「あいつら、内容の無いことばかり喋ってやがる」と学校や職場の同僚を馬鹿にする人は珍しくない。

世間を知らない学生のセリフかと思いきや、30代、40代の人が同じことをさえずっているのを見てびっくりさせられることもある。ほとんどの場合、こうしたセリフは人望が無い人の口から出てくる。

 

いつも思弁している人、いつも世界の重要事について考えている人は、世間では少数派だ。

いや、実のところ、「あいつらは内容の無いことばかり喋っている」と言っている本人だって本当はそうなのだ。有意味なこと・重要なことだけを喋る人間など、めったにいるものではない。

仮にいるとしたら、それは事務的な内容や数学の解法のような内容しか喋らない、ロボットじみた人間だろう。

 

少なくとも、「あいつらは内容の無いことばかり喋っている」などという、内容の無いことをペラペラ喋ったりはしない。

「コミュニケーションの内容」より「コミュニケーションしていること」のほうが重要

人間同士のコミュニケーションを振り返った時、そのコミュニケーションの内容が厳密に問われている場面は思うほど多くはない。

もちろん、報連相的なやりとりに際しては正確な情報伝達が肝心だし、そのためのトレーニングも必要だ。しかし日常会話の大半は、「コミュニケーションの内容」よりも「コミュニケーションをしていること」のほうが重要だ。

 

その典型が、「おはようございます」「お疲れ様です」「おやすみなさい」「よろしくお願いします」といった挨拶のたぐいである。

挨拶には内容は無い。昔は、“お早うございます”にも内容があったのかもしれないが、もはやテンプレート化している今では無いも同然だろう。

だが、進学や就職のたび挨拶の重要性が語られることが象徴しているように、コミュニケーションに占める挨拶のウエイトは馬鹿にできない。挨拶を行う意志や能力を欠いている人は、社会適応は著しく難しくなるだろう。

 

お天気や季節についての会話や、時事についての会話、女子高生同士のサイダーのような会話なども、しばしば「内容のない会話」の例として槍玉に挙げられる。

しかし、交わされる言葉の内容そのものにはたいした意味が無くても、言葉を交換しあい、話題をシェアっているということ、それ自体には大きな意味がある。

 

言葉には、一種の“贈り物”みたい効果があって、言葉を交換しあうことが人間同士に信頼や親しみを生みだす。というより、黙っていると発生しがちな、不信の発生確率を減らしてくれる、と言うべきかもしれない。

人間は、「私はあなたの存在を意識していますよ」「私はあなたとコミュニケーションする意志を持っていますよ」と示し合わせておかないと、お互いに不信を抱いたり、不安を抱いたりしやすい生き物だ。

だから、会話内容がなんであれ、お互いに敵意を持っていないこと・いつでもコミュニケーションする用意があることを示し合わせておくことが、人間関係を維持する際には大切になる。

「空っぽのコミュニケーションが好き」も立派な才能

だから、内容のなさそうな会話を楽しくやっている人達のほうが、内容のなさそうな会話を馬鹿にしている人達より、コミュニケーション強者である可能性が高い。

言葉を交わす行為をストレスと感じたり、嫌がっていたりしている人は、この、“贈り物”としての言葉の交換をあまりやらないか、やったとしてもストレスと引き換えにやることになるので、そのぶん、信頼や親しみを獲得しにくく、相手に不信感を持たれてしまう可能性が高くなる。

 

対照的に、言葉を交わす行為がストレスと感じない程度に定着している人や、言葉の交換をとおして承認欲求や所属欲求を充たせる人は、ますます信頼や親しみを獲得しやすく、不信を持たれにくくなる。ということは、学校や職場での人間関係にアドバンテージが得られるってことだから、「空っぽのコミュニケーションが好き」は立派な才能である。

 

こうした言葉を交わす行為の効果は、いつも顔を合わせる間柄、日常的に顔を合わせる間柄においてモノを言う。

毎日のように顔を合わせて言葉を交わすからこそ、毎日の挨拶やコミュニケーションが大きな信頼や親しみを生む。逆に、そこらへんが不得手な人は、不信の芽を育ててしまいやすい。

挨拶も世間話もせず、飲み会にも顔を出さないような人は、遅かれ早かれ孤立する羽目になるだろうし、その孤立によって、成績や業績の足を引っ張られやすくなるだろう。

 

だから、「内容の無いコミュニケーション」「空っぽのコミュニケーション」を馬鹿にしている人は、何もわかっていない、と言える。

職場で最適なパフォーマンスを発揮し、チームワークを発揮していきたいなら、むしろ、挨拶や世間話を楽しんでいる人をリスペクトして、その才能、その振る舞いを見習うぐらいのほうが良いのだと思う。

 

もちろん、挨拶や世間話は出来るけれども業績や成績がまったくダメな人もそれはそれでダメだが、自分の業務や成績のことばかり考えたり、報連相的な情報伝達の正確さばかり気にしたりして、言葉の交換を軽んじているようでは、渡世は覚束ない。

「内容のないコミュニケーション」が上手になるためには

じゃあ、どうすれば「空っぽのコミュニケーション」が上達するのか?

一番良いのは、子ども時代から挨拶や世間話を毎日のように繰り返して、そのことに違和感をなにも覚えない状態で育ってしまっておくことだと思う。

毎日挨拶ができること・世間話を楽しむことには、文化資本(ハビトゥス)としての一面があるので、物心つかない頃からインストールしてしまっているのが一番良い。

 

だが、一定の年齢になってしまった人の場合は、自分の力でコツコツと身に付けていくしかない。

その際には、会話の内容や正確さだけでなく、言葉を交換すること自体にも重要な意義があることをきちんと自覚し、「こんな会話になんの意味も無い」などと思ってしまわない事。

それと、そういう会話を上手にこなしている人達を馬鹿にするのでなく、社会適応のロールモデルとして、真似できるところから真似ていくことが大切なのだと思う。

 

そしてもし、今の職場で挨拶や世間話をする機会が乏しいとしても、そのままほったらかしにしておかないほうが良い。

世の中には、挨拶や世間話をする機会が乏しく、業務上の報連相的なやりとりばかりの職場も存在するが、それをいいことに言葉の交換をおざなりにしていると、じきに「空っぽのコミュニケーション」ができなくなってしまう。

そのような人は、職場以外でもどこでも構わないから、挨拶や世間話を実践して、「空っぽのコミュニケーション」ができる状態をキープしておいたほうが良いと思う。

 

いざ、「空っぽのコミュニケーション」が必要になった時、慣れていないととっさに出来ないし、できなくなってしまった状態でできなければならない場所に参加した時にはすごく困ってしまうからだ。
──『シロクマの屑籠』セレクション(2017年5月7日投稿)より

 

 

 

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(2025/12/24更新)

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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