最近、我が家で起こった行き違いから始めさせてください。

 

そのとき私はレコーダーに残っている『ブラタモリ』の録画を整理していて、まだ見てないものと記念にとっておきたいものを残しつつ、もう観なくて良い放送回や最終回以降も録画し続けてしまったゴミ録画をレコーダーから削除してしようとしていました。

 

そのとき嫁さんからこう言われたのです。

「見てない録画は消さないで」と。

 

「うん、わかった」と答えて、私は録画の整理を続けました。

すると、リストのなかに天気予報を録画してしまったものが残っていたんです。一瞬、手が止まりましたが私はそれも削除しました。が、これがダメだったことが判明します。

 

その天気予報の録画の正体は、なんと、まだ見ていない大河ドラマ『光る君』の録画だったのです。

先週の日曜日、たまたま録画の設定が外れてしまっていたので、放送直前に嫁さんが直接録画ボタンを押して録画したため、タイトルが『光る君』ではなく『天気予報』に化けてしまっていたのです。

 

嫁さんとしては、まさにこの録画があったから「見てない録画は消さないで」とわざわざ言ったのでしょう。

でも「『天気予報』に化けている『光る君』を消さないで」と聞いたわけでもなく、私は「見てない『ブラタモリ』や『光る君』の録画は消さないで」という意味だと思い込んでいたのでした。

 

どうしてこの行き違いが起こったのか

どうしてこんなことが起こってしまったのでしょう?

まあ、私と嫁さんのメッセージの授受がいい加減だったのがいけなかったのでしょうね。

 

録画に関しては、レコーダーを新調してしまえばこうした事態は防げそうです。

我が家のレコーダーは旧式で、撮れている番組のサムネイル・録画時刻・録画時間の長さなどのデータが一覧できません。このどれかが通覧できるレコーダーだったら、タイトルが『天気予報』に化けた『光る君』を消さずに済んだと思われます。

 

とはいえ、レコーダーを買い替えて解決できるのは録画についてだけです。録画以外のジャンルでは、今後もメッセージの授受がいい加減なことによる行き違いが起こってしまいそうです。

では、私たちは「会話にもっと気を付ける」べきでしょうか?

 

ある程度はそうでしょう。でも、録画に限らず、詳細な情報のやりとりができたと気が済むまで毎回しゃべり続けていたら、時間的にも体力的にもコストがかかり過ぎます。

神経質にやりとりしすぎれば注意力や判断力のコストも高くなり、ストレスを感じるかもしれません。そのくせ、時間と手間と注意力さえかければ完全に行き違いがなくなるとも思えません。

 

たかがレコーダーの録画消去のために厳密なやりとりを行うようなやり方は、時間や注意力が足りていない時には結局破綻してしまい、またぞろ似たような行き違いが起こってしまうのは避けられないと思われます。

 

行き違いを減らす工夫:仕事編

こうした行き違いを防ぐための方法は、仕事の場面では思いつきます。というか私の職場でも日常的に使われていると感じます。

たとえば医療分野では、患者さんの情報を診療録に書く際に用いる「SOAP」という書き方が有名です。

 

Sはsubjectで患者さん自身の主観的な訴え。

Oはobjectで観察をとおしてみてとることができた客観的な情報や所見。

Aはassessmentで、訴えや情報や所見をとおして下した評価。

Pはplanで、アセスメントを踏まえて実践していく対策や対応。

 

このような書き方を身に付けておけば、誰が診療録を書いたとしても、書いた医療者がどのように患者さんを診て、どのように所見を集め、どう判断し何をしようとしたのかが読み取りやすくなります。

診療録をとおしたコミュニケーションに齟齬が生まれにくくなり、行き違いが起こりにくくなるわけです。

 

医療は、コミュニケーションの齟齬や行き違いが人の命に直結するため、こうした書き方が広く用いられているのでしょう。

加えて、医療分野では他のいろいろな治療手技や手続きもプロトコル化されていて、個々人のコミュニケーション能力やコンディションにできるだけ依存しないかたちでインシデントやアクシデントを回避できるよう、工夫がされています。

 

同じく、人の命に直結している軍隊にも工夫がみられますよね。

ここに貼った海上自衛隊の動画のなかでは、砲雷科の自衛士官がちょっと独特の言い回しを用いているのが聞こえます。これなども、表現の正確さを重視し、誤解や行き違いが起こらないようにするための工夫と言えます。

 

軍隊の言葉には他にもいろいろありますよね。時刻を「ヒトヨンマルマル(14時のこと)」などと呼ぶ言い方や、「アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ」で知られるフォネティックコードなども、数字やアルファベットの聞き間違いが起こらないよう工夫したプロトコルだと言えます。

それから復唱。復唱がプロトコル化していると行き違いが一層少なくなります。

 

個人の資質や時間や注意力に依存するソリューションではなく、プロトコルを当たり前化し、それを徹底させることで行き違いを防ぐ──こうしたソリューションは業務の世界では珍しくありません。人の命に直結している分野ではほとんど必須とさえ言えるでしょう。

 

行き違いを本気で減らしたいなら、そもそも行き違いが起こらないようなプロトコル、そしてシステムを構築してしまえば良いのです。それが業界のスタンダードになってしまえばなお良いでしょう。そしてそこで働く人を全員、それにあわせてトレーニングしてしまえば良いのです。

 

だけど家庭は自衛隊ではない

家庭の話に戻りましょう。

では、夫婦や親子の間でも安全確認をプロトコル化し、なにごとも復唱すべきでしょうか。あるいは、自衛隊みたいにヒトヨンマルマルと言ったりアルファブラボーチャーリーと言ったりすべきでしょうか?

 

一般的な家庭では、難しいと思います。

 

ある程度まではそうした工夫ができるかもしれません。少なくとも我が家では『艦隊これくしょん』の影響のおかげか、自衛隊風の「1200(ヒトフタマルマル)」みたいな時刻の読み方が通用したりします(便利です)。

でも、家庭は自衛隊や医療現場や工事現場ではありません。家庭ではもっと楽にコミュニケーションしたい・もっと柔らかな言い回しも使っていきたいと思う人が大半でしょう。

 

こちらの元自衛官の方のコラムには、”このような言い方をしている組織や人たちを客観的に見た場合、その時刻の表記、呼称は極めて合理性に富んでいるものではありますが、どこか味気がない、あるいは冷たいような感じがするのですが、みなさまはいかがでしょうか。”と記していますが、私も同感です。

自衛隊や医療現場では情報の正確さがコミュニケーションのすべてかもしれませんが、家庭のコミュニケーションはそれだけがすべてではないのです。

 

家庭でのコミュニケーションは、気楽さやストレスの少なさが伴っていたほうがいいし、情報だけでなく情緒まで伝えることが期待されているので、情報の正確さだけに特化したコミュニケーションでは、それもそれで問題と思われるのです。

子育てしている場合は特にそうですよね。子どもは、情報のやりとりとしてのコミュニケーションだけ身に付ければいいわけではありません。情緒のやりとりを含んだコミュニケーションをマスターしていかなければならないので、自衛隊みたいなコミュニケーションに終始していては、情緒的な学習が遅れてしまうよう思われます。

 

さりとて、解釈がブレてしまいそうな曖昧な言い回しをのさばらせていると、冒頭で紹介したような行き違いはどうしても発生してしまうでしょう。難しいですね。

家庭で期待される情緒を保ちつつ、それでいて情報の正確さを担保するような言葉運びを選ぶのは簡単ではありません。それでもコミュニケーションしていくしかないのが家庭という場、家族という人間関係だと思います。

 

繰り返しますが、家庭は自衛隊や医療現場や工事現場ではありません。しかも情報と情緒の両面に即したコミュニケーションが期待されています。ですから家庭における折衷案は、ある程度までは職場と同じプロトコル化を意識しつつ、ある程度からはいい加減に構え、情緒や気楽さに支障をきたさないようにすることでしょう。

そして家庭で本当に大切なのは、行き違いをある程度は許容しあい、それでもお互いの信頼や愛情を失わないことかもしれません。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

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ブログ:『シロクマの屑籠』

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