた仕組みです。つまり、平和で安定した社会は、利他的懲罰によって支えられているのです。

これが内に向いては「不謹慎狩り」のようなものになり、外に向いては排他的なヘイト言動につながる。

排外的な言動につながる。これもオキシトシンの影響があるというが、まあわからんけどそういうものだろう。

 

これにより、身内とみなされるものには愛と絆、しかし、そうでないとみなされたものには過剰な攻撃がなされる。

愛憎裏表。これは難しい話だ。

 

脳科学とわれわれのあり方

というわけで、なんだろうか、オキシトシンが影響しているのかどうかわからないが、ときには人間的で、愛と絆に関係する感情というものが、行き過ぎてかどうか、排他的、攻撃的になってしまうこともある。

 

それもまた自然選択の結果、われわれが得てきた心理というものであるならば、なおさらやっかいだ。

というか、人間心理も進化のなかにあってそうなってきたものなのだから、当たり前にやっかいだ。

 

ここ……百年、二百年? の我々の進歩というものは、それ以前に比べてかなり急速で急激だったと言えると思う。

一方で、その間に心理の進化は追いついていない。

もちろん、身体も追いついていない。そのギャップというものだ。

 

というわけで、長い長い年月を経て形成されてきたわれわれの脳の働きというものと、技術の進歩も密接に関係する、われわれの現代の価値観というものにズレが生じてしまっている。

ゆえに争いは絶えないし、ときには病むこともある。

 

それを解決するのはなんなのか。よくわからない。

とはいえ、脳の中のホルモンの働きが実証されたのであれば、それを無視するわけにはいかないだろう。

「人間の脳はこのようなとき、そういう行動を選択する性質がある」ということを前提として話をしなくてはならない。

それ抜きに正義や倫理を語っても、絵空事なのではないか。まあ、脳の働きの解明というものも、絵空事ではないのかどうかという話もあるだろうが。

 

いずれにせよ、そのあたりを考えていかなければならない。

人間という生物の進化とそこで形成されてきた意識と心理。

それを前提に、考える。だが、本書ではこんなことも書かれていた。

私たちの脳はいつでも、考えることをやめたいと思っています。そのほうが楽だからです。
私たち人間は、さまざまなシーンで意思決定していかなければなりません。なかには、長期的なことや重大な結果につながることもあり、少しでも合理的な判断ができるように脳を使って考えなくてはなりません。
しかし、本来、脳はそれを好みません。できれば楽をしたいのです。

えー。けど、そうだよな。まあそのあたりも考慮して、ちょっと力を抜いて、楽にやっていこうぜ。なっ。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by Susan Wilkinson