「規制が厳しくなった。コンプラのせいでおもしろいことができない」

これはもう、何年も前からテレビ業界の人が言っていることだ。「嫌なら見るな」という言葉が、それを表している。

 

実際、「嫌だから見ない」という人は大勢いるし、そもそも家にテレビがない人も多いだろう。うちも、テレビは接続せずにPS5用ゲームモニターと化している。

 

そんななか改めて思ったのだが、バラエティの規制が厳しくなったのは、「配慮を求める社会になった」からなんだろうか。

その影響はもちろん大きいけど、根本的に、「画面内が特別じゃなくなった」だけじゃないだろうか。

 

「クレームのせいで何もできない」と嘆くテレビ業界の人たち

一昔前、ポロリは当たり前、一般人に対して笑えないドッキリを仕掛けたり、芸人の車や家を壊したり、顔面にパイを投げつけたり、罰ゲームで電流を流したりワサビを口に詰め込んだり、なんてのが「典型的なテレビのバラエティ」だった。

 

わたしは1991年生まれで、ロンハーのマジックメールを見て育った世代だ。あんな一般人晒し、いまなら確実に放送できない。

ドッキリで後輩を怒鳴ったらパワハラだし、スカートを下からのぞき込んだら性暴力だし、食べ物を使ったら「スタッフがおいしくいただきました」という注意書きが必要になる。

 

平成の半ばから、コンプラ順守による規制はどんどん厳しくなった。先日もこんなニュースが流れ、「またか」とテレビ業界に対して不信感を持った人も多いだろう。

この状況を、「すぐにクレームが来るから何もできない」と受け止めているテレビ側の人が一定数いるようだが、わたしはそれを的外れだと思っている。

 

いままでは「画面の中だから」と許されていただけで、画面の中が特別じゃなくなった以上、一般的な常識を守るべきなのは当然でしょう、と。

 

非常識から生まれる笑いは、非常識だから批判される

『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『とんねるずのみなさんのおかげでした』などを手がけた演出家マッコイ斎藤さんの著書『非エリートの勝負学』で、コンプラに関してひとつの例が挙げられている。

 

あるロケでセグウェイを借り、芸人が乗り回していたら、壁に思いっきりぶつかってすっ転んだ。リアクション含め、とても面白い映像が撮れた。

 

しかし、ADが相談もなく「メーカーはこういった乗り方を推奨していません。危険なのでやめましょう」というテロップを入れ、マッコイ氏は腹を立てた。

メーカー側に忖度するなんて裏切り行為だ、笑いが潰れてしまう。メーカー側に誠心誠意頭を下げて納得してもらうか、それでもダメなら番組の最後にテロップを入れればいいのに、と。

 

でもわたしは、「そもそもセグウェイに乗っててズッコケることのなにがおもしろいんだろう?」と首をかしげた。転んだ人を見て笑えるんだろうか?

お笑いというものは本来、理不尽や、非常識から生まれるものだと思っている。

それをコンプライアンスという名の「見えない力」が、かたっぱしから否定していくのはひどいと思っている。

俺たちの仕事は、イカれているか、イカれていないか、ギリギリの境界線を歩けるヤツを評価すべきなんですよ。絶対に。

なるほど、こういう考えなのか。

日常生活であれば、セグウェイで乗り回してすっ転ぶなんて危ないし、まわりからしたらいい迷惑。

 

でも、「非常識だからこそおもしろい」と考えているのだから、「非常識だ」と批判されるのも当然で、話は平行線だ。

 

いったいなぜ、考え方のズレが生まれるのだろう。

それは、「画面内を神格化しているかどうか」だと思う。

 

画面内が特別だった時代はもう終わった

昔は、「画面内」が神格化されていた。芸能人は特別な存在で、非常識でもとんでもないバカでも、「芸能人だから」で許された。

日常生活ではありえないような派手なこと、理不尽なことを思いっきりやってくれるのがテレビで、だからこそバラエティがおもしろかったのだ。

 

が、今では誰もが自分で配信し、「画面の中」に行くことができる時代。

わたしだってあなただって、その気になれば顔出ししてYouTubeでバラエティ番組もどきを作ることができる。

 

芸能人だって、リプで一般人とやり取りしたり(なんなら芸能人からファンにDMしてデートするらしい)、投げ銭コメントを読んでリスナーの名前を覚えたりする。

視聴者も画面内の世界に行くことができるし、出演者が画面外に出ることも多い。画面の中の世界も、画面の中にいる人も、日常の延長。なんら特別ではない。

 

そうなった現在、「画面内だから許されたこと」が許されなくなるのは当たり前だ。「画面内は治外法権じゃないんだから、一般的なルールは守りなさい」というだけの話。

 

食べ物で遊んではいけない。みんなそれをわかっているからこそ、昔はあつあつおでんを食べて吐き出したり、パイを顔に塗りたくったり、ワサビを口に詰め込んだりすることが笑いになった。

でも「画面内だから許される」前提がなければ、それはただ食べ物を粗末にする行為。だからNG。

 

罰ゲームで痛がる人を見てもかわいそうだと思うし、若手芸人が体を張って裸になっても痛々しいだけだし、高所恐怖症の人がバンジージャンプを前に泣いていたらやめてあげて、と思う。

 

そんなもの、全然おもしろくない。

日常生活でそんなシーンを見たら、胸糞悪いだけだもの。

それを「コンプラが厳しくなった」というのは、なんだかちょっとちがう気がする。

 

例えば子どものころ、立ち入り禁止区域で遊んでいたとしよう。でも工事現場の人は、「子どもだから」と見逃してくれていた。が、現場監督が代わって怒られたので、遊べなくなってしまった。

 

それは、ルールが厳しくなったからだろうか?

単純に「今まで見逃してもらっていただけで、そもそもよくないことだった」って話じゃないか?

 

仕掛け人同士で完結するドッキリ番組

こういう話をすると、「なにもできなくなった」と言う人がいるが、それはちがう。

 

わたしが最近見た動画でおもしろかったのが、『ゴットタン』などを手がけたプロデューサー、佐久間宣行氏のチャンネルの『【クズ弁護士ドッキリ】こたけ正義感が裏ではめちゃくちゃ金に汚い悪徳弁護士だったら…?』だ。

弁護士資格を持ち、実際弁護士としても働いているお笑い芸人、こたけ正義感がもし悪徳弁護士だったら、というドッキリである。

 

こたけ氏は番組の打ち合わせで「契約内容とちがう」とスタッフに絡んだり、プロフィール表記が間違っているから「虚偽罪」だと言ったり、誤って水をかけられ「損害賠償を請求する」と証拠写真を取り始めたり、やりたい放題。共演予定の女性タレントは、困り果てている。

 

が、このドッキリのミソは、こたけ氏がダメ出ししたりお金を請求したりするのは、あくまで仕掛け人が対象ということだ。

ドッキリを仕掛けられているのは女性タレントだが、こたけ氏が彼女に、「損害賠償を払え」と詰め寄ることはない。いちゃもんをつける相手はあくまで企画を知っているスタッフであり、いちゃもんをつけるこたけ氏もまた仕掛け人。

 

もしこたけ氏が彼女に向かって「金を払え」と言ってたら、何も知らずに悪徳弁護士に脅される女の子がかわいそうで、笑えなかっただろう。でもそうじゃないから、笑えるのだ。

 

動画のコメント欄を見ると、「こたけの演技力やばい」という意見が多く、佐久間氏も「ドラマのオファーくる!」と大絶賛。

ドッキリを仕掛けられた女性タレントも、明らかにやばい言動をするこたけ氏とどうにかうまくやろうと気を遣っていて、「めっちゃいい子」と褒めちぎられている。

 

傷ついた人を笑う、弱いものをいじめる、派手で無茶苦茶なことをやる。そんなことをしなくても、おもしろいコンテンツはいくらでも存在するのだ。

まぁ、これがテレビで放送できたかと言われれば、わたしは判断ができないが。

 

コンプラが厳しくなっても、おもしろいコンテンツの需要はある

いくら規制が厳しくなったとはいえ、「おもしろいものを見たい」という願望は、だれしもが持っている。

ただ求めるおもしろさが、「非日常的なぶっとんだもの」ではなく、「目の前でこんなことされたらやばい(笑)」という視点になったというだけで。

 

そりゃまぁ、一生行くことのない秘境でのサバイバル生活や、仲が悪いコンビに解散を持ち掛けて本当に解散しちゃうとか、企画としてはおもしろいし個人的には好きだけど。

 

でも需要を考えれば、「見ていてかわいそうな理不尽かつ非常識な企画」より、「ドキドキハラハラするけど最終的にはみんなハッピーな企画」のほうがいい。

マッコイ斎藤氏の著書にも、こうある。

だからなんでもかんでも「コンプライアンス」で片付けないで、一つひとつの演出について議論させてほしい。どれだけ放送が難しそうでも、柔軟に考えて、抜け道を探したい。

誰も傷つけることなく、みんなが心から笑ってくれるための抜け道を。

事実彼は、「負けた人が奢るといじめに見える」という批判を受け、勝った人が奢るという「男気ジャンケン」を考案している。

 

前述した悪徳弁護士ドッキリも、「ドッキリターゲットはその場にいて巻き込まれるだけで、脅されたり怒られるのはあくまで仕掛け人側」というかたちで、抜け道を使っている。

 

画面内が特別じゃなくなっても、現代の価値観に合った「おもしろいもの」はいくらでも存在するし、作れるはず。

だから改めて、「コンプラのせいで何もできない」は、ちがうんじゃないかと思うわけだ。

 

 

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【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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