親はもうすぐ50歳
子どもの中学受験が終わった。
ぼくはもうすぐ50歳。夫婦ともにフルタイムで働きながらの中学受験は、とにかく体力の限界だった。
次に同じことをやれと言われても、お断りだ。お金を積まれてもお断りだ。
いやまあ金額によるけど、よほどでなければお断りだし、だいたい受験のスペシャリストでもなんでもないただのアラフィフに高額な報酬を払うような酔狂な人はいないだろう。
酔狂といえば、中学受験である。
中学受験に必要なのは父親の経済力と母親の狂気、とドラマ(原作はマンガ)『二月の勝者』で黒木先生が言ってたけど、ほんとそうだよなと思う。
まあ、父親に経済力がないばかりに苦労したのだけれども。
そのぶん、父親も狂気と、そして時間をしぼりださざるをえなかったのだけれども。
時間が…ない!
お金がないなら、なんとか時間をしぼりだして、子どもの受験勉強をサポートするしかないのだが、これが大変だ。
昼間は仕事をしていて何もできないので、こちらの対応も、どうしても子どもが帰ってきてしばらくしてからのスタートとなってしまう。
そのあいだに一人でさっさと問題集を解きはじめてくれていればいいのだが、そうはいかない。
いくら開始時間を決めていてもその通りにはなかなか始めない。
親が帰ってきて、さあやろうぜと何度も声をかけて、ようやく重い腰を上げる。
調子がいいときはそれだけでどんどん問題を解いていくのだが、問題が少し難しかったり、本人のコンディションがイマイチだとすぐに手が止まる。
手が止まったら、その問題はさっさと飛ばして解ける問題へと移ってくれたらいいのだが、鉛筆を持ったままじーっとしている。
フリーズしているのである。
そういうときは声をかけるようにしているのだが、そんなことにいつも気づけるわけではない。
ぼくが残してしまった仕事の対応や家事をしているあいだじゅう、ずっとフリーズしていることもある。
となると、子どもの状態をいつも気にかけながら別の用事をしなければいけない。常に出塁され続けているピッチャーの心境である。
子どもが問題を解き終えたら、親が丸付けをする。丸付けをすると同時に、間違えた問題にチェックを入れる。
これは後でもう一度その問題を解き直すためだ。
そこまで過保護にやることはないのではと思われるかもしれないが、分業にしないと間に合わないのである。
もちろん、それも全部自分でやっている小学生もいるだろうけど、うちではそのやり方をしていなかった。
話はそれるが、ぼくは何か成功体験を伝えようとしているわけではない。
だからといって完全な失敗体験だというわけでもない。だいたい、何をもって成功か失敗かなんて、明確なようで明確でもない。
志望校に無事合格できたからといってそれで「成功」なのかといえば、まあ一義的にはそうなのだろうけど、結局はそこからどんな6年間をすごすか次第でその後はまた変わってくるし、もっと言えば人生において何を成功とするかなんてその人次第である。
だからこの話はただの体験談であり、ここから中学受験のヒントになるようなことが得られるわけではないと思う。
さて予告通り、話はそれた。
とにかく、ぼくの場合はそうやって、子どもが問題を解いているあいだ見守ったり、丸付けをしたり、明日やる分の問題集のチェックをしたり、過去問のプリントアウトをして、学校から帰ってきたらすぐに始められる準備をしておいたりする。
そして、子どもがやるべきことを終えて布団に入り、眠りにつくまで見届け、そのあとそっとパソコンを開いて、日中の仕事の続きに取りかかる。
気がつくと深夜になっている。とにかく時間がなかった。
体力が…ない!
しかし時間以上にキツかったのは、体力が足りないことである。
ぼくはもうすぐ50歳。
週末に4時間ほど運動をして汗を流す習慣はあるけれども、平日はほとんど動けていない。おまけに、この数か月、腰痛の治療で痛み止め薬を飲み続けている。
この薬が厄介で、とにかく眠くなるのである。
日中に仕事をして、子どもが帰ってきたら対応、そして子どもが寝るところまで見届けて、そこから仕事を再開する、という状況が続くと、20時頃にとんでもない眠気がやってくる。
ちょっとソファに背中をあずけただけのつもりが、1時間ほど、時間が飛んでしまっている。
あるいは、眠たいのをとにかく我慢して、子どもが眠るところまでたどりつき、さて自分のことをやろうかと思ったところまでは覚えているのだが、気がつくと床の上で寝ていたりする。
だからといって、痛み止めの薬をやめるのは怖い。腰が痛いと座っていられなくなる。受験どころか仕事にも支障が出る。
なんだか年寄り臭い話をしているなと思うが、もう年寄りに片足を突っ込みはじめている年齢だ。
しかたがないとも思う。
ちなみに、塾の説明会や模試の会場、実際の受験会場で、ぼくよりも年上らしき男性たちを何人も見かけた。
見た目が老けているだけで実際は違う人もいるのかもしれないが、それにしてもみんなよく体力が続くなと思う。
まあ、ぼくとちがって「父親の経済力」を発揮できる人たちなのかもしれないが…。
だとしても、単純に子育てをするだけでも体力が必要だ。
そのうえ中学受験にまでチャレンジするなんて、やっぱり狂気の沙汰なのかもしれない。
お金が…ない!
経済力という話でいえば、中学受験でお金がかかるのは塾代だけではない。
受験の世界では、勉強が得意でない子ほどお金がかかるようになっている。
というのも、中堅帯の中学校では、午前のA日程、午後のB日程、翌日午前のC日程、翌日午後のD日程、さらには夕方の特別Z枠(勘弁してくれ…)のように、同じ学校を何度も受験できる枠を用意しているのである。
当然ながら、それらの枠を受ければ受けるほど受験料がかかっていく。
おまけに、日程が後半になればなるほど、競争は熾烈になっていく。
募集人数が減っていく上に、うちの子よりも上のレベルの学校を受けてうまくいかなかった子たちが「降りて」くるからである。
そんなわけで、うまく第一志望の学校に合格すれば、受験から解放されるわけであるが、うちの子のようにいつまでも合格が出ないまま何度も同じ学校を受験し続けると、体力も気力も、そしてお金も削られていく。
日程が進むと、明らかに保護者たちの表情が暗くなっていく。
はじめの頃は、待合室で、知り合い同士が出会ったのか、ぺちゃくちゃと楽しそうに話している人たちも多い。
それが二日目、三日目と進むにつれて、声のトーンがはっきりと下がっていくし、他人同士でぺらぺらと話している人は激減する。四日目ともなると、病院の待合室のようである。
ほとんどの人はうなだれて、無口で、寝不足で顔色も悪い。隣から聞こえてくる夫婦の会話の内容も、とにかく暗い。
お兄ちゃんの時はこんな風ではなかった、こんなはずではなかったとか、こんな学校に通ったところで大学受験で苦労するに違いないとか、勉強自体が好きではない性格を直さないとこれから絶対に困るとか、聞いているだけで気が滅入るような話をしている。
もちろん、ぼくだって同じようにメンタルをやられている。
しかし、ぼくも腐ってもブロガーである。
こんな悲喜こもごもの人生たちを観察できる機会もめったにないと思って、そういう会話に耳をすましたり、飲み物を買いに行くついでに会場内をうろうろして他の人たちの様子をのぞいたりしていた。
色んな人たちがいた。
明らかにすべり止めのために受けているだけの人もいれば、この学校に通らなければもう後がない、という様子の人もいた。
あるいはスタンプラリーのように色々な学校を受けて、受験自体を楽しんでいそうな人もいた。
だけど、どの保護者もみんな、子どもの合格を願っていることだけは同じだった。
希望は…ある!
さて、子どもは、意外と頑張れるものである。
もちろんとても疲れているのだが、周りの子どもたちも状況は同じだし、なかなか合格が出ない中でも、試験が終わるとちゃんと前を向いて、顔を上げて帰ってくる。
その様子を見ると、どれだけ心が折れそうになっていても、こちらもいい顔をして出迎えようと思うものである。
時間も、体力も、お金もない中で、なかなかのハードモードだった中学受験だが、最後まで気持ちよく、前向きに取り組むということだけはあきらめないように努力した。
それだけは家族で力を合わせてやり抜いたと思うし、中学受験をしてよかったなと思うことのほとんどすべてである。
結局、うちの子は第一志望も、第二志望も合格することはできなかったが、はつらつとしていて、受験が終わった翌日には、中学校ってどんな勉強をするのかなあ、と聞いてくる。思わず抱きしめたくなってしまった。
そこで思うのは、結局、中学受験の価値なんて、そんな程度のことなのではないだろうか、ということである。
同じ目標に向けて、家族で力を合わせて取り組み、悲喜こもごもを味わう時間。
子どもというものは、わりとどんなことでも楽しめる生き物だと思う。それが受験であれ、スポーツであれ、なんであれ、楽しめる人たちだ。
問題は親なのである。
あるいは、ぼく自身なのである。
ぼくが、子どもと一緒に楽しむ時間をすごすことができるか。妻と一緒に力を合わすことができるか。
その機会がたまたま中学受験という形で存在するだけなのだ。
どこに合格したかなんて、おまけのようなものだ。
もっと言えば、それは人生のすべてである。
目の前の人と、良い時間をすごすことができているか。そして何より、自分自身が楽しんでいるか。
経済力があるかとか、社会的地位があるかとか、そんなものは、おまけのようなものだ。
50歳を前に、そんなことを思う。
…ほら、だから言ったでしょ、中学受験のヒントになるようなことなんて、何も書いていませんよって。
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(2026/2/9更新)
【著者プロフィール】
著者:いぬじん
プロフィールを書こうとして手が止まった。
元コピーライター、関西在住、サラリーマンをしながら、法人の運営や経営者の顧問をしたり…などと書こうと思ったのだが、そういうことにとらわれずに自由に生きるというのが、今ぼくが一番大事にしたいことなのかもしれない。
だけど「自由人」とか書くと、かなり違うような気もして。
プロフィールって、むずかしい。
ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。
Photo by:Ben Mullins




