私が山陰地方に住んでいた頃、自宅の近所にあった寿司屋がのれんを下ろす。Instagramでそれを知った。

 

「告知 閉店のお知らせです。『福さん寿司』(仮名)は、3月9日(日)をもちまして、閉店することとなりました。この町で7年間お世話になりました。ありがとうございました」

 

そう書いてあるチラシの写真が投稿されている。たったそれだけ。随分あっさりしたものだ。

「あぁ、やっぱりか」という諦めの気持ちと、「えぇ、どうして」という残念な思いが、胸の中でマーブル模様になって混ざり合う。

 

もしまだ近くに住んでいれば、せめて閉店までの間に何度か足を運び、店との別れを惜しんだだろう。けれど、遠く離れた地域で暮らしを立てている今は、閉店を知ったからといって駆けつけることができない。

ただ、夫と二人で「思い出の店だったのに、残念だね」「もう一度くらい行きたかったね」と、感傷にひたるのが精一杯だ。

 

「福さん寿司」は、当時住んでいた自宅マンションから歩いて10分もかからない。「今日は外食でもしようか」という時に、ちょうど良い距離にある敷居の高くない店だった。

それなのに、それほど頻繁には利用しなかった。回らない寿司だったからだ。

 

いくら敷居が高くないとはいえ、カウンターで食べる寿司はそれなりの値段がするし、雰囲気的にも大人の店だ。当時まだ中学生だった娘を連れて家族で出かけるなら、やっぱり回る寿司がいい。

なので、せっかく近所だったのに、「福さん寿司」はごくたまにランチやテイクアウトを利用する程度だった。

 

やがて、その街に住んで3年が経った頃、夫の転勤が決まった。

旅立ちの前夜に、「最後だから贅沢をしようか」と、出かけたのが「福さん寿司」だ。

 

時はコロナ禍の真っ只中。

持続化給付金やら外食支援のクーポンやらがばら撒かれていた時期なので、どこの飲食店も潰れはしないが、閑古鳥が鳴いていた。「福さん寿司」も例外ではなく、客は私たち一組しかいない。

 

せっかく寿司屋に来たというのに、その夜の私たちは、あまり寿司を食べなかった。

店を開けてはいても客が来ないのだから、ネタの仕入れをそれほどしていないのは見れば分かる。出せるメニューには限りがあるようだったが、それでも日本酒とおつまみメニューは揃っていた。

これが、この町で過ごす最後の夜なのだ。私たちは思い残すことがないよう地酒のグラスを重ね、山陰の幸に舌鼓をうった。

 

「やっぱりのどぐろは食べておかなくちゃね」

「今の季節は蟹でしょう」

「白魚の天ぷらも欠かせないね」

「しじみ汁も最後に飲みたい」

なんて言いながら、高級食材を気前よく注文していくと、店主の福さんも機嫌が良くなっていく。

他に客がいないこともあり、福さんは私たちの相手をたっぷりしてくれた。聞けば、彼はこの地域で有名な老舗の寿司屋から独立して、ここに店を構えたという。

 

「えっ? 福さんって、あの『くもたけ』(仮名)の板さんだったの? それはすごい。でも、あそこって味と評判が落ちてますよね。実は、去年の秋に実家の母が友人を連れて遊びに来て、『くもたけ』に行きたいって言うから、みんなで行ったんですよ。そしたら、すーっごく感じが悪くて、お寿司も美味しくなかったから、『なんじゃこりゃ』って、みんなで首をひねっちゃいました」

「はははは。そうかい? 実はね、あっこは2年前にオーナーが変わっとるんよ。新しいオーナーになってから、それまで居た職人はみんな順番に辞めちゃってねぇ。だから名前は変わっとらんけんど、あれはもう同じ店じゃないけん」

 

「えー。なんだぁ、そうだったんですか。どうりでおかしいと思いましたよ。もう何十年も前になるけど、私は小学生の頃に『くもたけ』へ行ったことがあるんです。夏休みに、母の友人を訪ねて家族で旅行に来て、その時に連れて行ってもらいました。1980年代中ばです。その頃って、福さんはもうあの店で働きよったんですか?」

「働いとったよ。懐かしいねぇ。下っ端で働き始めたころやないかなぁ。あの頃は楽しかったぁ〜。官官接待で夜の街がめちゃくちゃ儲かっとった時代やけん。店も繁盛して、深夜2時まで営業しとったもんねぇ。俺もまだ未成年やったけど、普通に深夜まで働いとったけんね。タクシーも、12時を過ぎたらちっとも捕まらんけん。客が帰る1時間も前から、タクシー捕まえるために外を走りまわらにゃいけんかったもんねぇどこもかしこも人が溢れて、あの頃は街が一晩中明るかった」

 

「へぇ〜。今じゃ想像つかんですね。このへんの夜の街、めちゃくちゃ静かですもん。10時を過ぎたら、もうみんな寝てるって感じ」

「そうよ。官官接待がなくなって、繁華街がすっかりダメになってしもうた。昔はよかったでぇ。官官接待で繁華街に金が落ちるやろう? そしたら、繁華街で商売しよる料理屋が儲かって、タクシーも儲かって、夜の街の姉ちゃんらも儲かりよった。そんで、そういう姉ちゃんらが服だのバッグだのを山ほど買うから、小売店も儲かった。出どころがどうでも、金は金やけん。地方の繁華街はそれで経済が回っとったのに、官官接待を潰してしまってバカじゃ〜」

 

公務員が税金で飲み歩く接待がいいとは思わないけれど、お金がうなっていた時代をつい懐かしんでしまう心情は理解できる。

今がこの有様では、なおさらだ。

「俺は住宅ローン抱えてるのに、この店を出すのでまた借金しとるけんね。だから、この先もずっと働かにゃならんのよ」

 

バブルが去り、官官接待もなくなったとはいえ、有名な寿司屋で板前をしていた頃は、収入も生活も安定していたのだろう。だから住宅ローンを組んで、家を建てたのだ。

出店時の借金を合わせると、すでに個人で背負うにはシンドイ額を借入しているようだったが、それに加えてゼロゼロ融資も借りたという。

 

福さんが手際よく出してくれた酒のおつまみは、どれも美味しかった。私も夫も心地よく酔い

「ここはお寿司より、お酒を飲みながらおつまみを食べるのにいい店だったんだね」

「もし夫婦二人暮らしだったら、通ったかもね」

「また来ようよ。ねぇ、福さん。私たち明日になったら引っ越しちゃうんだけど、きっとまた来るから。だからそれまで、頑張って続けててね」

「いつまでも続けとるよ。俺は借金持ちやけん、ずっと働かにゃいけんもん」

 

こんなのはよくある酒の席の戯言だが、その約束は果たされた。

私たちはこの夜から2年後に、再びこの地を訪れ、「福さん寿司」で食事をしたのだ。

コロナ禍が終わっていたので店は混んでおり、忙しそうな福さんとはろくに言葉を交わせなかったが、私たちは福さんが元気そうに商売を続けている姿を見られただけで満足だった。

 

それなのに、その「福さん寿司」が閉店する。コロナ禍をどうにか持ち堪えた福さんだったが、インフレに負けたのだろう。寿司屋の福さんにとっては、特に米の値上がりがキツかったのかもしれない。

 

ゼロゼロ融資の返済がしんどいところへインフレが襲い、上がっていく原材料費を価格に転嫁できなかったのではないだろうか。外国人観光客相手の商売ならいざしらず、近隣のなじみ客を相手に商売している飲食店は、今どこもが苦しんでいる。

価格に転嫁すれば客足が遠のき、かといって転嫁しなければ、どんどん利益が減ってしまう。バイトに払う賃金も上がっているため、ただでさえ苦しい経営を人件費がさらに圧迫する。

 

福さんは、きっと限界まで頑張ったのだろう。それでもどうにもならなかったのだろう。

閉店まで2週間足らず。急とはいえ、夜逃げのように店じまいするわけではなく、ちゃんと告知を出す余裕があることに、わずかな安堵を覚えた。

 

 

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【著者プロフィール】

マダムユキ

ブロガー&ライター。

Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。最近noteに引っ越しました。

Twitter:@flat9_yuki

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