わたしは記事のネタ探しのためにビジネス書や自己啓発書をよく読むのだが、そのなかで、時折鼻につく自慢話を見かける。
「経営陣がさじを投げるような長年の課題を短期間で解決に導いた」
「若いころはありとあらゆる賞を獲りまくっていた」
「多くの社長が自分を頼って相談に来る」
「現在××で有名なAさんは僕の指導を受けて成長した」
「この企画は続けていく予定だったが、売れすぎて現場が混乱したため終了になった」
「他にも優れた企画はあったが、上司はずっと僕の企画を推していた」
などなど。
晒すつもりはないので引用はしないが、これらの記述は、実際にわたしが最近書籍のなかで見かけたものである。
本だからまだ流し読みできるけど、居酒屋でこんなことを言われたら、確実に「うざいな」と思いそうだ。
たぶん本人たちは、「実績アピール」「自己紹介」だと考えているのだろう。でもそれは、一歩間違えるとただの自慢話でしかないわけで。
というわけで今回は、説得力のある実績紹介といけ好かない自慢話のちがいについて考えていきたい。
仕事できるアピールは実績?自慢話?
「この人の主張には聞く価値がある」と思わせるためには、どれだけ自分がすごいのかをアピールするのが手っ取り早い。
つまり、実績の紹介だ。
ビジネス書や自己啓発書はたいてい、「グーグルでマネージャーとして働いていた」「20年間トヨタの人事を担当した」「電通で多くの有名CMを手がけた」などの自己紹介からはじまる。
そういわれれば読者は、「この人は仕事ができて、参考になるノウハウを教えてくれるんだろうな」と思う。実績が伴うことで、筆者の主張に説得力が生まれるのだ。
一度も働いたことがない人がマネージメントを説いてもだれも耳を貸さないし、仕事ができず怒られてばっかりな人の時短ノウハウなんて、だれも興味がないから。
でもよくよく考えると、自分がいかにすごいのか、仕事ができるのかをアピールするということは、ある意味自慢でもある。
そしてたいていの人は、自慢話は嫌いだ。
読者に「こいつムカつくな」と思われてしまったら、いかに有益な主張をしても、相手には届かない。
つまり「説得力のために実績を紹介する必要はあるが、それがいけ好かない自慢話になってはいけない」のだ。
では、自慢話にならない実績紹介のためには、どうするべきなのだろうか。
「他人下げ」と「自慢してない風自慢」は反感を買う
最近読んだ本のなかで「うわぁいけ好かねぇ~」と思った文章を並べてみると、大きく2つの特徴があることがわかった。
まず、「他人下げ・自分上げ」。
他人を下げて自分を上げる表現を使うことだ。
冒頭の例でいえば、
「経営陣がさじを投げるような長年の課題を短期間で解決に導いた」
「多くの社長が自分を頼って相談に来る」
「現在××で有名なAさんは僕の指導を受けて成長した」
らへんが当たるだろう。
他の人にはできなかったが、自分はできた。その人より自分のほうが優秀だから頼られた。自分が教えたから成長した。
こんな感じで、他人に感謝せず謙虚さのカケラもない人がする実績アピールは、高確率でただの自慢話になる。
そもそも、たいていの仕事は多くの人の協力で成り立っているのだ。
細かくスケジュール管理してくれる人や地味な作業を文句を言わずにやってくれる人、ミスをさりげなくフォローしてくれる人……。
そういった人たちの支えがあってこそなのに、すべてが自分の手柄かのようにいうのは、思い上がりというものである。
もうひとつのイラッとポイントは、「自慢してない風自慢」だ。
冒頭の例でいえば、
「この企画は続けていく予定だったが、売れすぎて現場が混乱したため終了になった」
「他にも優れた企画はあったが、上司はずっと僕の企画を推していた」
など。
わたしの受け取り方の問題もあるかもしれないが、「自分としてはすごいと思ってないんですけどなんかすごいらしいンすよ~」感があっていけ好かない。
自慢してない風でも、結局「自分のことをすごいと思ってる感」がにじみ出ているから。
他人を下げず、感謝を全面に押し出していけ
さてさて、「他人下げ自分上げ」と「自慢してない風自慢」がいけ好かないのであれば、その逆をすれば、「自慢っぽくない実績紹介」になるんじゃないだろうか。
「他人下げ自分上げ」にならないようにしたいのなら、感謝を込めて謙虚に伝えればいい。
「経営陣がさじを投げるような長年の課題を短期間で解決に導いた」
という表現だって、感謝と謙虚さを意識して、
「長年経営者が苦しんで、ついにはさじを投げるような課題だったが、思い切った方法を提案して受け入れてもらい、短時間で解決することができた」
と書けば、だいぶ印象は変わる。
そのうえで、「まだ若かった自分の改革案を受け入れてくれた経営者たちのおかげで実現し、その実績がキャリアアップにつながって感謝している」と加えれば、ものすごく良い人っぽくみえる。
「自分がこうした」ではなく、「他人からこうしてもらった」と書くだけで、自慢っぽさはかなり減るのだ。
内心ではどう思っていようが勝手だが、悪いことは言わないから、まわりの人を立てておいたほうがいい。それだけで角が立たないから。
ちなみにわたしは、かわいがってくださった編集者の方、長く応援してくださる読者の方ありきでやってこれているので、心の底から感謝している(ちゃっかりアピール)。
素直に喜び、人間らしい挫折・失敗エピソードを追加すべし
そして、「自慢してない風自慢」にならないように、おおげさなくらい「素直な気持ち」を加えることも大事だ。
わたしの経験上、素直に喜ぶ人に対して、素直に祝福してくれる人は多い。
「自分は花形部署のエースで、若いころはありとあらゆる賞を獲りまくっていた」
というよりは、
「エースとして期待され、その気持ちに応えられるように努力し、多くの賞を獲ることができた。成長している実感があってうれしかったし、トロフィーはいまでもリビングに飾っている。青春の1ページだ」
という表現のほうが、断然印象がいい。
前者の表現では「はいはい、すごいですねー」となるが、後者だと「はぇー、すごいなぁ。がんばったんだなぁ」と受け取ってもらいやすくなる。
そのうえで、挫折・失敗エピソードを加えてバランスをとると、共感してもらえる確率が上がる。
「でもその後スランプで大きいプロジェクトから外された」
「調子に乗って言いたいこと言ってたら部下が辞めてしまった」
のように。
要は、「格好つけるな、ダサいから」。
成し遂げたことは素直に喜べばいいし、挫折や失敗も隠さず伝えればいい。
そうすれば「自分すごいアピールばっかりする偉そうな人」から、「試行錯誤して成功した人間味あふれる筆者」になれるはずだ。
実績アピールは説得材料にならなければ無意味
そして最後に。
実績アピールで1番大事なのは、相手にメリットを提示することだ。
例えばこの2文。
「経営陣がさじを投げるような長年の課題を解決に導いた」
「若いころはありとあらゆる賞を獲りまくっていた」
実はこのあと、長年の課題と解決方法の具体的な内容や、多くの賞を受賞するテクニックが書かれているわけではないのだ。
ただ単に、自己紹介として「自分はこんなにすごいですよ」とアピールしているだけで、それが本の内容に直結するわけでもなければ、再現性があり読者が真似できるノウハウが書いてあるわけでもない。
だから、ただ自慢話しているだけに見える。
自分の実績をアピールするなら、「こういう実績があるからあなたにこういう利益を与えることができますよ」と相手を説得しなければいけないのだ。
「なるほど、この人の言うことは信用できそうだ」と読者への説得材料にならない時点で、それはただの自己満足であり、書く必要がない自慢話である。
実績アピールするときは、感謝と謙虚、素直な気持ちを忘れずに
自分を売り込みたいときは、実績をどんどんアピールしていくべきだ。
ただしそれは、「主張の根拠」として実績を利用するのであって、読者に「いかに自分がすごいかを伝えること」が目的ではない。
相手が「なるほど」と思ってくれれば伝え方は正しかったということだし、「あっそう」とそっぽを向かれたら、それはいけ好かない自慢話になっているということ。
他人への感謝と謙虚さを忘れず、素直な気持ちも含めて実績を伝えることで、いらぬ反感を買わずに「この人の言うことは信頼できそうだな」と思ってもらえるんじゃないだろうか。
いや本当、実績アピールのつもりか知らないけど、延々と自分のすごいところを書き連ねてる自己紹介とか、見るに堪えないから……。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
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