GWのようなまとまった休みには、子どもたちと一緒によく出掛けた。
といっても観光地や大都市には向かわない。GWは駅も高速道路も混雑し、疲れる割に楽しめないからだ。
それより好ましく感じられるのは、近場でお金のかからない、けれども身体を動かし五感を刺激するような遊びだ。
今の季節だと田んぼにはゲンゴロウやミズスマシがいて、さまざまな種類の蝶も舞っている。実家近くの海では、のしのしと歩くアメフラシを捕まえることもできる。
アメフラシを不気味がる人もいるけれども、よく眺めるとカタツムリに似た姿恰好をしていてかわいげがあり、そっと触れるぶんには紫色の色素を放出することもない。
子育てには、子ども時代をもう一周できる特典がついてくる
「子育てをしてみて良かった」と思うことは色々あるけれど、そのひとつは「もう一回子ども時代を追体験できること」だったと思う。
「子どもの遊びをもう一周させてもらえる」というか。
社会通念上、子どもの遊びとみなされていることを大人が堂々と再体験できるチャンスを子どもはくれるのだった。
たとえば虫取り網を持って里山を巡ること。
私の子ども時代に比べると、里山の昆虫も少なくなり、地球温暖化のために夏休みの昼間に外で活動するのは不可能になっている。
平野部では、一番暑い時間帯になると蝉たちも鳴くのをやめてしまい、死の世界のようになってしまう。
が、GWの頃はこの限りではないし、夏でも朝夕には狙い目の時間帯がある。
日本社会では、虫取り網を中年男性が振り回しているのは奇妙なこととみなされている。中年女性が振り回していても同様だろう。
ところが子どもと一緒に虫取り網を振り回すぶんには、気にしなくてもいい!
高いところにとまっていて子どもには手が出せない蝉などは、大人の出番だ。時を越えて虫取りのスキルが蘇る。

子どもと虫取りをしていてなにより嬉しいのは、子どもがトンボや蝶をキャプチャーした時に目を輝かせる様子がみてとれること、その繰り返しをとおしてみるみる上達していくことだ。
たとえば子どもが初めてキアゲハをキャプチャーし目を輝かせる時、脳内ではドーパミンが遊離して報酬系がドライブしている。
単にうれしいだけでなく、それが(この場合は虫取り網を使う時の)技能習得にも繋がっていく。
このことは虫取りに限らない。
子どもと生活していれば、そうしたことが生活の全方位・全場面で起こり続ける。
初めてのソフトクリーム、初めての運動会、初めての新幹線。なにもかもがそんな調子だ。
勉強も、子どもをとおして追体験できる。
小学校の授業では『スーホの白い馬』や『ごんぎつね』が登場し、中学校の授業では化学式や天気図が登場した。
高校なら古文や対数関数、種類が増えてきて手ごわくなった英単語やイディオムたちだ。

子どもと教科書や参考書をシェアしてみると、忘れてしまっていたことや間違って覚えていたことが幾つも見つかり、それも面白い。
コロナ禍で学校授業がストップしていた頃は、私が自宅で授業をやった。昭和時代に受けた授業を思い出しながら、どうやって子どもの集中力を教科書に向けるのか、学習指導要領に妥当するかたちにやるのか、自分なりにあれこれ考えた。
それは、煩わしい時間であると同時に豊かな時間だったと思う。
子どもがいなかったら、こんな時間は絶対に過ごせなかった。
乳幼児期から思春期までの少なくとも一面を、駆け抜けるように再体験させてもらったと感じている。
人生はライフコースではなくライフサイクル、そしてライフチェーンだ
子どもと過ごし、親の立場から子ども時代を追体験すると、人生が死に向かう直線的なものではなく、円環的なものとして捉えられる。
人生をライフコースと呼ぶのは適切ではなく、ライフサイクルと呼ぶのが適切だとも感じられる。

発達心理学の古典であるE.エリクソン『幼児期と社会』には、上掲のような年齢ごとの発達課題を示した図表が登場する。
”幼児期には幼児期の、思春期には思春期の、前期成人期には前期成人期の発達課題がある”といった趣のこの表は、エリクソン自身の記述とはちょっと違ったかたちで一人歩きしてきた。
つまり、上掲の右側で×をつけて否定したように、彼の発達課題の図表を見て、人生の発達課題は階段状で、ひとつの段階をクリアしたらそれっきりの不可逆な進行だと考える人は少なくない。
だがエリクソン自身は、それぞれの時期の発達課題はあくまでその年齢における中心的課題であって、左側の図のように、それ以前~それ以後にも発達課題が潜在していて、まったく無視できるわけではない、といった風のことも述べている。
たとえば乳児期の発達課題は「基本的信頼」を母親(的養育者)との間で構築していくことだが、実際に子どもを育ててみると、1歳に近づく頃には次の発達課題である「自律性」が始まりつつあるのが感じられる。
あるいは前期成人期の発達課題である「親密さ」がうまくできるか否かは、それ以前の課題である「アイデンティティの構築」や「勤勉さ」や「自発性」などがどれぐらいできていたかにかなり左右される。
だから前期成人期における「親密さ」はその年頃の中心的かつタイムリーな課題として受け止めるぐらいが穏当で、それ以前の発達課題が無視できるようになったわけではない、と読むべきだろう。
そのうえ、親が子どもに関わっていると、親の発達課題が子どもの発達課題をとおしてリフレインされる。(下図)

上掲は、思春期の学生とずっと年下の幼児と祖母の発達課題が、それぞれに重なり合いながら進行しているさまを示したものだ。
たとえば子どもがまだ乳幼児期の頃には、親は親の立場から乳児期や幼児期をリフレインする。
このとき、親は乳幼児期を親の立場から追体験するだけでなく、親自身の「基本的信頼」や「自律性」や「自発性」の達成具合が子どものそれらの達成を助けるのか、それとも妨げるのかにかかわる変数となるだろう。親自身の乳幼児期の達成や未達成は、子育てにはなんらかのかたちで忍び込んでくる。
地域共同体や血縁共同体が健在だった頃は、親自身がそのように問われる度合いは低かっただろう。
なぜなら子育てはもっと集団的な営みだったからだ。
しかし核家族化が進んでいる現在は、親自身の発達課題の達成度合いは子どもの発達課題の達成難易度を相当左右するだろうと私は推定している。
図表のように、祖父母が健在なら、ここに祖父母までもが関わってくる。
祖父母が孫と一緒に過ごす時、彼らは半世紀以上前の子ども時代を、いわば三度目のものとして体験する。
老年期の発達課題は「統合」といわれ、やがて死んでいく自分自身と死後も残されるはずの世界とのつじつま合わせ的な一面もある。
そのつじつま合わせの作業に、三度目の子ども時代、ひいては自分よりもずっと未来を生きていく孫世代との関わりが果たす役割は小さくないように思える。
エリクソンの論述どおりに考えるなら、子どもの幼児期は親の幼児期でもあり祖父母の幼児期でもあり、世代間のかかわりをとおして人生は円環の理をなしている、ということになる。
乳児期や幼児期、ひいては子どもの時間全般は、子ども自身のものであると同時に親のものでもあり、うっすらと祖父母のものですらある。
元来は、そこに境目などなかったはずである。
だから、子ども世代、親世代、祖父母世代の人生はライフコース的ではなくライフサイクル的で、もっと言えばライフチェーン的だったはずなのだ。
子育てをとおして子どもと親と祖父母、それぞれの人生は接続しあい、グルグルと円環運動を続けてきた。
資本主義や個人主義に根差した人生観が直線的かつライフコース的であるのに対し、子育てにフォーカスした人生観はライフサイクル的・ライフチェーン的だ。
エリクソンを批判して「人生はライフサイクルではなくライフコースだ」と言い放った人々は、このことを忘れているか、忘れたふりをしようとしているように思う。
人ひとりの人生は一度きりだが、世代が連なれば人生はチェーンのように連なる。
地域の繋がりなどがあれば、その連なりは血縁の枠組みを越えて、横にも広がるだろう。
子ども時代は、形を変えて何度も蘇る。
子育ては、この、生物としての人間にとって当たり前だったはずのことを思い出しやすい活動で、自分の人生の過去と現在、それから死後の先の未来についてまで展望させる。
もし、このようなビジョンが昨今の思想的潮流のなかで忘れられているとしたら、大変な損失であるように思う。
現代人はもう一度、ライフサイクル、ひいてはライフチェーンをなんらかのかたちで思い出さなければならない。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

Photo:Braedon McLeod




