こんにちは。コワーキングスペース「Basispoint」の運営会社、Ascent Business Consulting代表の北村です。

昨今、「働き方改革」の中で「自由な働き方」というキーワードを見かけます。

 

ただ、この「自由な働き方」というやつは一見労働者に利するように見えますが、実は曲者です。

というのも企業が唱える「自由な働き方」は二面性を持つからです。

 

つまり「自由な働き方」でより充実した生活を得る人が出る一方で、「自由な働き方」で、不利な条件で仕事をしたり、職を失ったりする人が出てしまいます。

なぜかといえば、企業においては「自由」は「成果をあげる責任」と常にセットだからです。

 

自由な働き方は、いつ会社に来てもいいし来なくても良い。副業をしようが、他で何をやっていようが会社は関知しません。

ただし、会社が求める、給与に見合った成果はきっちり出してね、という条件と引き換えに。

 

これが企業や経営者が唱える「自由な働き方」の実態です。

 

世の中には押し付けられた「自由な働き方」が向かない人がたくさんいる

ですので、世の中には「自由な働き方」を押し付けられても及び腰になってしまう労働者がたくさんいます。

 

例えば、自由な働き方の代表的著作である「フリーエージェント社会の到来」を著したダニエル・ピンクは

「自由の代わりの責任は大きく、プレッシャーに縮み上がってしまう人もいる」と書いています。

「フリーエージェントとして組織に雇われることなく、自由が手に入る。とてつもない自由が手に入る。それは大きな魅力だ」と、コンサルタントのマイケル・フォイヤーは、サンフランシスコのサウスパーク近くでサラダを口に運びながら言った。

「その代わり、責任も大きい。なにからなにまで、すべて自分で決めなくてはならない」。プレッシャーに縮み上がってしまう人もなかにはいるだろう。そういう人は責任を組織に押しつけて、代わりに自由と自分らしさを手放そうとする。

資本主義社会では果敢にリスクをとればより大きなリターンが見込めますが、能力や環境によって、必ずしも全員がリスクを取れるわけではないでしょう。

 

そして、更に大きな問題もあります。

一般的に、いち会社員のレベルにおいては、仕事で成果があがるかどうかは、必ずしも労働者の能力だけに依存するわけではない、という事実です。

 

例えば、マーケティングが弱く、商品力もない「ダメ企業」に在籍している人と、

マーケティング力があり、商品力もある「エクセレント企業」に在籍している人を比べたときのことを考えてみてください。

同様の能力を持つ者同士であれば、後者のほうが圧倒的に成果をあげやすいことは明らかです。

 

こうして「働いても報われない」「人を奴隷のようにこき使う」ブラック企業が出来上がります。

そして、ブラック企業のような組織が「自由に働いていいから、成果主義ね」と言うのは、単なる労働者へのリスクの押し付けです。

 

実際、企業が唱える自由な働き方は「マーケティングが強く、商品力もあるエクセレント企業」が「高い能力を持つ労働者を使う」ときにのみ、機能するのです。

例えば、下は企業が「成果あげていれば、自由にやっていいから」という制度を導入したときの結果です。

裏をかえせば、「ウチは自由な働き方だよ」と言えることはすなわち、

・私は優れたビジネスモデルの組織に在籍しており

・成果を出す能力もあります

という証明であり、一種のステータスでもあるのです。

 

もちろん、より高いリスクを取ることができる能力と胆力があれば、

「フリーランスとなる」

「起業する」

という選択肢も視野に入ってきますが、そこまでできる方はさらに少ないでしょう。

 

そう考えると、「自由な働き方」は羨望の的であると同時に、反感を買う理由もよくわかります。

「自由な働き方」を選択できる労働者が極めて限られている中で「自由な働き方をしています!」と叫べば、反感を抱く人が多いのも無理はありません。

 

普通の会社員でありながら「自由な働き方」を獲得するには

しかし、自由な働き方を手にするためには、本当に「優れたビジネスモデルの組織」に属するほかはないのでしょうか。

「自由な働き方はエリートのもの」なのでしょうか。

 

外形的にはそうかも知れません。

「自由にやっていいよ」という制度を持てるのは、余裕のある、良い会社だけだからです。

 

しかし、逆説的ですが、会社の制度のもとでの「自由な働き方」は、本来の自由ではなく、「制度に従っているだけ」と考えられないでしょうか。

本来、「自由に仕事をする」ということは、制度があろうがなかろうが、関係なく、誰でもできるはずです。

 

広辞苑によれば「自由」とは以下のような意味があります。

一般的には、責任を持って何かをすることに障害(束縛・強制など)がないこと。

(広辞苑 第六版)

広辞苑の定義どおり、働いている人本人が「私は責任を持って自由に働くぞ」と決意し、決意に従って行動すれば、それは「自由に働いている」ことになります。

そう考えていくと「自由な働き方」の適用範囲はぐっと広がります。

 

例えば

・知人の会社を手伝う

・前に在籍していた会社の仕事を請け負う

・ライティングなどの副業をする

・コワーキングスペースなどでオープンなプロジェクトに参画する

なども、大きなリスクを取らずにできる「自由な働き方」と言えるはずです。

会社の制度が「自由な働き方」を保証しないからといって、「私も自由に働けない」とはならないはずです。

 

知人のプログラマーは、空き時間を見つけてはオープンソースのソフト開発プロジェクトに参加していますし、忙しい中「複業」としてNPOの手伝いをしている人もいます。

ブログを書いてマーケティングのノウハウを手に入れようとしている人もいます。

転職後でも、前の会社の外注先としてはたらく人もいます。

 

要するに「自分で責任を持って、何かを始める」ことは、すべて「自由な働きかた」と言って良いと思うのです。

 

少なくとも、現在のようなネットワークが発達した世の中であれば、誰もが「自由な働き方」を得るチャンスがあると私は思います。

そこで必要なのは、学歴でも、IQでもありません。

「チャレンジする意欲」と「学ぶ姿勢」をもって、真摯に一つひとつの仕事に取り組み、結果を出すことなのではないかな、と私は思います。

 

 

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(Photo:Erik Cleves Kristensen)