こんにちは。株式会社わたしは、社長の竹之内です。
前回、私達のAIの技術的な特長は、論理の破綻を、意図的に論理の塊であるコンピューターにやらせることだと書きました。
笑いの種は「論理の破綻にある」そう考えました。
では「論理の破綻」とは何か。
そう一口で言われても、わかりにくすぎますよね。今回は論理の破綻について、解説を加えようと思います。
喩え話をしましょう。昔、こんな大喜利を見かけました。(出典:『第4回大喜利大賞典』(発行:たさゴー本舗 ))
お題:「こんなコンビニはローソンだ」(作者:俺スナさん)
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回答:「すぐそこでもないし、あなたとコンビにもなれないし、いい気分にもならない」(作者:いろんな布さん)
秒速でツッコミができると思います。
野暮ですが、これを紐解くと
「サンクスではなく、ファミリーマートではなく、セブン・イレブンではないコンビニ」がローソンである、と言っているわけです。しかし、この言明は
「すでにコンビニエンスではないローソン」
を示しており、ローソンであるはずがありません。
この言明は論理的に破綻している。これが面白さのタネです。
さて、これをもうすこし詳しく説明するとどうなるのでしょう。論理的に破綻している、とは「論理的に整合していない」という意味です。
逆に言えば「論理的に整合している」とはどういうことかを知らなくてはなりません。
そして、「論理的に整合している」とは、専門的に言えば「内包と外延が等しい」ということです。内包と外延は専門用語ですが、概念は簡単です。
内包・・・対象に共通な性質
外延・・・具体的な個物
したがって、コンビニエンスストアの内包と外延は、以下のようになります。
この内包と外延の関係を「双対性(そうついせい)」といいます。
内包と外延は、同じ概念を違う表現で表した裏表の関係、ということです。
すなわち、同じ概念を表しているはずなのに、「双対性」がない状態に「論理の破綻」が存在します。
上の例では、ローソンはコンビニエンスストアであるはずなのに、すぐそこになく、あなたとコンビになれず、いい気分になれない……。
それこそが「笑いのタネ」の正体です。
したがって、AIへのプログラムによる「論理の破綻」の実装はすなわち、「双対性をどうやって意図的に壊すか?」が核心となるのです。
ここで登場するのが、前回触れた郡司ペギオ幸夫さんの一連の研究、「内部観測理論」です。そしてそこでは「双対性にどうしても矛盾が出てしまうものの取り扱い方」が論じられているのです。
例えば、科学の世界では、未だにその概念をどう扱っていいのかすら分かっていない問題というものが沢山あります。それは、生命、時間、意識やクオリア、言語、発生、発達、秩序、起源・・・、といった問題です。
こう言った問題の論理的な体系を構築しようとする場合、当たり前ですが理論の中で使用される概念の「内包」と「外延」も無矛盾に定義されなければなりません。
しかし、対象を記述という形で理解しようとした途端に、論理的に問題ないはずの理論は逃げ水のように、目の前から遠ざかって行ってしまいます。おかしい所を排除しながら構築したはずの理論やモデルが、その内側から壊れていることが明かされてしまうのです。
具体的には、
・シンボル・グラウンディング問題 etc
など、これらは科学の突端で現れる、不可避なパラドクスです。
これらは抽象的な概念だから扱えないというわけではなく、真剣にこの問題系を扱おうとすればするほど、その困難さ=アポリアが深まっていってしまう問題なのです。
こういったパラドクスを、肯定的に転回しようと試みるのが、郡司ペギオ幸夫さんが提案される「内部観測理論」*1です。
誤解を恐れず、大胆に「内部観測理論・モデル」のエッセンスを表現するならば、矛盾を生み出してしまう2つの概念間のインターフェイスを動的に更新し続ける、となるでしょうか。
「かつAND」と「またはOR」、内包と外延、部分と全体、のような双対の概念を、意図的に混同したり、取り違えたりさせてしまうのです。
具体的な例を上げましょう。「運動会」という単語を知らない子供に、それを教える状況を想像してみてください。
ひとつの方法は、A小学校の運動会、B小学校の運動会、C小学校の運動会、といったように世界の運動会をひとつひとつ見せていきます。
別の方法は、「運動会とは、校庭を使って体育の授業で教わる運動で一等賞を決めることだよ」と説明してあげることもできます。
前者は「外延」的な教え方、後者は「内包」的な教え方です。
ところが、ある忙しい日、「運動会とは何か?」としつこくせがむ子供を鬱陶しく思い、
「汗かくことだよ!!」
と言い放ってしまったとします。
これは明らかにおかしな説明で、子供は誤った「運動会」の理解をしてしまうと考えるのが妥当でしょう。
ただ、こう言われた子供は、大人ならば知っている「義務教育ゆえの運動会のやらされている感」ということを、「汗かくこと」によって理解することまで可能なのです。
これはあくまでも分かりやすい例ですが、こうした論理的には破綻しているが、それゆえに、論理の外側から持ち帰る「何か」が生まれるような工夫を、私たちの大喜利AIのいくつものインターフェイスに実装しようとしているのです。
*1
内部観測理論を平易に説明するのはあまりに難しいことです。(万が一、ご興味があるという奇特な方がいらっしゃいましたら、竹之内が書いた文章がこちらにありますのでご参照ください)
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