「コミュニケーションが苦手」という人にも色んなタイプがあると思うんですが、しんざきは「エレベーターの中でそれ程親しくない知人と二人っきりになるのがとても苦手」なタイプのコミュ障です。

皆さんあの時間、平気ですか?何話せばいいんでしょうね、ああいう中途半端な待ち時間。未だに分かりません。

 

この記事で書きたいことは、大体以下のようなことです。

 

・人間は、基本的には「自分に興味・関心をもってくれる人」に好感を抱きやすいようです

・だから、円滑な人間関係を築く為には、「私はあなたに関心を持っています」ということをきちんと表明することが大事です

・ただし関心量にはバランスが大事で、状況によって、相手によって、ちょうどいい関心の量は変わってきます

・親子関係では特に、「関心量の調節」って難しいですよね

・子どもが大きくなるにつれて、「受け身の関心」「子どもが関心をもっていることに対しての関心」に軸足を移すような感じで調整してみています

・ちょうどいい親子の距離感が築けると素敵ですよね

 

以上です。よろしくお願いします。

さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。

 

私が昔いた職場に、もの凄くコミュ力が高い人がいました。

やたら顔が広くって、色んな人と話を盛り上げることが出来て、しかも相手を選びませんでした。職場でちょっと浮きがちな人でも、あまり周囲と会話をするのが得意でなさそうな人でも、その人と会話するとちゃんと話に参加出来るのです。

 

まさに冒頭書いた、「エレベーターでの会話」で彼と話した時に気付いたことなんですが、彼、「自分が相手に興味を持っている」と伝えることと、「そのバランスの調整」がもの凄く上手いんですよね。

天気の話でも、仕事の話でも何でも、まず「相手の考え」に軸を置いた反応をして、「自分はあなたに興味がある」と伝える。

 

一方、相手が積極的には自己開示したくなさそうな場合、相手の話に深くは立ち入らず、むしろ相手が聞きたそうな話に応じて、相手の反応を確認する。それでも距離を置きたそうな場合、話をさらっと流す。

どんどん自己開示したい人と、あまり突っ込んで欲しくない人、それぞれに応じた距離感の管理ができているわけです。

 

この辺の距離感の調整がすごいなーと。これ、本人的には考えてやっているわけではなく素なようで、

「根っから他人に興味があり」

「かつ、興味をもって欲しくない場合それを感知できる」

という人なんだなーと感心したんですが。

 

コミュニケーションって、基本的には「興味のやり取り」です。「私はあなたに/あなたの言うことに興味があるよ」という意思表示の交換が、コミュニケーションの根幹です。

 

私、いわゆる「コミュニケーション術」的なものに対してちょっと不信感を抱いていた時期があるんですが、その原因のひとつがこれなんですよね。

「相手に対する興味」を置いてけぼりにして、話し方とか、伝え方とか、小手先の技ばっかり磨こうとしても仕方ないと思うんですよ。

 

以前も書いたんですが、「相手に対する興味」を欠いたまま相手とコミュニケーションをとろうとするのって、お湯がない状態でコーヒーをいれようとするような不毛な行為ですよね。

まず相手自身に興味を持つところからなんだろうなあと、そう思います。

 

***

 

ところで、育児をする上でも、この「関心量の調節」って滅茶苦茶大事だし、難しいよなあ、と思っています。

以前から何度か書いていますが、しんざき家には子どもが3人います。長男が高校三年で、長女と次女は中学生の双子です。

 

子どもって小さい頃は、「親からの視線」「親からの関心」をもの凄く欲しがります。

何かというと親の気を引こうとする。何かする度に「パパ、見て見てー!」って寄ってきたり、自分が作ったものを見せてくれるの、滅茶苦茶可愛いですよね。

まあ、ダンゴムシとかセミの抜け殻とか拾ってこられるとちょっと難儀ですけど。

 

つまり、小さい子は非常に大量の「親からの関心」を必要としている。

もちろん親の保護を受けないと生きていけないから当然なんですが、まさに「親の関心を食べて成長する」って言っていいくらい、「私を見て!」って気持ちでいっぱいなわけです。

 

もちろんこの時期、子ども自身も親に対して大きな関心をもっています。

パパ、ママのやること、なんでも真似したがったり、やたら興味を持ったりしますよね。

子ども自身にとっても、自分の世界に常にいる他者って親だけですから、関心を持つ対象も集中するんです。

 

だから、子どもが小さい頃は、親が子どもに関心を持てば持つほどバランスが良くなるわけです。

 

ただ、成長するに従って、子どもの「関心の必要量」は徐々に下がっていきます。

もちろん精神的な成長もありますし、子ども自身の世界も広がって、関心を持つ対象も広がっていきます。

友達のこととか、学校のこととか、ゲームのこととか、遊びのこととか、色んなものに対して関心を抱くようになります。うちの場合、小学校中学年くらいから、急に世界が広がり始めたように見えました。

 

誰しも記憶にあることだと思うんですが、子どもってある年代になると、親からの視線、親からの関心が、急に重荷になったり、鬱陶しくなったりしていきますよね。

そういう状況で、子どもが小さい頃と同じ感覚の関心を親が注ぐと、ともすると過干渉になったり、子どもの独立心に負の影響を及ぼす気がするんですよ。

 

この辺のバランスって非常に繊細で、環境によっても変わるし、子どもによっても変わるんですよね。

もちろん関心をもち過ぎるのも居心地悪そうなんですが、子どもが成長したからといって、関心を持たなすぎるのもまたよろしくない。

 

しんざき家でも、長男長女次女の「関心量のバランス」はそれぞれでして、長女はまだまだ「親からの関心」をたくさん必要としている様子である一方、長男は割と早くから親と一定の距離を保とうとしていたように思えます。

次女はその間くらいで、関心をもって欲しそうな時も、持って欲しくなさそうな時もあります。

 

育児もまだ道半ばで、しかも3人分の事例しかない状況で「正解」なんて全く分からないんですが、しんざき家では、

「能動的な関心から、受け身の関心にシフトする」

「関心の対象を、徐々に子ども自身から「子どもが興味をもっていること」にシフトする」

という方向で調節しようとしています。

 

つまり、子どもがやることに関心を持ちつつも、こちらから積極的に「私はあなたに関心がある」ということを表明はしない。

子どもが何か言い出したら「自分もそれに興味がある」と開示はするけど、こっちからはあんまり「何してるの?」とは聞かない。

 

一方で、「子どもが関心を持っていること」については、同じ目線で会話が出来るといいなあ、と思っており、ある程度ちゃんと追いかけるようにしています。

例えば、うちの長女次女はどちらも漫画や小説が大好きなのですが、ちょくちょく「これ面白いよ!」と本をオススメしてくれたりするので、それは喜んで読むし、「面白かった」「あんまり合わなかった」とちゃんと伝える。

 

念のためですが、飽くまで「方向」なので、厳密にこう出来ているわけでもありませんし、杓子定規にやってるわけでもありません。

育児ってケース別の試行錯誤でしかないので、正解なんて一生分からないのかも知れません。

 

とはいえ、今のところは、好きな漫画やらアニメやら小説やらについて楽しく話せているし、普段は普段でそんなに居心地悪くはなさそうなので、まあ当面はこのまま続けてみようかな、と。

 

将来的に、ちょうどいい親子間の距離が維持できるといいなあと考えていると、そんな話だったわけです。

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

Photo:K Munggaran