今日は連休らしい話題でいきましょう。

唐突な話ですが、私はワインが好きです。

シャンパーニュ地方やブルゴーニュ地方の、舌を噛みそうな名前のワインを一生懸命覚えたり、2005年のボルドーは素晴らしいヴィンテージで……などとブツブツ呟いたりするので、熱狂している=マニアと言っていいのでしょう。

百貨店で暇つぶしをしたい時も、ワインコーナーを眺めていれば30分ぐらいは楽勝です。

 

こういったマニアの道は、ワイン以外にもいろいろあります。骨董マニアならその筋の店からなかなか出られないでしょうし、読書マニアも大きな書店では時間を忘れてしまいます。

このbooks&appsの執筆陣の一人である高須賀さんに至っては、ワイン、読書、美食とマニアの道をまたにかけていて、大変なものです。人は何によって趣味に熱狂し、マニアになるのでしょうか。

 

「頭が良くなるワイン」が私を変えた

ワインに関する限り、たぶん正解らしい考えがあるので紹介してみます。

単に美味しいワインを望む人とワインマニアになってしまう人を隔てている分水嶺は、ワインによって五感を震わされたことがあるか否か、あるいは、「なんだこれは?!」と仰天するような心の躍動を感じたことがあるか否かではないかと私は考えています。

 

アメリカのワイン評論家、マット・クレイマーは、著書のなかでこんなことを書いていました。

たとえば、ワインの質をはかる最大の基準は「複雑さ」である。グラスについだワインに繰り返し戻るたびにさきほどとは違う香りや味に出あうことが多いほど、ワインは複雑だといえる。

きわめて優れたワインは人を圧倒するというよりは、無限の資質を感じさせるものだ。ワインに立ち帰るたびに、新たな感覚に心がときめきを覚えるのである。

私の知っている限り、ワインに心血を注ぎこむマニアは全員、ここで書かれている“心のときめき”を経験していて、愛しています。

ボルドーが好き・カリフォルニアが好き・シャンパーニュが好きといった細かな違いはあるにせよ、ワインの複雑さに無限の資質を感じ、そこに心のときめきを覚えているではワインマニアはみんな同じです。

 

ワインで心がときめく瞬間を私流に言い直すなら、“頭が良くなったような感覚”や“五感が拡張したような感覚”でしょうか。

ワインもアルコールの一種ですから、飲めば認知機能は低下するはず。

ところが本当に素晴らしいワインは、ひとくちふたくち飲むたびに味も香りも変わり、味覚や嗅覚が鋭敏になったような感覚をもたらします。

最初は香木のような匂いがツーンと立ち込めていたのに、一時間後には焼きリンゴやハチミツクッキーみたいな味と香りが爆発していた……なんてこともザラです。モノによっては、色調が変わっていくのを見てとれることさえあります。

 

そういったワインを目前にしていると、自分の嗅覚や味覚、ときには視覚の解像度までもがパワーアップした気分になって、自分の頭も良くなったような錯覚が起こります。

本当に凄いのはワインのほうで、自分は酔っぱらっているだけなんですけどね。

私は、この「頭が良くなったような感覚」をとある高級ワインで初めて実感して、それ以来、すっかりワインマニアになってしまいました。「頭が良くなるワイン」が、私を変えてしまったのです。

マニアは魔法の扉を持っている

思うに、こういった無限の資質との出会いや心のときめきは、他のマニアにも起こるものではないでしょうか。

たとえばビブリオ(書物)マニアな人でも、自分が手に取った学術書や小説にとてつもない何かを感じて、反芻するように読み返した経験はあるかと思います。

読書を通して、“頭が良くなるような感覚”をおぼえることだってあるでしょう。

“啓蒙”という言葉もありますが、実際、ある種の書物は人の蒙(目)をこじ開ける側面を伴っているものです。登山、器楽演奏、旅といった、もっと身体的なジャンルでも、その最中に無限の資質や心のときめきを感じ取り、もっと追求してみたいと思ったらマニアの始まりと言えそうです。

 

人が無限の資質や心のときめきを追いかける原因については、さきに引用した『ワインがわかる』にはこんなことが書かれています。

数十年にわたる実験心理学の知見によれば、人間は単純な図像と複雑な図像を好きに選べるとき、より複雑なもののほうに惹きつけられる。

光源パターン(単純な図形と複雑な図形)のばあいでも、同様な結果が認められる。さらに長期間にわたるさまざまな実験結果を踏まえると、人間はつねにより複雑な刺戟を求めることがわかる。(中略)

人間が根深く、複雑なものを志向する原因そのものは未解明であるが、これ以上立ち入らず、あとは美学などにまかせるとしよう。

どうやら私たちは不確実または予見不能なものを好む──あまり正確ではないが、より適切な用語を使うと「賞味する」──のである。

世の中のすべての人が、複雑なもの・奥行きが感じられるものに惹かれるのか、私にはわかりかねます。

ですが、なにかしらのジャンルに血道をあげているマニアに関しては、マット・クレイマーの言いたいことは、ある程度当てはまるのではないでしょうか。

 

ワインマニアなどが最たるものですが、マニアの道は、その道に入れ込んでいるわけではない人からみれば、「なんであんなものに血道をあげているの?」と不思議にみえるものかもしれません。

けれども血道をあげているマニアはきっと、そのジャンルのどこかに無限に資質を感じていて、心をときめかせているはずなのです。そして、より複雑で奥深い世界を覗き込んでは、恍惚の境地に辿り着いているのでしょう。

 

百貨店のワインコーナーをうろつくワインマニアも、書店で憑りつかれたような目をしているビブリオマニアも、傍目には、まあその、なんとなく不審な人物です。

ですが、もしそういう人を見かけたら、「きっとあの人は、心をときめかせる恍惚の境地を目指しているんだろうなぁ……」と思って生暖かく見守っていただければと思います。

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma   ブログ:『シロクマの屑籠』

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(Photo:Bruno Lotufo)