「笑いませんよ。笑うわけないじゃないですか。バカだなんてそんなこと、絶対ありません」
そう言われたわたしは、ちょっと泣いた。
笑われるかもしれない。手術を決意した理由
ちょうど2時間ほど前、ドイツ在住のわたしはNuklearmedizin、直訳すると核医学の専門医を訪れていた。
わたしはかれこれ2年以上、甲状腺疾患のひとつであるバセドウ病を患っている。薬を飲み続けてもよくなっていないから、3月に「手術を考えてみましょう」という提案を受けていた。
最初は「首を刃物できるなんて!」とガクブルだったわたしだが、結局手術を受けることにした。
薬を飲み続けると肝臓に負担がかかること。髪が毎日大量に抜けるから掃除が面倒くさいこと。階段を上がるたびに息切れすること。イライラしやすく時折なにもかもが嫌になること。
そういったことを踏まえて手術を受けることにしたわけだが、決定打は実はちがうところにあった。
「いや、バカな理由なんですけどね。あ、笑わないでくださいよ。わたし日本から来たんですけど、一時帰国したときに魚食べたくて(笑)」
医者に、こう言った。
いまわたしは、ヨード(ヨウ素)摂取制限を受けている。ワカメ味噌汁も昆布ダシのうどんもアウト。鮭やあじ、たら、かつお、海苔や和風ドレッシングなんかもダメだ。
つまり、食べられる日本食がかなり限られているのである。
9月、せっかく一時帰国するなら、好きなものを食べたい。だから医者にこう言ったのだ。
ヘラヘラと笑うわたしの発言に対し、医者は笑うどころか、こっちが驚くほど真剣にこう言い切った。
「笑いませんよ。笑うわけないじゃないですか。バカだなんてそんなこと、絶対ありませんよ」
それを聞いたわたしは、ちょっと泣いた。
他の人が笑っても、わたしにとって大事なこと
こう書くとわたしが大の魚好きのように思われるだろうが、そんなことはない。ドイツではまったく日本食を食べないし、魚なんて1年に1度食べるか食べないかだ。
それでもわたしは、どうしても一時帰国前に、ヨード摂取制限をクリアしたかった。
お父さんが釣ってお母さんが揚げたアジフライを食べたいし、友だちの結婚式で主役に気を使わせることなく料理を味わいたい。
ヨードを多く含むものを食べたいのではなく、家族、そして友人たちと楽しく、気兼ねなく食事をしたかったのだ。
冗談めかして言ったけど、わたしにとってはとても、とても大事なことだった。
それを理由に、手術を選ぶくらい。
だから医者が迷わず真剣な顔で「笑いませんよ」と即答してくれて、なんだかよくわからないけど、胸がいっぱいになった。
「ああ、この人はわかってくれたんだ」と。
本当の気持ちを隠す言葉の予防線
多くの人は、まわりからバカだと思われたくないし、変な人だと思われたくないと考えているだろう。
だから突拍子もないことを言うときや世間一般的にはおかしなことを言うとき、言葉の予防線を張る。
わたしにとって日本でのヨード摂取制限はかなりつらいことだが、「魚食べるために甲状腺摘出しまーす!」なんて言ったら、「どんだけ魚好きなんだよw」とツッコミが飛んでくるだろう。
だからわたしは、「バカっぽいですけど」と、予防線を張ったのだ。わたしにとって大事なことであるにもかかわらず。
そうすれば「どんだけ魚好きなんだよw」と茶化されても、「えーだって魚おいしいじゃーん(笑)」と返せるから、楽なのだ。
みんなが出来ることを出来ない人がいる
言葉の予防線は、自分が思っているよりももっと、日常のなかに溢れているのかもしれない。
「甘えてるって言われるかもしれないけど、朝、本当に起きられなくて……」
そう言った同級生は、しょっちゅう学校に遅刻して来ていた。早起きが得意で家族みんな早起きの家庭で育ったわたしは、「大変なんだね」なんて言いつつも、内心(いやいや起きろよ)と思っていた。
ところが修学旅行で、同室になった彼女が本当に起き上がれないところを目撃した。ゆすっても頬をぺちぺちしても、とにかく起きないのだ。なるほど、これはしんどい。
「ふだん、お母さんに起こしてもらえないの?」と聞いたところ、「朝起きたら家にだれもいないから」という答えが返ってきた。
たしかにその環境でこの体質なら、朝起きれないだろう。彼女は毎朝毎朝、わたしが想像できないほどの戦いに勝利して当校して来ていたのかもしれない。
彼女にとって「起床」は、きっと深刻な悩みだったはずだ。それでも大多数の人は朝問題なく起きれるから、「甘えかもしれないけど……」と予防線を張り、SOSを出した。
しかし問題なく朝起きられるわたしは、ちゃんと受け止めてあげなかった。
もしわたしが「甘えなんて思わないよ! 毎朝がんばってるんだね!」と力強く言ってあげれば、その子の心も、少しは軽くなったのかもしれない。
不安ゆえに予防線を張る人の言葉を受け止めたい
こういった予防線のことを「保険をかける」なんて表現をするが、保険をかけるということは、不安があるからだ。
受け入れてもらえるかわからない、笑われるかもしれない。
「察してほしい」というよりも、ただ不安な気持ちをうまく伝えられないとか、冗談めかしてじゃないと言いづらいといった理由で、言葉の予防線を張る。
本人が「バカっぽいけど」「甘えかもしれないけど」と言うと、言われた側は深く考えず、思わず「そうかもねー」なんて同意してしまうことも多いだろう。
でも予防線を張った本人は、「そんなことないよ」「大丈夫だよ」と言ってほしいのだと思う。笑わず、しっかり受け止めてほしいと、心のどこかで思っているんじゃないだろうか。
「無理かもしれないけど、がんばってみる」と言う人だって、本当に無理だと思っていればやらない。「たしかにむずかしいよねー」なんて言葉じゃなくて、「きっとできるよ!」という後押しを待っているのだ。
「くだらないことかもしれないけど、これが気になる」と言う人も、本当にくだらなければわざわざ言わない。
「本当にくだらないことだね(笑)」ではなく、「気づいてくれてありがとう、たしかに大事なことだね!」と言ってもらえればうれしいはずだ。
こういう一言が無意識に、そして即座に言えるような、そんな人間になりたいものだなぁ。
病院の帰り道、そんなことを考えた。
※病状やヨード摂取制限、手術については個人差があります。ご了承ください。
(2024/12/6更新)
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91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
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