自分でいうのは気恥ずかしいが、ライターは「クリエイティブな仕事」である。

まぁ単純作業がどんどん自動化されているこのご時世、「逆にクリエイティブじゃない仕事ってなに?」と言われたら言葉に詰まるのだが。

 

さてさて、クリエイティブな人というと、どんなイメージだろうか。

 

ぱっと思いつくのは、まわりが驚くような発想ができる、気ままな自由人だ。

おしゃれで好奇心旺盛、上下関係が嫌いで新しいものをつねに追いかけるような……。

 

自分がそうかと言われれば当てはまらない気もするが、まぁ「クリエイター」の典型的なイメージといったらこれだろう。

 

でもわたしは、ちょっと誤解していたのかもしれない。

クリエイターに必要なのは、「自由」ではなくむしろ「制約」なのだから。

 

制約のなかで生まれる創意工夫こそが「クリエイティブ」

『仕事が早い人はこれしかやらない』という本で、クリエイティブについてこう書かれていた。

「何でもいいからアイディアを出してくれ」
会議で、そんな風に議長から言われても、どんなアイディアを出せばいいかわかりませんよね。(……)

では、クリエイティブな仕事が速い人は、どうしているのか?
漠然としたテーマしか与えられなくても「よし、この部分について提案するか」と、自分で勝手に、テーマに制限を加えて考えやすくしているのです。

もしくは、ピント外れの提案にならないように「どのあたりについて考えてほしいか、もう少し詳しく聞かせていただけませんか?」と、テーマを絞るための質問をしているのです。

これには目からウロコというか、「たしかにそうだ」と納得した。

「なんでもいいから自由にやって」と言われると、途方に暮れてしまう。

 

そもそも、まったくのゼロからなにかを生み出すことなんて、なかなかない。というか、ありえない。

世の中に、制約のないものなんてないのだから。

 

予算、期間、技術、権利、権限。

世間体や倫理観によってできないことなんて山ほどある。

 

条件つきの状況のなかでなにができるのか。

制約の中の創意工夫こそが、「クリエイティブ」なのだと思う(creativeは形容詞だけど、記事の都合上、名詞のように扱うことをご了承いただきたい)。

 

たとえばキャッチコピーは、写真のスペースや文字数制限などの制約が多い。だからこそ、強烈な一文が生まれる。

真っ白な紙に好きなだけ文章を書いていいのであれば、心に残るキャッチコピーなんて生まれないだろう。

 

毎年年末に多くの人を熱狂させるM-1グランプリだって、4分という制限時間のなかでいかにおもしろいネタを披露するかが大事なのであって、時間無制限であればあそこまで盛り上がらないと思う。

 

制約があるからこそ工夫する。

だから、おもしろいものが生まれる。

 

そう考えると、クリエイティブには、「自由」よりむしろ「制約」のほうが大事なのだ。

 

コンプラが厳しくてもおもしろい企画はつくれる

8月24日に放送された、『水曜日のダウンタウン』の罰ゲーム講習の回を見た方はいらっしゃるだろうか。

テーマは、「昨今の状況ならどんなにおかしな講習でも受け入れてしまうのか」の検証。

 

コンプラが厳しくなっているので、今後罰ゲームを受けるためには「特別な講習」を受けておかなければならない。

そう言われたパンサー尾形さん、ジャングルポケットおたけさん、ガンバレルーヤよしこさんが、罰ゲーム講習を受けに行く……という内容だ。

 

講習には吉本の副社長まで顔を出し、3名は「おかしな講習」を疑うことなく受講。

謎のVTRを見た後、あつあつおでんや電気椅子、舌にワサビなどのよくある罰ゲームの耐性チェックを受ける。

 

ドッキリや罰ゲームの標的になることが多い尾形さんは、あつあつおでんも電気椅子も舌にワサビも根性で乗り越え、「自分は罰ゲームを受けても問題がない(だから今後もその仕事を受けたい)」とアピール。

 

最近のコンプラ事情を皮肉る攻めたこの企画は話題を呼び、とくに尾形さんのプロ根性に感動した人も多かったようだ。

 

たとえ現在のような制約が多い状況でも、工夫次第で、いくらでもおもしろいことができる。

それがきっと、クリエイティブの本質なのだと思う。

「自由にやれる状況じゃないとおもしろいことができません」は、まったくクリエイティブじゃないのだ。

 

まわりが受け入れないアイディアは「非常識」

では、その「制約」を守らないアイディアはなんと呼ばれるのか。

それは、「非常識」である。

皆さんはクリエイティブな人、あるいは発想豊かな人といってどういう人を思い浮かべるでしょうか。一般的なイメージとしては、カジュアルな服装でルールが嫌い、言葉遣いもぞんざいで……といった、「常識を超越している人」つまり、ある意味「非常識な人」を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかしながら、単に常識を超越しているだけでは真の「クリエイティブな」アイデアというのは生み出せないのではないかと思います。(……)
どんなに「斬新な」アイデアでもそれがヒットするためには、そのアイデアが一般人にも十分ついていかれる、さらに言えば多数の人に受け入れられるものであることが必要だからです。単に斬新な「もの珍しい」ごく一部の人にしか受け入れられないアイデアでは世の中には受け入れられることはないでしょう。
出典:『「Why型思考」が仕事を変える』

まさに、そのとおりだ。

突飛なことをするだけなら、だれにでもできる。人がやらないこと、やってはいけないことをやればいいのだから。

でもそれじゃ、ただの非常識な人だ。

 

たとえば、同じく『水曜日のダウンタウン』で、芸人を突然連れ去るというトンデモナイ企画があった。

連れ去り現場を目撃した無関係の通行人が拉致だと思って通報し、番組側は謝罪。そりゃそうだ。

 

「突然だれかを車に乗せて連れ去る」のは、たしかに斬新ではある。

でもそれは一般常識という制約から大きく逸脱しており、これを「クリエイティブなアイディア」と褒める人はいないだろう。

 

結局のところ、多くの人から受け入れられなければ、「クリエイター」としては評価されないのだ。

 

クリエイティブと非常識の境界線

そうそう、2020年、タカラトミーの公式twitterが、「#個人情報を勝手に暴露します」というタグに乗っかり、「とある筋から入手した、某小学5年生の女の子の個人情報を暴露しちゃいますね…!」というコメントとともに、リカちゃんのプロフィールを載せ、炎上したことがあった。

 

客層とリカちゃん人形の対象年齢を考えればあまりにも悪ノリが過ぎ、そりゃまぁ炎上するだろうな、という案件である。

その一方で、「現実を生きるリカちゃんねる」というYouTubeチャンネルは、リカちゃん遊びが好きだった20代後半の女性が現在の自分をリカちゃんに投影するコンセプトで、大人気だ。登録者数は61万人。

 

あぐらをかいてカップラーメンを食べたり、マスクをつけるから眉毛だけ描いてあとはノーメイクだったり……。

「OLあるある」をリカちゃんが再現し、小さいころリカちゃんが好きだった現在アラサー世代にバカ受けしている。

ちなみにわたしの一押しは、トイレ休憩中のOLリカちゃん。靴を脱いでるのがリアルで良い。

同じ「リカちゃん」でも、まわりから受け入れられないアイディアは非常識だと批判され、多くの人が共感したりおもしろがったりするアイディアは、クリエイティブとして受け入れられる。

 

その境目は、一般常識を含めた、さまざまな「制約」を守っているかどうかで決まるのだと思う。

 

クリエイターに必要なのは、制約を守る一般常識といたずら心

「クリエイティブ」を掲げて非常識な言動で他人に不愉快な思いをさせるのは、自由な人ではなく迷惑な人。

それをはき違えた自称「クリエイター」は、大声で非常識な主張をまき散らし、それを批判する人を「古い」と一蹴して耳を貸さず、自分のポリシーを押し付けようとする。

 

でもそういう人は結局、「迷惑系YouTuber」や「ツイッター芸人」「信者ビジネス」などと揶揄され、一般的には「クリエイター」と認められない。

 

まぁ一部、カリスマ的才能ですべて許されるような人もいるけども。

でもそういう人にはたいてい、手綱を握っている有能なブレーンがついているんだよな。

 

クリエイターを超越して「革命者」になればまた別かもしれないけど、そんなのごくごく一握りの話だし。

とはいえわたしは、常識を打ち破る斬新な取り組みすべてを否定するわけではない。

 

ただそういう「規格外」のアイディアを実現するときでも、要所要所ではきっちり制約を守っていたり、事前に根回ししていたりするのがふつうだ。

 

ほら、伝統芸能で新しい試みをしたときも、インタビューでだいたい「反対の声もあったが協議を重ねて……」なんてくだりがあるじゃないですか。

「新しいことをやるにあたってコストがかかるので、そのぶん別の場所でコストカットして理解してもらいました」とか。

 

そうやってうまいこと制約と折り合いをつけるから「新しいもの」が生まれるのであって、そういった努力をせずにただやりたい放題していては、まわりがついてこない。

型を知ったうえで破るのは「型破り」だけど、型を知らないのはただの「形無し」という言葉があるとおりだ。

 

クリエイターは、多くの人から受け入れてもらえるよう、だれよりも「常識的」でなくてはならない。

かといって、制約をただ守っただけのアイディアではつまらない。

 

一般的な制約を把握したうえで、それらの裏をかいてやろう、逆手にとってやろう、とニヤつくいたずら心をもっているような人こそ、クリエイターに向いているのだと思う。

 

というわけで、まわりが思いつかないようなクリエイティブなアイディアを披露したいのであれば、「制約を楽しむ」という、「自由」とは真逆の視点が必要なのかもしれない。

 

 

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【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

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