ここ数日、仕事もそこそこに『Bioshock Infinit』で遊んでいた。
舞台は1912年、謎の超技術で作られた空中都市「コロンビア」を冒険するアクションゲームだ。
面白いのは、この都市が極めてアメリカ的なスローガン(※自由、進歩、市場、etc)を掲げながら、実際には独裁者に支配された全体主義的な世界として描かれていることだ。
ここに、ゲーム制作陣のブラックユーモアを感じる。
「●●主義」とか「××思想」とか、政治哲学の用語なんて結局は〝建前〟にすぎない。時の支配者の都合にあわせて、どうにでも解釈を変えることができる。
アメリカ独立宣言で「すべての人は平等に創られている」と唱えながら、同時に黒人奴隷と白人至上主義を肯定する――。そんな矛盾だって、簡単にごまかすことができる。世界観設定を行った人の皮肉っぽい笑みが目に浮かぶようだ。
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なぜこんな話をするかといえば、インターネットを見ていると、しばしば、明らかに右翼的な価値観の持ち主なのに「自分は左翼だ」と称する人を見かけるからだ。
たとえば権威を重視し、個人の自由よりも社会の秩序を優先する。外敵の脅威に恐怖して、軍事力の強化を声高に叫ぶ。そんな人が、しばしば「左翼」を名乗っているのだ。
なんか、変じゃないか。
そういう人たちの書き込みをよく読むと、どうやら財政政策の拡大や社会福祉の充実に賛成している。この点を以て、自分は左翼だと考えているらしい。
やっぱり、なんか変だ。
そもそも私は「右翼/左翼」という括りそのものが時代遅れだと思っている。
なぜなら歴史の中で、この言葉はお互いを罵倒するためのレッテルとして使われすぎたからだ。
時代が変われば、政治の課題も変わり、具体的な政策も変わる。ある時代には「右翼的」だった政策が、別の時代には「左翼的」だと嘲笑された。積極財政と緊縮財政のどちらを支持するか──のような政策面では、政治的立場の左右を定義することはできない。
政治的な立場を示すなら、もっと使いやすい軸を使うべきだ。この話は、以前にもブログに書いた通りだ。
▼そろそろやめませんか?「右翼/左翼」「保守/リベラル」って分類は。
http://rootport.hateblo.jp/entry/20140216/1392564877
ところで最近、さる事情からチャールズ・ダーウィンの生涯について調べている。ご存知の通り、『種の起源』で現代的な進化論を確立した自然科学者だ。
で、その調査の副産物というか何というか、1820~30年代のイギリス政治がすこぶる面白いと分かった。1809年生まれのダーウィンにとって、思春期から青年期を過ごした時代にあたる。
現在でこそ偉大な科学者として名高いダーウィンだが、若いころは箸にも棒にもかからない──言葉を選ばずにいえば──デクノボウだった。
医者だった父親からは跡を継ぐことを期待されたが、外科手術が怖くて(※当時はまだ麻酔がなかった)医大をドロップアウト。将来とくにやりたいこともなかったので、田舎の牧師を目指すことにした。
牧師になれば、教会から給料を受け取りつつ、大好きな狩猟を楽しみながら暮らせると考えたからだ。彼は現代的な「モラトリアム大学生」を約200年前に先取りしていた。
ケンブリッジ大学で神学を学び、無事に卒業。
しかしダーウィンは、すぐには働きたくなかった。探検家フンボルトの手記に感化されて、自分探しの旅に出たいと考えた。もちろん親のカネで。端的に言ってクズである。
そんな彼のもとに、英国海軍の調査船ビーグル号で世界を一周しないかという誘いが舞い込んだ。文字通り、渡りに〝船〟というわけだ。
しかし、この旅がダーウィンを変えた。1831年から5年間の船旅を経て、彼は自然科学こそが自分の進むべき道だと決意。また英国の科学界からは、将来有望な研究者として認められるようになる。
ダーウィンにとって人生の転機になった時代。
それが1820年代末~1830年代初頭だ。
では、当時のイギリス政治がどうなっていたかというと、大荒れに荒れていた。イギリスは17世紀の清教徒革命と名誉革命を経て、いち早く立憲制・民主制に目覚めた国だ。しかし、それから約150年、さすがに制度が疲弊しきっていた。
とくに問題になっていたのは、「腐敗選挙区」の存在だ。
当時の選挙区は人口減少を反映しておらず、地域によっては10人未満の有権者によって議員が選出されてしまう状況になっていた。そういう選挙区では、当然ながら地元の有力者やその息子、親族、友人に議席が譲り渡されることになる。あまりにも特権的で代表性を欠いてるため、選挙制度を改革すべしという声が上がっていた。
また、国外に目を向ければ、ヨーロッパ諸国では政変の嵐が吹き荒れていた。1830年7月には隣国フランスで「七月革命」が起きた。
さらに8月にはブリュッセルで暴動が起き、ベルギーの独立革命に火が付いた。庶民の不満を無視すれば、いつ自分の国で革命が起きてもおかしくない――。そんな危機感がイギリスの上流階級にも広がっていた。
当時のイギリスは、トーリー党とホイッグ党が覇を競い合う二大政党制だった。
ざっくり説明すれば、トーリー党は保守右派。貴族階級の大地主を支持基盤にしており、国内農業を保護するような政策を取っていた。
宗教的には不寛容で、カトリック解放運動に反対していた。(※イギリスはプロテスタントの国であり、当時はカトリック教徒に対して様々な差別的な制約が課されていた。これを変えようとするのがカトリック解放運動だ)
一方のホイッグ党は、大まかにいえば革新左派だ。当時のイギリスは産業革命の渦中にあり、都市部では新興の資本家が力を伸ばしていた。ホイッグ党の支持基盤はそういう商工業者であり、自由市場や自由貿易を求めていた。宗教的には寛容で、カトリック解放運動にも賛成していた。
(※なお、当時のイギリスで選挙権を持っていたのは成人男子のごく一部だ。普通選挙が実施されるのは、ずっと後のことである)
そして「腐敗選挙区」である。
選挙制度の改革を巡って、トーリー党は内部分裂を起こした。何を隠そう、少なくないトーリー党議員が問題の腐敗選挙区から選出されていたのだ。
反面、ホイッグ党は一貫して制度改革に賛成し、1830年11月には政権交代に成功。さらに翌年4月の解散総選挙で大勝を収めた。
興味深いのは、ホイッグ党政権下での社会福祉削減だ。
宗教的な博愛精神から、イギリスでは古くから「救貧法」が施行されていた。老人や病人、親のない子供を施設で保護し、さらに収入の少ない世帯には手当を支給していた。
ところが、貧民救済のために実施されたこの政策は、思わぬ事態を招いた。
どれだけ賃金を切り下げても差額を政府が支給してくれるので、資本家たちは労働者に安い給料しか支払わなくなった。また、貧民たちは働いても働かなくても収入が変わらないため、勤労意欲が大きく削がれた。救貧制度を維持するための税金負担は瞬く間に膨れ上がった。
結果、税負担を強いられた都市部の資本家や中産階級――ホイッグ党の支持層――は、救貧法に反感を抱くようになった。
自分たちが商売でカネを稼いでいるのは、怠惰な貧民を食わせるためではない。そんな意識が芽生えたのだ。
1834年、ホイッグ党政権下で救貧法は改正された。イギリスの社会福祉は大幅に削減され、手当は廃止。貧困層は保護施設での強制労働か、道端で野垂れ死ぬかの二択を迫られるようになった。
19世紀のイギリス政治を見ると、個別の政策で「右派/左派」を定義することがいかに無意味か分かる。
たとえば自由貿易について、当時の保守右派であるトーリー党は反対しており、左派であるホイッグ党は賛成していた。
では、ひるがえって現代の日本ではどうだろう? 自由貿易協定であるTPPに賛成していたのは「右派」と呼ばれる人々であり、反対していたのは「左派」と呼ばれる人々だったはずだ。2世紀前とは立場が逆転している。
社会福祉についても同じことが言える。時計の針を200年ほど巻き戻せば、右派こそが社会福祉や貧者救済を訴え、左派こそがそれに反対していた。
これが逆転したのは、19世紀末~20世紀に社会主義勢力が台頭したからだ。マルクスを敬愛する人々は、保守的な「右派」に対して、急進的という点で「左派」だと見なされるようになった。
そう、「保守」の対義語は「リベラル」ではない。
「急進」とか「革新」のほうが、その対義語としてふさわしい。
保守とリベラルは対立概念ではない(なかった)のだ。
さらに20世紀の終わりが近づくと、「右派」と目される人々が新自由主義(ネオリベラリズム)を主張するようになった。
イギリスのマーガレット・サッチャー、アメリカのロナルド・レーガン、日本の小泉純一郎元首相――。いわゆる「小さな政府」を理想とする勢力だ。
こうして、緊縮財政や社会福祉の縮小を肯定するのが「右派」、否定するのが「左派」という図式が出現した。
◆ ◆ ◆
たとえば「私は右翼だ」という主張には、しばしば「あんなのは本来の右翼ではない、かつての右翼は……」と反論が寄せられる。
「右翼」の部分を、他のあらゆる政治哲学用語に置き換えても同じことが言える。言葉の「正しい定義」について、私たちは過去に答えを求めがちだ。
では思い切って、200年前――近代が始まったばかりの頃に戻ってみたらどうだろう?
今まで見てきたように、ある政治的立場を特徴づける政策が、まったく逆の立場から主張されていたりする。個々の政策から政治的立場の左右を決めようとするのはナンセンスだ。
社会福祉を重視するからといって、左派になるとは限らない。たとえば世界で初めての国民皆保険制度を実施したのは、ドイツの鉄血宰相ビスマルクだった。
これは私見だが、「右派/左派」というのは、個別の政策のような具体的で合理的なものから導かれるものではなく、何というか、もっと、こう……感情的なものではないだろうか。
たとえば自由よりも秩序のほうが〝何となく〟好ましく感じる、権利よりも義務のほうが〝何となく〟重要だと感じる――。
そんな素朴な感情を出発点に、その人の政治的立場は築かれているのではないか。心理学者キャスリン・コーソンの調査によれば、右派的傾向にはある程度の遺伝性があるという。政治的立場は脳波で分かるという研究もある。
▼あなたがリベラルか保守かは、「気持ち悪い写真」に対する脳の反応でわかる(研究結果)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/30/maggots-reveal-liberal-or-conservative_n_6395006.html
モンタギュー教授によると、遺伝子が政治的な考え方に及ぼす影響は固定的なものではなく、ちょうど「身長の遺伝」と同じようなものだという。
つまり、「人の身長は遺伝によって決まるが、遺伝だけで決まるわけではない。人の最終的な身長は、栄養や睡眠、飢餓などで変わりうる。とはいえ、背の高い人の子供はやはり背が高い傾向があり、そこが出発点になると考えてもいいだろう」
政治的な立場は、純粋に理性的で論理的なものではなく、生得的な影響を大きく受けた感情的なものだ――。そう考えたほうが、色々と腑に落ちることは多い。
たとえば政治的な議論が簡単に罵り合いに発展してしまうのは、それが感情的なものだからだ。政敵の間違いを(論理的に諭すのではなく)嘲笑してしまうのは、それが感情的なものだからだ。たぶん。
ともあれ、積極財政や社会福祉の拡充を支持しているからといって、「左翼」ということにはならない。歴史が示す通りだ。
権威を重視し、自由よりも秩序を、権利よりも義務を、変革よりも伝統を重んじる――。そういう人が、無理して「左翼」を名乗る必要はない。むしろ保守右派の本道に200年の時を経て戻ってきたのだと、胸を張ってはいかがだろうか。
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