アーティストによる政治的発言は嫌がられる
こちらのツイートから始まる一連の流れが話題となっていた。
「アーティストの政治的発言」が嫌がられるのは「立派だと思っていた人が間抜けたことを言っているのを見たくない」というのが大きいよね。そして素人の政治発言なんて見る人が見ればヌケてるのが当たり前なんだから、これはもうどうしようもない。
— どうぐや
(@1098marimo) April 30, 2020
昔から語られるテーマではあるが、真面目に考えると実際どうなんだろうと思ったので書いておく。
この主張の理由付けとしてよく言われるのは、
・一芸に秀でる人間が他の分野でもそうだとは限らない(モチはモチ屋派)
◦ 政治には複合的・多面的な専門性や利害の調整が必要で、むしろ他分野より難度が高い(賢人政治派)
◦ 著名なアーティスト往々にして多くの時間と労力をそこに費やしており、むしろ他分野については一般人より無知になりがちである(所詮芸人派)
・そんな無知な姿をワシャ見とうなかった(いい想い出でいて派)
・アーティストには生々しい世界とは別でいてほしい(分離主義派)
◦ アーティストは世事に首を突っ込まず芸を磨くべき(一意専心派)
◦ 自分と違う意見だったらそのアーティストの作品を素直に愛せなくなる(信じてたのに派)
◦ ファンとの「共感」やファンの気持ちの代弁者としての機能に支障が出る(プロデューサー派)
・誰かが専門外の分野で不釣り合いな影響力を発揮すること自体が望ましくない(今オメーの出番じゃねえから派)
◦ 著名人は影響力を不可避に持ってしまうのだから高いモラルと見識が求められてしかるべき(ノブレス・オブリージュ派)
あたりだろうか。
いずれもそれなりの理屈があり、また問題点もある主張である。
個人的には
「他者に自らの期待を押し付けるべきではなく、また仮に善意からであってさえ、他者に政治的発言を避けるように促すべきでもない」
と考えるが、この考えにも人により異論があるだろう。
アーティストなんて俺よりバカなんだから
上に挙げた個別の主張にここで深入りはしない。
ただまとめて眺めてみると気になることがある。
何故みんな、アーティストによる政治的発言がバカな内容であることを所与の前提としているのだろう?
元のツイートに戻ると、「素人の政治発言なんて見る人が見ればヌケてるのが当たり前」と言う。
これは否定できない。*1
素人が突如MECEで理路整然とした政治発言を発し始めたら普通驚く。
ただ妙に引っかかるのは、このアーティストは政治的発言を避けろという言説群には
「ただの素人なんだから」を超えて「アーティストなんて俺よりバカなんだから」
という共通の認識がどこか透けて見えることである。
そうなのだろうか?
一般的なネットユーザー(もしくは、その中でもネットで活発に発言する層)より、一般的なアーティスト(もしくは、その中でも政治的発言をするアーティストたち)は政治的テーマに関して概ねバカなのだろうか?
どうもそういうことがありそうには思えない。
結論を先に書いてしまうと、
明らかな事実誤認や論理的飛躍を除けば、アーティストによる政治的発言は、見る人が見なくてもヌケてるように「見えて」しまうのだろう。
政治発言をしたアーティストとそれを批判するネットユーザーとの間には、非対称性がある。
アーティスト側は手札を先に晒すのに対して、批判者は後攻で、多勢であり、しかも大概の場合短文で批判を投げる。
この短文ってのが良くなくて、実のところ「その主張は◯◯の部分が□□だろバーカ」とだけ投げるのは猿でもできる。
何故なら政治や議論が発生するのはごく単純化するとメリット・デメリットがそれぞれある手法のいずれを選択するかなので、そのデメリット部分を指摘するのは単純な事実確認でしかないからである。
また、議論の枠組みを設えたのは先に発言した側であり、批判者はテーマ設定の面でも相手に依存している。
ところが批判者はこの場面で、相手の主張と自分の短文を等価に見てしまう。
ここには大きく3つの原因がある。
1.自分に関するものを過剰に重要と感じてしまう心理性向
程度の差はあれ、ほとんどの人に当てはまる。
2.曖昧な部分を理想的な内容であるかのように勝手に脳が補完してしまうこと
これは絵描きさんが遭遇するといわれる「ラフではいい感じだったのに清書するとなんか違う」現象とよく似ている。
多くの人が当てはまると思うのだが(俺もそうだ)、ニュースや他人の意見をひと言ふた事で切って捨てている間は、自分が何かしらのよっぽどマシな意見を持った人間であるように感じているものだが、気のせいである。
3.批判集団と自己との混同
著名人の意見への批判が基本的に多勢から繰り出されることに基づく混同。
誰かの意見表明に批判コメントがずらりと並んでいると、自分が書き込んだのがその中のたった数文字であっても、周囲のコメントが自分の意見を補強しているように錯覚する。気のせいである。
いずれも誰にでもある認知の歪みだ。
ごく短い文面によって他人を批判しているとき、このような認知の歪みに人は気づきにくい。
実際、Twitterあたりで精々100字前後の短文を投げているだけの間は意識されない。
ところがきちんと他者を説得できるよう自らの主張をまとまった文章にし始めると、途端に何も書けなくなったり、自分の意見が陳腐化したように思えてくる。
1,000字、3,000字、10,000字という文量で論じようとしてみると、自分の意見の穴や論理的飛躍・矛盾、知識の不足、あるいは論として成り立たせるだけの思考の厚みがないことに、否が応でも気付かされるからである。
そうした過程を経ず、反論もされない状態で他人の意見にケチをつける活動を続けていると、自らの意見の強度についての認識が客観的な評価とはどうしてもズレていくことになる。
まして我々が普段相手にしている(と自分の中では思っている)のはそれなりの知見を備えていたり、ネット慣れした人物たちの論である。
それと比べるとアーティストたちの場馴れしていない政治的発言は、いかにも稚拙で舌足らずに見える。
実際には彼らの言明のもつ強度が我々の大多数とさして変わらないレベルであっても、である。
我々は自らを過大評価する
我々は自らを過大評価するし、ネットで見かけただけの専門的知見をいつのまにか自家薬籠中の物であるように思い込んでいるし、ときには両立しない意見の二刀流さえ繰り出したりする。
無反省にこういった振る舞いを続けることも本人の自由ではある。
だが、多くの人はこうした態度が倫理に、もしくは美学に反すると感じるのではないだろうか。
定食屋の据え付けTVに説教するおっさんを見て敬意を抱く人間はそういない。
おっさんにならないためにはどうしたらよいのだろう?
無意識な思い込みを完全に避けることは難しい。
だから、自省につながるフックを作っておこう。
「気をつけよう」で解決しない問題への対応のセオリーはやはり仕組み化である。
具体的には、一例だが、誰かに批判や反論をしたり、対立意見が想定される説を論じるときは、字数制限のないプラットフォームで、少なくとも相手と同程度の文量で論じるようにするとよいだろう。
量は質を担保してくれる(保証はしてくれないが)。
ブログであればコメントフォームも開いておくとよい。
認知の歪みの1に挙げたように、そもそもあなたの論など誰も見向きしないかもしれないが、少なくとも多少身は引き締まるだろう(タレブ流に言えば、「身銭を切れ」)。
*1
細かいことを言うと、この構文自体がそもそも論理的に否定できない。何故なら同語反復だからである。
「見る人」とは誰か。素人の政治発言のヌケてる箇所を指摘できる人物である。
だから元文が意味しているのは「素人の政治発言なんて素人の政治発言のヌケてる箇所を指摘できる人物が見ればヌケてるのが当たり前」である。そりゃそうだろう。
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再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは【ご視聴方法】
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数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する - 6. まとめ(5分)
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)
【プロフィール】
著者:dudihan
文教市場ではたらく妻子持ち30代サラリーマン。
福岡県出身。
Photo by Maria Oswalt on Unsplash