「うおおおおおおお」

「きたぁああああああああ」

「音楽だけで泣ける」

「記憶消してもう一回やりたい」

「演出が神」

 

とあるゲームの実況配信。

主人公がラスボスとの最終決戦に望み、互いの正義をぶつけ合う緊迫のシーン。

 

最高潮の盛り上がりを見せる場面で、コメント欄はリスナーたちの叫びであふれかえっていた。

 

文章で飯を食っているわたしだけど、こういうエモさ爆発の瞬間では、どうしても言語化能力の限界を感じてしまう。

最近は「言語化能力」が注目され、持ち上げられているけれど、決して万能なスキルではないのだ。

 

今年の新語大賞に選ばれた「言語化」とは

三省堂が選ぶ「今年の新語2024」の大賞に、「言語化」が選ばれた(ちなみに2位は「横転」)。

言語化という言葉自体は前からあったものの、より身近になった、以前とはちがう形で浸透した、といった理由で選ばれたのだろう。

 

「言語化」はいろんな使い方ができる言葉なので、この記事では「伝えたいことを言葉として整理し、相手に正しく受け取ってもらうこと」と定義したい。

かんたんにいえば、「言葉を使って相手に説明する(相手に理解してもらう)」能力だ。

 

デジタル化が進み、さらにコロナ禍でリモートワークが推奨されたことで、文章でのやりとりが増加。言語化能力を求められる機会は格段に増えた。

仕事だけに関わらず、身近な人とのLINEのやり取りや見ず知らずの人に届くSNSなんかでも、コミュニケーション方法が文面、つまり言葉を使うものにぐっと傾いた。

ジェスチャーや表情ではなく、言葉を用いて、自分で考えていることを相手に伝える必要性が高まっているのだ。

 

言語化能力が低かったら、自分が伝えたいことがなかなか相手に伝わらないし、言語化が苦手な人の意図を汲み取ることもできない。言葉での意思疎通が苦手だと、対人トラブルも多くなってしまう。

が、それと同時に、「自分の感情を言葉にして整理し、他人に伝わるように出力しなおすこと」は、決して万能ではないなーとも思う。

 

大きな感情の前では言語化能力は無意味

わたしの友人で、すこぶるオススメがうまい人がいる。

好きな漫画やアニメ、最近見た面白いドラマや映画、何度も足を運んだ温泉やお寺……。

 

なぜか彼が勧めるものは、どれもよく感じるのだ。

 

「この曲はまじでやばい! サビ前にドラムがドドドドドド~ってなってすっげぇかっこいいし、最後の最後にギターがジャジャジャーン、キュゥゥウウンって神ソロくるんだよ! ライブで初めて聞いたときリアルにチビったわ、テンション爆上がりだよ!」

 

さまざまな語彙や表現を使ったスマートな言語化とはほど遠いが、なんかこう、ちょっと苦笑いしながら、「わかったわかった、あとで聞いてみるから」と答えてしまうんだよなぁ。

何がどういいのかはよくわからないけど、とりあえずカッコいい曲なんだろうな、みたいな。

 

言語化が大事だと言われるけれど、結局のところ人と人とのコミュニケーションだから、むき出しの感情によるパワーに敵わない場面は存在する。

 

人間は、あまりに大きな感情を前にすると、「言葉」を失うのだ。

悲しみが押し寄せてただ泣くことしかできなかったり、怒りに震えて喉から血が出るほど叫んだり、あまりの出来事に驚愕して呆然としたり……。

 

オーディション番組でも、あまりに圧倒的なステージを見せた人に対しては、審査員もただ「素晴らしかった」「涙が出た」と拍手をすることしかできない。

 

オタクがよく言う「まじでやばかった(語彙力」みたいなやつもそう。

どう表現しても追いつかないほど感動した、感動しすぎて語彙力が消し飛んだ、という意味だ。

 

いくら理論整然と訴えたとしても、「保育園落ちた日本死ね!」の慟哭が与えるインパクトには敵わない。

これが、「保育園に落ちて仕事復帰ができない主婦が困っていること」というタグで、懇切丁寧に現状を整理した内容だったら、決してバズっていないだろう。

 

一線を超えた大きな感情の前では、言語化能力なんてのは、なんの力ももたないのだ。

 

言語化能力は決して万能ではない

もちろん、「だから言語化能力なんて必要ない」と言いたいわけではなくて。

ただ、「言語化」という能力を信頼しすぎるのもどうなのかな?と思う。

 

正確にいえば、「自分にとってわかりやすい言葉を使ってくれる人をやたらと信頼するのは正しい姿勢なのか」「客観的で具体的に説明されればすんなり信じていいのか」といった感じだろうか。

言葉としてキレイに整理できない強い感情だってあるし、そういう感情だから人を動かすことができる場面だって、いくらでもあるはずなのだ。

 

さらにいえば、世の中には、「口がうまい人」が存在する。

面接でやたらと自分をよく見せるのがうまい人はいるし、優良誤認させるような言い方で丸めこむのがじょうずな営業もいる。

 

詐欺師かなにかで服役中の犯罪者で、あまりにも人と仲良くなるのがうますぎて刑務官や記者ですらうっかり心を許してしまいそうになった……なんて話を聞いたこともあった。

「言葉巧みに」という表現があるように、言語化能力は悪用だってできるのだ。

 

逆にいえば、寡黙で愛想はないが、仕事はとても丁寧で使う人のことを考えた家具を作る職人さんや、自己表現が苦手で誤解されやすいけれど困っている人を見たら放っておけない優しい人だっているわけで。

言語化は現代社会ではたしかに重宝される能力だし、身につけておくに越したことはないけれど、「言語化能力への過度な信頼」もちょっとちがうよなーと思う。

 

言葉にできないものごとが軽視されないように

言語化能力が求められる場面が多いからか、「言いたいことを他人に伝えられずに苦しい」とか、「思っていることはあるけどそれを表現できない自分が悪い」のように、言語化能力が低いことをコンプレックスに思っている人がたくさんいる。

とくに仕事では、自分がやったことがいかにすごいかと力説する人が評価されやすく、淡々と地味な作業をしている人が見逃されることも少なくない。

 

じゃあ言語化能力が低い=ダメな人間かというと、もちろんそんなことはなく。

 

いっぱい素敵な魅力があるのに、それを言葉として表現できないせいで評価が下がってしまうのは、見ていて残念な気持ちになってしまう。

まぁ、「いい感じにやっといて」と言う上司にはイラっとするし、「なんかうまいことできない?」と相談してくる人は面倒くせぇなぁとは思うけども。

 

それでも言語化を持ち上げすぎることで、「言葉で表現できない人やものごと」の価値が不当に下がってしまうことには気をつけたいと思う。

言語化能力はあるに越したことはないにせよ、「言葉で伝えること」は決して、万能な能力ではないのだから。

 

 

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【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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Photo:Adam Jang