僕はかなりの重度のグルメ偏愛家なのだが、ずっと長い間解けない疑問があった。
それは「なぜ一部のプロは、傑出して美味しいものを作れるのか」である。
レシピが同じで、使う食材も同じ。
それでも料理というのは明らかに”その人の味”になる。
味に個性がでる程度ならまだしも、”旨さ”そのものが根本的に次元の異なるものになる事すらある。
これは誠に非科学的な話である。
これは長らく”センス”の一言で片付けられてきた。
おそらく調理工程中の細かい事が蓄積していった結果ではあるとは思うのだが、その細かい事がウヤムヤしてて、具体的に何がどう違うというのがわからない。
が、今回、ようやくその秘訣を解き明かす機会を手に入れたので、今回はその話をしようと思う。
触りだけ簡単にいうと、トッププロの料理は一貫性がハンパないのである。
新型コロナウイルスの影響で、シャレにならないコンテンツがインターネット上に爆誕した
この動画は白金にあるラ クレリエールというミシュラン一つ星フレンチレストランのシェフ柴田さんの手によるものだ。
実はこのお店、知る人ぞ知る、いま一番東京で熱いフレンチレストランである。
僕はお店がオープンしてから今に至るまで何度も訪れているのだが、一度たりとして期待を裏切られた事はない。
それどころか毎回予想の斜め上をいく満足感を覚えて帰るという、非常に数少ない店のうちの一つであり、東京でも指折りに美味しいお店である。
そういうレベルのお店のシェフが、新型コロナウイルスの影響で営業を自粛した事もあって、Youtubeで動画を公開することとなった。
これは正直エラい事である。
普通、このレベルのシェフはまず間違いなくこういう事はしない。
その普通なら絶対にありえない事がおきているのだから、本当にコロナ禍というのは恐ろしい。
この動画の何が凄いのかを一言でいってしまうと、それはレシピ選びから盛り付けにいたるまで、一刻たりとも気を抜かないで”料理に全力であり続けている” のを全部ロジカルに言語化してシェフが語り続けている部分にある。
これだけだとわかりにくいので、もう少し具体的に話をすすめよう。
同じ豚肉の生姜焼きを作るにしても、素人とプロはこんなにも違う
例えばだが、豚肉の生姜焼きを作るとしよう(注・実際には豚肉の生姜焼きを作る動画はないです)
普通の人ならレシピをみて、食材を切って、炒めて、味付けして完成である。
素人がやると、これら一個一個の動作はバラバラである。
もっというと、動作と動作の間に繋がりがないし、何のためにこれをやるのかの目的意識がない。
それをトッププロがやるとどうなるか(以下、全ての動画に共通する核となる部分を僕なりに要約して説明する)
まずレシピをみて「この料理はどういう料理なのか」というレシピ本来の持つポテンシャルや味の方向性を見定める。
そして料理の味の方向を引き出すために、どんな食材を用いるべきなのかを食材に対する膨大な知識量を元に選定する。
下処理だって全然気を抜かない。
例えば野菜は繊維の方向性を見定めて、均一な火の入り方をするために大きさをほぼ揃えて切るし、盛り付けた際の見栄えの良さの演出の為に、美しく切らねばならない。
調理だって、プロは常なん時も最も美味しい状態に料理をもっていかねばならない。たまたま美味しく出来たは完全にNGだ。
だから調理中も、食材の色や状態を何度やっても同じに持っていくようにする。
例えば野菜を炒める時の音を常に”同じ音”にし続けるなど、目・耳・鼻など五感で手に入る全て情報をキャッチして、狙った味の方向性を出す事に全力を傾ける。
最後の盛り付けだって、気が抜けない。
料理は食べる順番で味が全然変わる。
たとえば最初に食べてほしいものを左手前に置いて、味の強いものは奥側に置くなど、どういう順番で食べたらこの皿が1番美味しいのかまで考えて出す。
一流レストランの前衛的な盛り付けは、美しさだけではないのである。
一皿の中に詰められる情熱の量があまりにも違う
同じ豚肉の生姜焼きを作るにしても、素人とプロだとこんなにも作業の密度が違う。
全ての動作が”最も美味しくなる”に向かって集結し、自分がやっている動作の”なぜそれをするのか”に対する理解の度合いが全然違う。
ここまで見ている風景が違うと、そりゃ仕上がりも変わるわなぁと、本当にようやく僕は”美味しさの秘密”に納得した。
よくよく着目して欲しいのだけど、この動画は言語化してない箇所が本当に少ない。
例えばニンニクは”細く”みじん切りにしましょうとか、”美味しそうにちゃっと”炒めましょうみたいな、普通の料理動画ではよく用いられる感覚的な言語は一切ない。
全ての所作に、テキトーな箇所が本当に一つも無い。
料理に対する熱量が、本当に桁違いである。
とてもじゃないけど、素人にはここまで”美味しくなるため”の情熱を料理に与えてあげられない。
人が料理を美味しくするために、どこまで情熱を一皿の中に抽出できるのかの秘密がこの動画にはある。
背中で語られてきたプロの暗黙知が、全部惜しみなく動画で言語化されている
柴田さんの一連の料理動画は本当にこんな感じで最初から最後まで延々と「なぜ、これをするのか」が一刻も止むこと無く続く。
彼はたぶん修行時代から今に至るまで”もっともっと、美味しく作れるんじゃないか”という意識を常に持って料理をし続けているのだと思う。
「これはこういうもの。理由?そんなの昔からそうだと決まってるからだ」
こういう非論理的な説明はこの動画には一切ない。
「なぜ、こういう風に料理をするのか。それはこういう理由があるからだ」
この動画は、本当に全てが全てそんな感じである。
僕はいままで何度も何度も料理番組をみたことがあるが、ここまで徹底して言語化して語ってる人を本当にみたことがない。
そのロジック化された概念を用いて、彼は”フランス料理”という路線を絶対に踏み外さずに「自分の目指す美味しさ」を表現する。
彼は動画の冒頭で「誰でも簡単に作れる」というが、これは彼が動画で解説しているロジックを用いれば、同じような味わいに誰でも持っていけるはずだという事を恐らく意味しているのではないかと僕は思う。
つまりこの動画はガチプロの暗黙知が最初から最後までミッチリつまったもので、単なる文字で書かれた無味乾燥なレシピを遥かに超越したものなのである。
この動画には料理を美味しく作るための原理原則がみっちりつまっている。
だからみていて本当に飽きない。
レシピとお皿の間にあるもの
かつて十皿の料理という本を読んでいたときのことだ。
この本は日本フランス料理会の伝説であるコート・ドールの斉須 政雄さんが書かれたものだ。
お店で実際に出されている御料理のレシピと共に、その料理が生まれた背景を説明するもので、読んでいて非常に面白い一冊となっている。
この本の読後感は物凄く奇妙だ。
語り口が物凄く軽いので、いかにも自分でも作れそうな感じを醸し出しているのに、その一方で”絶対に自分では一品たりとも作れる気がしない”のである。
例えるなら目的地は見えているのに、自分では絶対にソコにたどり着けない感じとでも言おうか。
いったい、この感覚はなんなんだろうとずっと長いことを思っていたのだが、僕はやっとこさこの動画をみて疑問が氷解した。
レシピと御料理の間に、こんなにも”書かれていない”大切な事がたくさんあったのである。
僕には、フランス料理に対する愛も、食材に対する思いも、下ごしらえや調理のロジックや技術も、そして盛り付けの目的も、なにもかもがない。
そんな人間が、レシピをみただけで料理を作れるはずがないのである。
レシピの実際にお店で食べるお皿の間に、こんなにも語られる事のない情熱が詰まっているだなんて。
頭で少しは理解していたつもりだったが、改めて動画で内幕をみて、その凄みにただただ圧倒されてしまった。
と、同時にまたレストランでのお食事への愛が深まった。
こんなにも凄いプロの技術が詰まった御料理を、しっかりとしたカトラリーを用いて、素敵な空間で食べる喜び。
コロナのせいで失った、レストランでの贅沢な時間。
また美味しいお食事ができる日が、いつか戻ってきてくれたらよいのだけど。
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都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
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